2024年3月に『ノンバイナリースタイルブック』(柏書房)を刊行された漫画家の山内尚さん。「ノンバイナリー」かつ「ジェンダーフルイド」当事者として、揺れ動く性別の中で「装い」と向き合い、その時の気分にあったコーディネートをイラストで紹介しているスタイルブックは、当事者だけでなくさまざまな人からの反響があったそう。山内尚さんへのインタビュー後編ではご自身のアイデンティティと「洋服」との関係性についてお聞きします。
『ノンバイナリースタイルブック』山内尚(柏書房)
男女二元論で説明しきれない性別を生きるノンバイナリー当事者として、ままならない「装い」の問題に、漫画、イラスト、文章で向き合う作品。
レディースの服が好きでも「ノンバイナリー」でいいんだと伝えたい
山内さんの実際のコーディネート
——著書『ノンバイナリースタイルブック』では「自分が自分でいるためのファッション」という切り口が印象的でした。ノンバイナリーとファッションを組み合わせて発信しようと考えたきっかけは何だったのでしょうか。
山内さん まず、私の知る限りでは、「ノンバイナリー」と「ファッション」を組み合わせて発信している当事者が、日本ではほとんど見かけられなかったことです。英語のコンテンツでは結構あるみたいなんですが、国内では少ないと思います。
そしてもうひとつ。SNSで「私はノンバイナリーだと思っていたけれど、レディースにカテゴライズされる服が好きだから、私はノンバイナリーじゃないのかもしれない」と言っている人を見かけたことです。まったく知らない方だったのですが、この人のために何かを発信したい、と強く思いました。
せっかく自分を説明できそうな言葉を獲得しかけているのに、情報がないためにそれを手放してしまう人がいる。それならば、自分のファッションを発信して「こういうノンバイナリーもいるよ!」と伝えることに意味があるのではないかと考えたんです。
私はその時の自分の在り方に合わせて、さまざまな服を着ます。シンプルなもの、個性的なデザインのもの、民族衣装のようなもの、そして、ロリータファッションのような装飾的なものも。そんな自分のコーディネートをたくさん描くことで、「どんな服を好きで着ていても、『ノンバイナリー』という言葉を手放さなくても大丈夫だよ」と伝えたかったんです。
自分の気持ちを、より良い方向に引っ張ってくれそうな服を選ぶ
『ノンバイナリースタイルブック』内、2022年4月20日のコーディネート
——山内さんは「自分にしっくりくる服」を選んでいると書籍に書いてありましたが、“しっくりくる服”とはいったいどのようなものなのでしょうか。
山内さん 「自分がその日、どういう人間として見られたいか」という点はかなり重要視していると思います。ふりふりのスカートを着ている日もあれば、パンツスーツで髪をオールバックにする日もありますが、その時の「自分の在り方や気持ち」を服によって表現しているんです。そして、自分の気持ちを、より良い方向に引っ張ってくれそうな服が、「自分にしっくりくる服」なんじゃないかと思います。
『ノンバイナリースタイルブック』内、2019年8月26日のコーディネート
——どんな方でも、その「しっくりくる服」の選び方は参考になりそうですね。ノンバイナリーであるからこその選び方もあるのでしょうか。
山内さん 「ノンバイナリーは、見た目で『この人はノンバイナリーだな』と認識されることはほとんどなく、多くの場合、男女どちらかに振り分けられてはいます。例えばファッションビルに行くと、見た目の判断で店員さんから「お姉さん」と呼ばれたり。それが時によってはとても苦痛で、傷つくんです。
昔は性別を勝手に決めつけられたくなくて、「女性」と判断されにくそうなコーディネートをしていたこともあるのですが、私は声が高いので、喋ると声だけで「お姉さん」になってしまうんですね。なので今は、あえてパッと見で女性と判断されるようなコーディネートで買い物に行って、「この服を着てるんだから“お姉さん”と呼ばれるのも仕方ない」とあきらめられるようにするときもあります。お姉さんと呼ばれることの責任を、服に渡してしまうんです。そうすれば、自分の傷つきが減る。もちろん、そう呼ばれるような服がただ単に好き、というのもあります。
ノンバイナリーだからこういう服を選ぶ、というわけではありません。決まったルールなんてものはないはずなんです。
——シスジェンダー(体と心の性が一致している)の女性であっても、期待される性別役割に合わせた服など、自分の心の在り方に反した服を選ばなければならないことに、もどかしさや違和感を感じているという声を聞くこともあります。
山内さん 私も漫画家になる前は看護師や保健師の資格を使って仕事をしていて、“ちゃんとした”服を着なければならなかったこともあります。『ノンバイナリースタイルブック』の中では自由にファッションを楽しんでいるように見えるかもしれませんが、規範の中で苦しい思いをしながら洋服を選ぶこともありました。
しっくりくる服を選び続けることは、環境によっては難しいことですよね。ただ、私にとっての「“お姉さん”と呼ばれても仕方がない服」のように、「しっくりくるというほどじゃないけれど、けれどその場をやり過ごせる服」が自分を守ってくれることもあります。「社会でやっていくうえで、自分が納得できる服」というのは見つけるのが困難なことも多いかと思うのですが、例えばひとつだけでも自分が好ましいと思えるアイテムを足してみたり、表に出せないとしたら自分にだけわかるところで遊んでみたりしているうちに、ちょうどいいところが見つかるかもしれません。
どんな属性の人が相手でも、すべては本人から聞いて初めてわかる
——さきほど、「お姉さん」と呼ばれるのがつらいというお話をお聞きしました。社会には、さまざまな人が生活していると思うのですが、自覚せぬまま誰かを傷つけることを避けるためには、どのようなことから始められると思いますか?
山内さん 「相手がどういう立場なのかを思い込まずに話すこと」が重要だと思うんです。例えば、結婚や子どもについて、相手の状況を勝手に決めつけて話すのは危ういことだ、と最近は認知されてきていますよね。女性に見えても、男性に見えても、ジェンダーアイデンティティをこちらで勝手に決めないこと。「すべては本人から聞いて初めてわかる」。そういう気持ちで人と接することが大事かなと思います。
ノンバイナリーの話に限ってお話しするならば、呼びかけの際に相手の在り方を決めつけないことでしょうか。名前がわからない相手に「お兄さん」「お姉さん」と呼びかけることはよくあることですが、ノンバイナリーの私にとっては違和感があります。とりあえずは、「あの…」と言って話しかけるなど、どんな方であってもOKな呼びかけを使っていただけるとよいかも知れません。
そんなふうに何気なく発している言葉を振り返って、自分の態度を見つめ直してみると、意外と社会には“決めつけ”が多いことに気づく方も多いのではないかと思います。まず、そのことを自覚することから始まるのかな、と私は考えています。
私もまた、自分自身が「決めつけ」に絡め取られていることに気づいて茫然とすることが多々あります。誰かを傷つけている/いたかも知れないことに向き合うのは難しいことですが、これからもつねに自分の態度を見つめ直していきたいですね。
取材・文/東美希 企画・構成/種谷美波(yoi)