不安や緊張を感じたとき、呼吸が速く、浅くなるのを感じたことはありませんか? そんなとき、ゆっくり深呼吸すると、心が落ち着いていくのを感じます。普段は無意識にしている呼吸ですが、実は私たちの感情と深く結びついているのです。そう教えてくれたのは、呼吸と情動について研究を続ける、昭和大学医学部生体調節機能学・准教授の政岡ゆり先生。

政岡先生によれば、この呼吸の力を使ってストレスケアをすることができるのだとか。そして、そのために役立つのが“よい香り”だと言います。それはいったいどうして? 香りと呼吸の関係について、そして具体的なケア方法について伺いました!

香りと呼吸のイメージ

香りが心に働きかけるのはなぜ?

ストレスケアが重要視される昨今、ますます人気の高まっているアロマテラピーですが、そもそも香りにリラックス効果があるといわれるのはなぜなのでしょうか? 香りが心に働きかける理由は、大きく2つあるのだそう。

●香りはダイレクトに感情へと伝わる

「ひとつには、香りを感じる嗅覚のメカニズムが大きく関係しています。人間は五感(視覚・触覚・聴覚・嗅覚・味覚)を通じて得た情報を、脳へと伝達し、判断したり行動を起こしたりします。

脳には、感情や本能を司る『大脳辺縁系』と、理性的な思考を司る『大脳新皮質』の2つの器官があるのですが、五感の中で唯一、ダイレクトに大脳辺縁系へと伝わるのが嗅覚からの情報。そのほかの情報は、バスターミナルのような視床という場所を経由してから、それぞれの感覚領域へと届けられます。

この大脳辺縁系には、快・不快、不安や恐怖といった、情動を作り出す『扁桃体(へんとうたい)』が含まれています。よい香りを嗅いだとき、瞬間的に『好き!』と感じるのは、嗅覚がどの感覚よりもいち早く扁桃体を刺激するからなのです」

●香りは呼吸を自動的に変化させる

「もうひとつは、香りが呼吸を変化させるということ。呼吸は、不安や緊張のあるときは速くなり、リラックス時には、ゆっくりと落ち着いています。

例えば、精神的なストレスによって起こる過換気症候群という症状では、呼吸が速く浅くなり、息苦しさを感じます。このとき、ゆっくりと呼吸することが大事なのですが、パニックになっているのに、自らをコントロールするのはなかなか難しいですよね。そこで味方になってくれるのが、“香り”です。

よい香りを嗅いだとき、私たちの呼吸はリラックス時と同様に、ゆっくりと深くなり、不快な香りであれば、ストレスを感じたときのように速く浅くなります。これは、香りが情動をつかさどる扁桃体を直接刺激することで、自然に起こる反応です。この仕組みを利用すれば、香りで心の状態を変化させることができます」

感情によって無意識のうちに変化するという私たちの呼吸。政岡先生は、「呼吸を見るとその人の心の状態がわかるくらい、呼吸は嘘をつかない」と言います。

よい香りは、モチベーションアップにつながるツールになる

深くゆっくり呼吸してリラックスするには、“よい香り”を嗅ぐことがポイントといいますが、“よい香り”とはいったいどんな香りなのでしょうか?

●“よい香り”=“よい記憶”

「それは“よい記憶”と結びついた香りです。先に説明したとおり、香りは『情動脳』とも呼ばれる大脳辺縁系へと真っ先に届くわけですが、この大脳辺縁系の中には、記憶をつかさどる「海馬」も含まれています。

街中でふと漂ってきた香りに、『あ、昔の恋人の香水だ』などと、リアルに人物や香りを嗅いだ当時のことを思い出した経験はありませんか? 香りによって過去のことが思い出されるのは、海馬が刺激されるため。その記憶が本人にとって “よい”ものであればあるほどに、嗅いだ香りもまた“よい”ものと認識されます。暮らしてきた環境や経験などによって、記憶はひとりひとり異なるもの。だから、香りの好みも個人差があるのですね」

香水

●香りでセルフエンパワメントしよう

「香りが刺激となって記憶を呼び起こすとき、頭の中にイメージを思い描くと思うのですが、このとき、実際に目で見ていなくとも、脳の中では視覚野が活発に活動します。そして同時に働くのが、『前頭前野(ぜんとうぜんや)』という部分です。ここは、思考や意思、想像力、やる気など、人間らしさを作り出している重要な部分。

思い浮かべる記憶がクリアであればあるほど、前頭前野が刺激され、私たちは意欲が湧いてきます。過去を振り返るという一見後ろ向きな行為が、前向きな思考を呼び起こし、モチベーションアップにつながるなんて、不思議なことですよね」

自分にとってよい香りは、落ち込んだり不安を感じたりしたとき、心身をリラックスさせるだけでなく、エンパワメントもしてくれる、なんとも心強いツールなのです。

今日からできる、アロマと呼吸のストレスケア方法

よく、「息苦しい世の中だ」といいますが、不安やストレスの多い今、私たちに必要なのは、深くゆっくりとした呼吸を意識することだと政岡先生は言います。

「呼吸をするとき、重要な働きをするのが、肺を覆う胸郭の肋間筋や横隔膜といった『呼吸筋』です。通常は、脳が『息を吸ってください』と指令を出し、この呼吸筋が動いて『吸っています』と応答するやりとりが行われるのですが、なんらかの原因でこのやりとりがマッチしないとき、息苦しさを感じるのです。

その要因となるのが、ストレスによって筋肉が緊張状態になり、呼吸筋の柔軟性が失われてしまうこと。また、加齢による呼吸筋の衰えの影響も考えられます。さらに、若い人に多い、スマホの画面をのぞきこむような悪姿勢にも呼吸筋の動きを鈍くします。深くゆっくりとした呼吸をするためには、まず、呼吸筋をほぐし、スムーズに動くようにすることが大切です」

●深い呼吸を手に入れる! アロマストレッチ

そこで政岡先生がおすすめするのが、「アロマストレッチ」です。「よく瞑想などで、呼吸を意識すると、逆に息苦しく感じてしまうという人がいます。体を動かすことに意識を向ければ、自然と深い呼吸ができるようになりますよ」

ここでは、デスクワークの合間などに気軽に取り組める、2つのアロマストレッチを教えていただきました。立った状態でも、座った状態で行ってもOKです!

1.首と胸を伸ばすアロマストレッチ

アロマストレッチ

①  まず、両手を胸の上部にあてて、ゆっくりと息を吐きます。「深呼吸というと、吸うことに意識がいきがちですが、まず最初に大きく吐ききることがポイントです。吐くことで自然と息が吸いやすくなります」(政岡先生)

②  次に、ゆっくり息を吸いながら持ち上がる胸を手で押し下げるようにし、天井を見るようにあごを上へ持ち上げます。

③  息を吸いきったら、①と同じ姿勢に戻しながらゆっくりと息を吐きます。

2.肩甲骨を開くアロマストレッチ

アロマストレッチ

①胸の前で両手を組み、ゆっくりと息を吸い、次に口からゆっくりと吐き出します。

②息を吐ききったら、息を吸いながら腕を前に伸ばし、腹部を覗き込むように背中を丸めていきます。「このとき肩甲骨が開いて、まわりの筋肉が気持ちよく伸びていくのを感じるはず。肺に空気がたくさん入っていくのを感じましょう」(政岡先生)

③  ゆっくりと息を吐きながら腕と背中を①の姿勢に戻します。

●ストレッチにプラス“よい香り”を

ストレッチを行うときに、よい香りをプラスすることで、いっそう呼吸が深まり、不安やストレスを和らげることができるのだそう。

「よい香りには個人差があるので、例えばアロマオイルは効果効能よりも、好きな香りを選ぶことが大前提です。そのうえで、リラックス作用で知られるラベンダーの香りは、やはり効果が期待できるかと思います。また、レモンやオレンジなどは、なじみ深く、多くの人が好ましいと感じる香り。気分をリフレッシュしてくれる効果があります。

また、香りを効果的に使うためには、同じ香りを使い続けないことがポイントです。香りに脳が慣れてしまうと、刺激がなくなり本能が働かなくなってしまうのです。お気に入りのアロマをいくつか用意しておき、ときどき替えるようにするのがいいでしょう」

アロマオイル

●散歩で香りを見つけるマインドフルネス

最後に、政岡先生がおすすめしてくれた意外なストレスケア法は、散歩。「雨の降りはじめの匂いや、季節の草花の香り、どこからか漂ってくる夕飯の匂いなど、外を歩いていると、さまざまな香りがあることに気がつきます。そうした香りひとつひとつに意識を向けることは、マインドフルネスと同じで、“今”に集中することができます。外に出たら、スマホから顔を上げて、お金では買うことのできない、いろんな香りを感じてみましょう。きっと心地よい時間が過ごせるはずです」

今、疲れやストレスを感じている人は、好きな香りや、アロマストレッチで、深くゆっくりとした呼吸を取り戻してみては。香りと呼吸の力を借りて、上手にストレスケアしていきたいですね!

政岡ゆり

昭和大学医学部生理学講座生体調節機能学 准教授・医学博士

政岡ゆり

専門は神経生理学、ヒトブレインマッピング、呼吸、嗅覚、情動、記憶の関連性について。またアロマテラピー効果の科学的立証にも力を注いでいる。共著に『情動と呼吸 : 自律系と呼吸法』『呼吸の事典』(朝倉書店)などがある。科学論文誌での掲載も多数。

構成・文/秦レンナ イラスト/Rei Kuriyagawa Ptotos by Dariia Chernenko,Krit of Studio OMG/ Getty Images Plus