助産師兼性教育YouTuberのシオリーヌさんの連載『SAY(性) HELLO!』。今回のトピックは、性と生殖にまつわる健康と権利=「SRHR」に関するそれぞれの選択について、前後編でお届け。立場や経歴の違う3名を迎え、ライフプランとキャリア、“母親”になることへの不安やモヤモヤについて話します。
今回の参加者は…
Aさん:29歳、会社員。1年前に結婚。今のところ、すぐに子どもを持つことは考えていない。最後に婦人科検診を受けたのは2年ほど前。
Bさん:34歳、会社経営。4年ほど前に離婚を経験し、現在は今のパートナーと同棲中。クリニックに通いながら、タイミング法で妊活している。
Cさん:26歳、フリーランス。大学卒業時に結婚・出産、昨年離婚。3歳と、10カ月の二児を子育て中。
「子どもがいる」「これから欲しい」「今は考えていない」etc...。ライフプラン、それぞれの形
ーー今回は妊娠・出産など「性と生殖にまつわる選択」について、多様な境遇の皆さんに集まってもらいました。それぞれ、現在の状況を教えていただけますでしょうか。
Aさん 長いあいだぼんやりと「いつか子どもが欲しい」と思ってきましたが、30歳を目前に妊娠・出産を現実的に考えるようになった瞬間、急に“母になる”ことが怖くなってしまいました。「子どもを産んだら今のように働いたり、好きなように友達と遊んだりできなくなるのでは…」と不安になるし、社会から“一個人”ではなくて“母”として見られるようになる気がしてしまって。なので、今はまだ子どもを持つという覚悟ができてないと思っています。
Bさん 私は現在子どもが欲しいと思っていて、今のパートナーと妊活中です。最近、PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)という婦人科系疾患があることが発覚し、クリニックで治療しながら、タイミング法をとって妊活しています。会社を経営しているので時間の融通は利きますが、頻繁にクリニックに通うのは、なかなか大変だなと感じています。
Cさん 私は大学4年生で妊娠して、卒業したタイミングで出産しました。卒業後はバリバリ働きたいと思っていたので、予期せぬタイミングではありましたが、人生にやる気や目標を見出せなかった時期でもあったので、「私が進むべきは“この道”なのかもしれない」「『お母さん』になることが救いになるかもしれない」と思いました。当時の夫は、「結婚するなら俺が養う」と張りきるタイプで、必然的に出産後は私がワンオペ育児に奔走。当時は、社会からすごく分断されて孤立した感じがしていましたね…。
シオリーヌさん 皆さん本日はよろしくお願いします。私自身は今31歳で、去年出産をしました。27歳で最初の結婚、1年ほどで離婚をしましたが、そのタイミングで、「私は本当に子どもが欲しいのか」ということを真剣に考えたのをよく覚えています。もし自分で妊娠出産をすることを望むのであれば、年齢的にパートナー探しを急ぐ必要があるかもしれないなと思って。結論としては、「積極的にパートナー探しはせず、パートナーができなければそれでいいし、その時は子どもを持たない人生でいい。でも、もし一緒に子育てをしたいと思うようなパートナーと出会ったら、30歳くらいで子どもを持つライフプランにしたい」という考えに至りました。そこから現在のパートナーと出会い、話し合いを重ねて今がある、という状況です。
生き方が多様化してもなかなか変わらない、“お母さん”への固定概念
シオリーヌさん Cさんの話に出てきた、「妊娠・出産をした女性が、子育て中に疎外感を感じてしまう」というのは本当によく聞く話で。妊娠・出産は女性しかできないという生物学上の違いはありますが、出産をしたあとも「子育てはおもに女性の役割」という固定概念が、まだまだ根強くあるなと感じます。
Bさん Cさんは「ワンオペ育児だった」とも言っていましたが、バリバリ働きたいと思っていた最中の妊娠に対して、当時はどう感じていましたか?
Cさん 私が出産したとき、まわりの友達は就職して仕事をしていて、社会で活躍しはじめたばかり。一方で、育児中の私は、まさに社会からの疎外感を感じていました。最初は「お母さん」という選択が救いになっていたのに、だんだんと「私には何もできないのではないか」と感じるようになっていました。
シオリーヌさん 仕事に慣れはじめた20代後半くらいから自分のアイデンティティが確立される、という人も多いと思いますが、「自分はこういう人だ」というものがわかってくる前に「母親」という肩書きを背負うことに、苦しい思いをすることもありそうですよね。
Cさん そうなんです。友達が私を人に紹介するときも、「この子はママなんだよ」と言われることがあり、「その前に名前を言って!」と怒ることもありました。そもそも、育児を始めてから、私はずっと“お母さん”に向いていないかもしれない、と思うようにもなって…。
シオリーヌさん その「向いていなさ」は、どういうときに感じますか?
Cさん “お母さん”としての時間を過ごさないといけないのに、“自分”が出てしまうとき。「子どもは子ども、私は私」と思うことも、ひとつの考え方だとは思います。とはいえ、自分自身に余裕がなかったり、育児よりも仕事のほうが楽しいかも、と思ったりするときに、向いていないと感じますね。
子どもは本当に可愛いし、早い段階で子どもに会えたのも、幸せなことだと思っているんですが。Aさんが言っていた、「母になる怖さ」が、今になって出てきたという感覚かもしれません。
Bさん 私も以前子育て中の友人から、「Bはまだ“自分が優先”って感じだから、子育ては向いてないよ!」と言われてショックを受けたことがあります。当時は仕事に奔走してたけれど、「いつかは子どもが欲しい」と思っていました。ただ、今思えば、彼女たち自身が“自分のやりたいことよりも子育てを優先しなければいけない”というイメージを刷り込まれてしまっていて、窮屈な思いをしていたのかもしれないですよね。でも、自分の意思を尊重しながら子育てすることはできると思うんです。
シオリーヌさん 「母親」って本当はただの続柄じゃないですか? 「その人を出産した人」というだけの意味なのに、そこに変に意味づけをされることがありますよね。「母親とは子どもを第一に考えて自己犠牲をするものだ」とか、「なんの見返りも求めずに、無償の愛を注ぐのが”母性”だ」とか…。本当は、その人なりの母親像で子どもとのあいだに信頼関係が築けて、親子それぞれが納得できていられればいいはず。
母になると、何ができなくなる? どんなことが怖い? 言葉にすることで見えてくるもの
シオリーヌさん 社会に存在する固定概念が、Aさんの言う「母親になることの怖さ」にもつながってくると思うのですが、Aさんの怖さの正体って、具体的にどんなものなのでしょうか?
Aさん 「子どもができたら、あんなことも、こんなこともできなくなってしまうだろう」というなんとなくのイメージがその正体だと思うのですが、では、実際にどんなことができなくなるか、というのを具体的に考えたことはなくて。逆に、自分でも整理ができていないから、漠然とした怖さを感じてしまうのかもしれません。
シオリーヌさん それをパートナーと一緒に話してみるのもいいかもしれないですね。私は結婚するときに、「子どもができたら不自由になることってなんだろう?」ということについて、パートナーと話した記憶があります。例えば、そのとき私のパートナーには「そのうち海外留学に行ってみたい」という思いがあって。では、子どもが生まれたらもう海外留学に行けないのか? と考えてみると決してそうではなく、親子で留学できる制度を利用するなど、方法はいくらでもありそうだねと。むしろ子どもができることで広がる選択肢もあって、そこを一緒に確認できたのはよかったと思います。
Aさん なるほど…。今まではこのモヤモヤは自分一人の問題だと思ってしまっていました。ぜひ話してみようと思います…!
「母親とはこういうもの」を覆すタイミングに来ている
シオリーヌさん これだけ多様な生き方や働き方が、選べるようになってきたはずなのに、“母親”に関しては、まだまだロールモデルが少ないように感じますよね。キャリアにおいていろいろな道を歩んできた人たちが、いざ“子どもを持つ”となった瞬間に、「はい、これが“母親”です。この通りにやってね」と言われたら、それは今までの自分とのギャップがあまりにも大きいこともあるだろうし、「自分は当てはまれない」と思う人が多いのは当然のこと。
今、従来の「母親とは、こういうものだよね」という考えを、一度覆さなければいけないタイミングに来ていると感じます。「こういう母親もアリ」という選択肢を増やしていく必要があると思いますし、「母親という役割を持ちながら自分の人生を全うすることもできる」という姿を、可視化していかなければいけないなと感じますね。
続く後編では、ライフプランとキャリアについて、それぞれの考えやモヤモヤを話します。お楽しみに!
取材・文/平井莉生(FIUME Inc.) 撮影/kaname saito(シオリーヌさん) getty images(風景) 企画・編集/種谷美波(yoi)