今年4月に法人向けの新サービス『Cradle(クレードル)』を立ち上げ、企業が女性特有の健康課題に向き合うことで、より多くの女性がより生きやすく、活躍できる社会を目指すスプツニ子!さん。自身がこれまで向き合ってきた体の悩みや、直面してきたジェンダーバイアスについて語ってくれた前編に続き、後編では、昨年の第一子出産を経て、自分らしい人生とキャリアを築いていくために今取り組んでいることについて伺いました。
アーティスト・株式会社Cradle代表取締役社長
1985年東京都生まれ。ともに数学者の両親のもとに育ち、日本のアメリカンスクールからロンドン大学インペリアル・カレッジに進学。その後、本格的にアートを学ぶために進んだ英国王立芸術学院(RCA)の卒業制作として発表した『生理マシーン、タカシの場合』で大きな注目を集める。MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ助教授、東京大学大学院特任准教授を経て、現在、東京藝術大学美術学部デザイン科准教授。2022年4月に新サービス『Cradle』を立ち上げる。『Cradle』公式サイト:https://cradle.care
妊娠を伝えることで、会社の士気が下がることが怖かった
「つねに情報収集しながら、自分の体と向き合ってきた」と話すスプツニ子!さんは、生理のトラブルに対して低用量ピルやミレーナを取り入れたり、卵子凍結を経験するなど、あらゆる手段を選択してきました。ところが「それでも、人生のタイミングまではコントロールできないんですよね」と、自身の妊娠・出産の経験を振り返ります。
「『Cradle』を起業するためにチームと多忙な日々を過ごしていた真っ只中に、妊娠がわかったんです。ミレーナをはずしてから妊娠するまで1年くらいはかかるだろうと思っていたので、予想外のタイミングでした。正直、会社のメンバーに妊娠の報告をするときはものすごく怖かったです。『さぁこれから!』というときに代表が出産するなんて伝えたら、メンバーの士気が下がってしまうかもしれないと。だから『私は万全の準備をしています!』というのを、ものすごい長文でメンバーにメッセージしたんです」(スプツニ子!さん、以下同)
徹底したリサーチとデバッグ思考で、自分にとって必要な選択を見極める
結果的に、産後3日目にはベッドの上でパソコンを開くほどのスピード復帰を果たしたというスプツニ子!さん。思わず「それは超人的な体の持ち主だからなのでは」と返すと…。
「全然そんなことはなくて、いろんなことがうまくいった運のよさもある思います。もともと私は6時間以上寝ないとダメなタイプですし、妊娠時は運動もあまりできず、体力も落ちていたと思います。ただ、ひとつ言えるのは、問題に直面したときに『どうデバッグ(欠陥を取り除くこと)したらうまくいくか』はつねに考えています。プログラマーの理系思考が役に立っているのかもしれませんね。
起業の大事な時期だったこともあり、産後1カ月間は夫が育休を取り、私は可能な限り早く仕事復帰することを目指しました。さらに、育児サポートのサービスをいろいろとリサーチしたところ、“産後3カ月以降は、保育所と同じ費用でフルタイムのベビーシッターさんを雇うことができる”という自治体の助成金制度を見つけたんです。3カ月までは全額自費でお願いしたのでお金がかかりましたが、それも将来への投資と経験のためと思ってベビーシッターさんに頼りました。日中はシッターさんが来ている間に仕事、夕方は子どもと遊んで、夜は私が21時から深夜3時まで子どもの世話をし、夫は6時間睡眠を取る。その後、夫が深夜3時から朝9時まで面倒を見て、私は睡眠を取るという方法で、お互いの睡眠時間を確保していました。
さらに、粉ミルクではなく液体ミルクを活用しているのも、ライフハックのひとつです。日本では液体ミルクが2018年に承認されましたが、まだ災害時用のイメージが根強く、あまり浸透していませんよね。割高ではありますが、粉ミルクのためにお湯を沸かして人肌に冷ます…などの時間を計算すると、1日あたり約1〜2時間ほどになるんです。その時間と、体力や仕事の生産性を天秤にかけて、私は液体ミルクを導入するほうを選びました。ヨーロッパでは液体ミルクはスーパーなどで安く売られていて、日常的に使っている人も多いんです。それでも、育児って仕事より大変だな〜と感じています。正直、仕事している時間が息抜きのような感じ(笑)。育児には休みがないですから」
「まわりの幸せ」まであなたが背負う必要はない
「私の場合は、『こうするのが一般的』という固定観念にはあまりとらわれずに、自分にとって最適な方法を選択できたり、幸運なことにそれに対してまわりの理解やサポートも得ることができています。ただ、誰もがそういうわけにはいかないのだということも、出産や子育てを通して知りました。
世の中には、『子育ては完全母乳のほうがいい』『出産直後からベビーシッターに預けるのはかわいそう』『無痛分娩は子どもに愛情がわかないからダメ』など、近しい人からの意見と現実との板挟みになっている人が結構多い。私は、親世代の子育てに関する常識は30年前のものだから、時に理にかなっていないことやギャップがあって当たり前だと思っています。幸い、私の母は私自身の選択を尊重してくれていますが、いざ『母がこう言ってるから無下にできない』という友人の悩みなどを聞いていると、人それぞれに事情がある難しさを感じています。
最近、私が感じているのは、“まわりをハッピーにしなくちゃいけない”という気持ちが強すぎると、生きづらくなる場合があるということ。特に女性は子どもの頃から、“愛想がいいとほめられる”育てられ方をしていることも多いのではないでしょうか。男の子は、まわりのことなんか気にせず走り回っていても“元気がいい”などと可愛がられたりするのに、女の子は“まわりにどんな印象を与えるか”で評価されることがある。それもジェンダーギャップの刷り込みのひとつですよね。そうした評価軸が、大人になってもプレッシャーとして影響してしまうのかもしれません。
自分らしい選択をしようとするとき、その選択でまわりの人すべてをハッピーにするのはすごく難しいんです。でも、自分がハッピーになることがいちばん重要だと思います」
メンタルヘルスケアは「心のジム」。続けることに意味がある
そんなスプツニ子!さんでも「時々、どうしようもなく自信がなくなるときがあります。『どうせ何をやってもうまくいかないだろう』とか、『こんな作品を作ってなんになるのだろう』とか、意味もなく落ち込むことがあるんです」と言います。
「もともと統計的に、“女性は男性に比べて自己肯定感が低い”というデータがあります。『インポスター症候群』といって、自分に自信がなかったり、評価されても身に余る評価だと謙遜してしまう考え方です。ミスをしたときに過剰に自分を責める傾向もあります。ある企業の男性役員の方から、『女性社員は昇進を断ることが多い』という話を聞いたことがありますが、女性自身も自分の思考の特性を知ることが大事ですし、管理職の立場の人たちも、こうした統計データから部下の特性を学ぶべきだと思います」
社会構造としてのジェンダーギャップを理解してアクションを起こす
「何度も言いますが、女性の体の問題は、個人の問題ではなく社会の問題です。ところが、いまだに『女性が働くから少子化になっている』なんて言われることがあるのが日本の現実。女性にとって“子どもを産む”ことと“キャリアや生きやすさをかなえる”ことが両立しづらい現実があることに、きちんと社会や企業が向き合っていくべきです。そのために具体的にできることは何かを、『Cradle』は企業に提案していきます。
生理などの健康課題によって女性の仕事のパフォーマンスが落ちたりすることは、企業にとっても社会にとっても損失です。『私が我慢すればいい』と自分を押し殺している女性たちのために、今、私は企業に対してとにかく丁寧に話すことに奔走しています。自分一人でどうこの現状を変えればよいのだろうと悩んでいる人は、『Cradle』というサービスがあることを会社に伝えてみてください。私が話しに行きますから」
撮影/花村克彦 取材・文/田中春香 企画・編集/高戸映里奈