“BITCH!”。印象的なフレーズから始まる動画で、一躍人気インフルエンサーとなった花上惇さん。視聴者の気持ちに寄り添い、独特な言葉とスタイルでポジティブマインドを発信し続けています。また、トランスジェンダー女性であることを公表し、ホルモン治療の様子などについても投稿しています。そんな花上さんにも、過去には自分に存在価値を感じられず卑屈になっていた時期が。「自分に正直に生きる」ことをモットーに掲げる今に至るまでの、人生のターニングポイントと学び、心境の変化を振り返ってもらいました。
花上惇さん インフルエンサー トランスジェンダー

花上惇

インフルエンサー

花上惇
1992年1月19日生まれ、富山県出身。コロナ禍にTikTokで動画投稿をスタート。独自の切り口でポジティブマインドを発信するオリジナル動画が話題を呼び、現在のSNS総フォロワー数は約78万人にも及ぶ。また、2020年には『THEカラオケ★バトル』で優勝した経験も持つ。

@junpi92




初めてのカミングアウトは中学生。拍子抜けするほどあっさりした反応が逆にうれしかった

——富山県で生まれ育った花上さん。“男性らしくない振る舞い”をからかわれ続けて、いじめられないためにギャル男に扮していた時期もあったそうですが、初めてご自身のセクシュアリティを人に打ち明けたのはいつですか?

花上さん:初めてカミングアウトしたのは中学生のとき。小学生の頃から人にからかわれ続けて、オカマって呼ばれたり、気持ち悪い、死ねとかも散々言われてきたから…“みんなそう思うんだ”と感じて、自分のセクシュアリティを人に言えなくなっていたんです。

でも中学で、すごく仲良くなった友人がいて。隠したまま付き合い続けることもできたけど、そのせいで腹を割り切れない自分がいたんです。後めたい気持ちが拭えないというか…恋愛の話をするにしても、セクシュアリティを打ち明けたほうがスムーズに会話できるし。心から話すためにも、身近な友達には知ってほしいなという気持ちが芽生えて打ち明けました。

——カミングアウトした際、ご友人からはどんな反応がありましたか?

花上さん:相手は一匹狼というか群れないタイプの男子だったから、噂を広めなさそうだな、という安心感もあったのかも。当時は自分をゲイと表現して打ち明けたんですけど、「あ、そうなんだ」という感じでサラッと受け入れてくれた。拍子抜けするほどあっさりとしていたことが、逆にうれしかったですね。

そういう人もいるんだ!という希望につながったし、私は孤独じゃないんだ、とも思えた。それを機に、仲良くなった人に打ち明けることに抵抗がなくなりました。

自分は珍しい存在じゃない。ならば隠さなくてもいいよね、と思えた

花上惇さん インフルエンサー トランスジェンダー 正面顔アップ

——高校を卒業後、歌手を目指して東京の大学に進学されました。初めてご実家を離れての新生活では、ご自身との向き合い方に変化はありましたか?

花上さん:生まれ育った富山県は、田舎で閉鎖的な県民性もあり、自分以外のゲイ男性に出会う機会はほとんどなかった。理解してくれる友達はいたけれど、やっぱり孤独を感じていたし、多くの人は理解してくれないだろう、と卑屈になっていました。

そんな意識が変化したのは、初めて新宿二丁目を訪れたとき。当たり前に男同士、女同士で手をつないでいたり、トランスジェンダーの人が堂々と歩いていたりする世界を見たときの衝撃は、忘れられないですね。瞬時に、“私は東京で生きていこう”と決めました。

——そのときの心境について、詳しく教えてください。

花上さん私なんて、珍しい存在でもなんでもないじゃん! いい意味で、そう思えたんですよ。それまでは、自分がすごく珍しい生き物だと思っていて。こんなにたくさんLGBTQの人がいるならば、別に隠さなくていいじゃん、みたいな。自分のセクシュアリティを話すことに、より抵抗がなくなり、自分らしさを表現するキッカケとなりました。

私は必要とされる人間なんだ! 初めて自分の存在価値を知った

——自分らしさを表現できるようになったことで、どのような影響がありましたか?

花上さん:新宿二丁目を訪れて視野が広がったとはいえど、学生時代に蓄積された劣等感やコンプレックスは、なかなか無くならなかった。大学を卒業してからも歌手になる夢をかなえられず、さらに落ち込んでしまい…暗くて卑屈で斜に構えた、自分で思い返しても嫌になるタイプの子でした。

——今の花上さんからは、想像もつきません。

花上さん:今の明るさを身につけられたのは、ミックスバーで働くようになってから。それまでは昼間のお仕事をしていたんですけど、合わずに病んで辞めてしまって。LGBTQの人が在籍するバーに入店して、接客業を始めました。

得意な歌を生かしてカラオケで盛りあげたりするうちに、お客さんが私を指名してくれるように。休みの日にも「今日じゅんじゅんいなかった!」とお客さんから連絡をもらったりして、“私って必要とされる人間なんだ”と初めて感じられたんです。“自分の存在価値って何だろう?”と思いながら生きてきた人生に、一本の光が差し込んできたような感覚があったな。

——ご友人や恋人から必要とされるのとは、どのような違いがあるのでしょう?

花上さん:友達や恋人はいたけれど、ずっと“私なんかと一緒にいてくれてありがとう”という感覚で付き合っていたんですよ。対等な関係ではなかったし、“私といてもつまらないだろうな”って。ね、卑屈でしょう?(笑)

たくさんのお客さんに認められることで、“私って人を楽しませることができるんだ”と心から思えたことが大きいかな。当時の私を知っている友達や弟からは、「本当に変わったよね」と言われるほど明るくなり、その結果、すごく生きやすくなりました。新しい人と出会うのも億劫でなくなったし。

自分の感情を表現し、受け入れてもらえる。そんな環境が最大の収穫

花上惇さん インフルエンサー トランスジェンダー 髪かきあげ

——バーでのお仕事を辞めてSNSでの活動を始めたそうですが、きっかけを教えてください。

花上さんSNSでの活動を始めたのは、コロナ禍にミックスバーで働けなくなったことがきっかけ。当時、私は交際していた恋人のヒモ状態で、別れたいのに別れられない状況に嫌気が差して…将来を見据えて、ちゃんと稼げる仕事を探さなきゃ!と感じて挑戦しました。替え歌やメイク、男性の採点など片っ端から試す中で最終的にたどり着いたのが、私のトレードマークとも言える、“BITCH!”から始まるお悩み相談動画シリーズです。

——私自身、花上さんの動画にたくさんの元気をもらいました。このシリーズは、どのように誕生したのでしょうか?

花上さん:実は、始めた当初は“誰かを元気づけたい”“エンパワーしたい”みたいなモチベーションはなくて。自分が言われて傷ついたこと、嫌だなと感じた気持ちに対して、こう言ってくれる友達がいたらいいな。そういう存在を、自分のために作り上げたんです。

——そうだったんですね…! ご自身のための言葉を盛り込んだ動画を作ることで、心境の変化はありましたか?

花上さん:たった数十秒の動画ですが、セリフは一言一句を文字に起こして暗記し、噛んだり表情がイマイチだったりするたびに撮り直しているので、1本の動画を撮るのに1時間、完成するまでに数時間を費やしているんですよ。その作業の間に何度も何度も自分の言葉を聴くので、自然とポジティブな影響を受けていると思います。

それ以外にも収穫はたくさんありますが…何度も失敗を重ねながらやっとバズって、何事もやってみることに意味があると思えたことがひとつ。一番は、自分の感情を表現して、それを受け入れてもらえる環境ができたことですね。私の動画に対して色んなことを思い、フィードバックしてくれる人の存在が、今の私のモチベーションになっています。

痛みに慣れて目を背けていた、男性として生きる苦しさに気づけた

花上惇さん インフルエンサー トランスジェンダー 唇のアップ

——2023年9月には、「女性になりたい」という言葉とともに、女性(卵胞)ホルモンの投与を始めたことを公表しました。とても覚悟のいる決断だったのではないかと想像します。

花上さん:そうですね…。普段は自分のパッションと直感に従い、あまり悩まない私が、決断までにかなりの時間を要しました。始めるならば、その先に性転換して戸籍も変えるというゴールを掲げていたので。両親への罪悪感も含めて、これまでの人生で、最も覚悟のいることだった。

——女性ホルモンの投与を検討するきっかけはありましたか?

花上さん:幼少期は、何の疑いもなく自分を女の子だと思っていたんですよ。自分の思っている性別と見た目の違いを感じたのは、小学生になってからのことで、他者にからかわれて気づきました。それから今までずっと、たくさんの人から色んなことを言われ続けてきたので…心の痛覚が麻痺して、男性として生きることのつらさでさえも、目を逸らせるようになってしまっていたんですね。

でも、SNSで活動を始めてから、少しずつ自分の気持ちと向き合えるようになって。3カ月ほどぼんやり悩んでいたときに、トランスジェンダーであることを公表したある芸能人の悲しいニュースを受けて、ハッとしたんです。“そうじゃん、私もつらかったはずじゃん!”と、改めて男性として生きることの苦しさに気づかされました。

——人に相談はしましたか?

花上さん:決めてから報告はしましたが、相談はしていません。そもそも私は、どうしても答えが導き出せないとき以外は、人に相談しないタイプ。だって最終的には、自分がどうしたいかだと思うから。こうしたほうが得、とかって頭ではわかっていても、気持ちが同じ方向を向いていなかったらできない。だから相談をしても、あまり意味がないなって思っています。

——周囲からは、どのような反応がありましたか?

花上さん:まわりからは「悲しい事件があったばかりで、怖くないの?」と言われましが、逆に私はエンジンがかかったというか。もし女性ホルモンの影響で何かが起きたとしても、男性として生き続けるほうがよっぽどつらい。そう思えた瞬間に、覚悟が決まりました。

100年後は誰も自分を知らない。じゃあ、好きに生きてよくない?

——ご自身を「短所はネガティブ、長所はネガティブをポジティブに変換できるところ」と表現されている花上さん。ポジティブなマインドになるための秘訣を教えてください。

花上さん:「100年後は誰も自分のことを知らない」という言葉を聞いて、すごく刺さったんですよね。極論ですが、100年後には自分も含めてまわりも死んでいると思うと、人にどう思われようが関係ないじゃん!って。

生死について考えたときに、健康寿命はとても短くて、その貴重な時間を小さいことで悩んでいるなんてバカバカしいな…と心の底から思った。それを機にネガティブマインドを無理やりポジティブに変換していったら、自分に洗脳されていったというか。よくも悪くも単純なんですよ、私(笑)。

——さまざまな転機と、それによる学びを経て、現在の花上さんが最も大切にしていることは?

花上さん今の自分に課している唯一のルールは、自分に正直でいること! やりたくないことはやらないし、関わりたくない人とは関わらない。自分の気持ちに忠実に、自分の好きなように生きることが、真の意味で満たされることにつながるんじゃないかな、と思っています。

撮影/熊木優(io) ヘア/小澤桜 画像デザイン/前原悠花 取材・文/中西彩乃 構成・企画/木村美紀(yoi)