間違った予測を信じ込むことよって生まれる「多元的無知」。後編では、社会心理学研究者の岩谷舟真さんに、多元的無知状態を崩して、暗黙のルールを変えていくヒントを教えていただきました。

社会心理学研究者
関西学院大学社会学部専任講師。博士(社会心理学)。興味関心は集団規範の維持メカニズム、社会環境と行動意思決定の関連など。日本心理学会、日本社会心理学会、日本グループ・ダイナミックス学会各会員。共著に『多元的無知:不人気な規範の維持メカニズム』(東京大学出版会)。
暗黙のルールを変えるためにできることは?

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──多元的無知を知ることで身近な暗黙のルールに気づいたり、疑問を感じたりしたとき、そこから抜け出すためにできることはありますか?
岩谷 多元的無知状態を崩し、暗黙のルールを変えうる方法はいくつか考えられます。
① 他者からの評価についての誤った予測を正す
多元的無知状態では、集団のメンバー同士がお互いの態度を読み誤った結果として暗黙のルールが維持されているので、お互いの正直な思いや考えを伝えることが効果的だと思います。
育児休業に関する多元的無知の例で考えてみると、アンケートやヒアリングを通して社員一人一人が育児休業に対して本当はどう思っているかを把握すると、実は一人一人の社員は育児休業取得に反対ではない、ということが可視化されるかもしれません。
もしそうであれば、その結果を社内に周知することで「他の人も自分と同じで育児休業の取得に賛成だったんだ」と気づくことができ、多元的無知状態が解消されるかもしれません。
② その社会の中で新しく人間関係を構築する機会を増やす
前編でお話ししたとおり、流動性の低い社会では周囲から嫌われるリスクが大きくなり、その結果一人一人が無難な行動を取るようになる可能性があります。例えば人事異動が少ない会社では、上司や同僚から嫌われることのリスクが大きくなるため、場合によっては部署ごとに暗黙のルールが根づいてしまうこともあるでしょう。
人事異動の頻度を増やし、新しく同僚との関係を構築できるような仕組みを作ることで、暗黙のルールを少しずつ弱めることができるかもしれません。
──すぐに仕組みを変えられなくても、他部署の知人や同僚を増やすことや、会社以外の身近な集団であれば違うコミュニティで新たな友人・知人を増やすことも有効でしょうか?
岩谷 そうですね、「他に知り合いもいるから、この集団で嫌われても怖くない」と思えるようになれば、有効だと思います。
③ 初期設定(デフォルト)の選択肢を変える
④ 暗黙のルールを破っている人の多さをアナウンスする
今は育休を取得したい場合に申請するという制度で、申請がない限りは育休を取得しないとみなされるような制度設計になっていると思いますが、例えば、「育休を取得する」ことを初期設定にして、育休を取得しない場合に申請するような制度設計にすれば、育休取得率は上がると考えられます。
育休取得率が上がったら、今度は「この会社では、多くの男性が育児休業を取得している」という現状をアナウンスすることで、申請する男性が増える可能性があります。
SNSやリアルで声を上げることが連鎖のきっかけに
──多元的無知状態を変えるためには人事異動の頻度や初期設定などの制度を変えることが有効であるというお話がありましたが、集団メンバーの一人一人が草の根的に声を上げることによって多元的無知状態を変えることは可能でしょうか? 例えば、ジェンダー不平等について声を上げる人が増えたことで「結婚・出産が女の幸せ」「女性は家を守るべき」といった暗黙のルールが崩れてきていると感じます。声を上げることや、同じ思いを持つ仲間を増やすことの意義についてはどう思われますか?
岩谷 私たちが何か新しい行動を取るとき、「すでにその行動を起こしている人が集団内に何人いるか」が行動を取る・取らないの判断に影響します。その基準(閾値)は一人一人違うので、その行動をしている人が誰もいなくても行動できる人もいれば、「半数以上の人がその行動をしていれば、自分もその行動をしよう」と考える人もいます。
そう考えると、一人一人の行動が連鎖していくことで暗黙のルールが変わることはあり得ると思います。『はだかの王様』という寓話では、一人の子どもが「王様は裸だ!」と叫んで空気を一変させました。同じように、一人でも声を上げる人がいれば、その人の行動が周囲に連鎖し、声を上げる人が多数派になっていくという可能性はあると思います。
──「#MeToo」「#KuToo」「#私が退職した本当の理由」など、SNSのハッシュタグを通じて声を上げる人も増えてきました。もし身近に話せる人がいない、声を上げられる状況にないとき、そうしたオンライン上でのアクションも個人の閾値に影響を与えるものでしょうか?
岩谷 リアルとSNSは異なる集団ですし、そもそもSNSを「集団」と定義できるかという問題はありますが、誰かの投稿やハッシュタグでの発信を見ることで、自分も投稿するということは起こりうるし、実際に起こってきたのではないでしょうか。
例えば、「5人が声を上げたら自分も声を上げる」という閾値の人がいたとします。周囲に自分と同じ思いを抱えている人がいるようには思えず声を上げられなかったとしても、SNSで多くの人が声を上げているのを見ることによって、「自分の思いをサポートしてくれる人が多そうだ」と感じることはあるでしょう。その結果として、リアルの集団で声を上げている人が誰もいなくても声を上げられるようになるというケースはあると思います。
個々の行動が変われば連鎖の形も変わっていくので、オフラインでの均衡状態も変わってくる可能性があります。
“最初の一人”にはなれなくても、“10人目”になればいい

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──それはどういうことでしょう?
岩谷 例えば100人の集団がいて、全員が「誰か一人が声を上げたら自分も声を上げよう」と考える人だったら、最初に声を上げる人が一人もいないので、結局誰も声を上げないままです。でも、誰か一人がオンラインでのやり取りを通じて閾値が代わり、「リアルな集団では声を上げている人がいないけれど、きっと自分の思いをサポートしてくれる人は多いはずだ」と考えて、誰も声を上げていない状態で声を上げてみるかもしれません。
そうやって最初の一人が出てくれば、残りの99人も声を上げますよね。そういう形で連鎖していくことによって、オフライン状況での多数派が変わるということはあり得るかなと思います。
──SNS上の声に力をもらうことで、リアルな集団での行動につながる可能性があるということですね。
岩谷 そうですね。“最初の一人”と考えるとハードルが高いかもしれませんが、例えば10人目でもいいと思います。
100人の集団がいて、そのうちの9人が声を上げていたとします。この段階では、「10人が声を上げたら自分も…」と思っている人が30人ぐらいいても、その人たちは何も言いませんよね。
ところが、「まだ9人しか声を上げていないけれど、やっぱり私も声を上げよう」と思って10人目に声を上げる人が現れると、いままで声を上げていなかった30人が一気に声を上げることになり、合わせると40人が声を上げることになります。
すると「40人が声を上げたら自分も…」という人たちが声を上げ、声を上げた人数が50人に増えると「50人いれば自分も…」という人たちも声を上げはじめ…というふうに、声を上げる人が連鎖的に増えていくというケースはあると思います。
──その連鎖が、暗黙のルールを崩す流れを加速させるということですね。なんだか勇気がわいてきます。
岩谷 多元的無知は、「無知」という言葉のとおり気づきにくい現象です。そして、多元的無知状態によって維持される暗黙のルールの中には、社会的に望ましいとは言い難いものも少なからずあります。
暗黙のルールが多元的無知状態で維持されていることを理解し、その解消に向けて取り組んでいくことは、人々がより生きやすい社会をつくることにもつながると思います。
構成・取材・文/国分美由紀