今年3月にデビュー10周年を迎えたシンガーソングライター・藤原さくらさんが、yoiに再登場。前回は音楽活動の一時休止を経て得た気づきを明かし、多くの反響を呼びました。そこで今回は歩んできた10年を振り返りながら、人生のターニングポイントや現在制作中のアルバムに込めた想いを語ってもらいました。

藤原さくら

シンガーソングライター

藤原さくら

1995年生まれ、福岡県出身。シンガーソングライター。天性のスモーキーな歌声は数ある女性シンガーの中でも類を見ず、聴く人の耳を引き寄せる。 ミュージシャンのみならず、役者、ラジオDJ、ファッションと活動は多岐に亘る。 2025年3月にデビュー10周年を迎え、周年イヤーを飾る新曲「Angel」が配信リリース中。 2026年2月23日(月・祝)には、藤原さくら初となる武道館公演「藤原さくら 10th Anniversary 武道館大音楽会」を開催予定。

音楽に没頭するきっかけは、父からもらった一本のギター

藤原さくら インタビュー ポートレート

——今回は、デビュー10周年を迎えての振り返りをお願いできればと思います。まず、藤原さんが音楽に初めて魅了されたのはいつ頃だったのでしょうか。

藤原さくらさん(以下、藤原さん):父がベースを弾いていたので、子どもの頃から音楽は身近にありました。でも、自分から積極的に聴くようになったのは、小学生の頃に父から1万円くらいのギターをプレゼントしてもらってから。まわりにギターを弾く子なんていなかったので、「弾けたらカッコいいじゃん!」という軽い気持ちで始めてみたら、思った以上に楽しくてすぐに夢中になっていきました。

そして、ちょうどその頃に出会ったのが、シンガーソングライターのYUIさん。お姉ちゃんに「カッコいいから聴いてみて」とすすめられて、TSUTAYAの試聴機で「Rolling Star」を聴いた瞬間に衝撃が走りました。そこで初めてシンガーソングライターという職業も知り、もう夢はそれ一択に。それからは父に教わりながら、ギターの練習に没頭する日々を送っていましたね。

シンガーソングライター 藤原さくら インタビュー

——「シンガーソングライターになる」という夢がはっきりしてから、具体的にはどんなアクションを起こされたのでしょうか?

藤原さん
:中学時代は学生生活を満喫していましたね。でもある日、同世代でタップダンスをやっている友達に「今度ライブに出るから観にきて」と誘われて。

そのときに、友達が堂々と人前でパフォーマンスして自分のやりたいことを着実に実現させている姿を見て、「わたしも動き出さないと!」とすごくいい刺激をもらったんです。

それで高校1年の春からボーカルスクールに通いはじめました。スクールが主催しているショーケースのオーディションに参加した中で、今の事務所と縁があり、本格的に音楽活動をスタートすることになったんです。

——オーディションに挑戦するとき、不安はありましたか? 学校では、藤原さんのような進路を選ぶ人は少数派だったと思いますが、そういう立場だと挑戦を迷うこともあるのではないかと。

藤原さん:もちろん緊張もしましたし、挑戦する前は「私、大丈夫かな?  うまくいくかな?」とは一瞬不安になったこともあったと思います。

ただ、当時は高校1年生だったので、失うものもなくて(笑)。何事もやってみないとどうなるかわからない。それならいったんチャレンジしてみようというタイプなので、進路に対する大きな不安はなかったです。

それに父が音楽をしていたので、ミュージシャンを目指すことには家族も理解があったし、「どうにもならなかったら、福岡に戻ってきてまた考えればいい」と背中を押してくれたことも大きかったです。

多忙を極めたデビュー当時の支えはファンからの言葉

藤原さくら インタビュー 休養 

——2014年、高校卒業と上京を機に、オリジナルアルバム『full bloom』でインディーズデビュー。2015年春にはミニアルバム『à la carte』でメジャーデビューを果たすと、すぐにドラマ『ラヴソング』で俳優デビューもされました。

藤原さん:正直、デビュー当時のことはあまり記憶にないんです(笑)。メジャーデビューしてすぐにドラマ出演が決まり、演技はもちろん初めて。

しかも役柄が吃音の整備士だったので、整備を学びに行ったり、吃音の会に参加したり、さらにバイクを運転する役だったので免許を取ったり……とにかく新しいことに挑戦する毎日で、楽しくて刺激的でしたが、本当に忙しくて。

それまで歌手としては、レストランなど小さな会場で歌っていたのに、突然大きな会場でライブをするようにもなり、あまりに急激な変化についていくのがやっとでした。 

——そうした環境の変化や多忙な日々をどうやって乗り越えたのでしょうか。

藤原さん:やっぱり、20歳になりたてで何もわからないからこそ、あの目まぐるしい変化についていけたんだと思います。あとは、応援してくださる方々の存在を実感できたことが大きかったですね。

それこそ、ドラマの主題歌『Soup』をリリースしたとき、東京や大阪で握手会を開催したんです。そのときに直接「歌が支えになった」という声をたくさんいただいて、それがすごくうれしくて。

正直、当時は大変なことも多くて「もう無理かもしれない」って思った瞬間もあったんですけど、そうしたファンの方々との交流が多忙な日々を乗り越える力になっていました。

——もし今、その当時の自分に声をかけられるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?

藤原さん:なんて言ってあげたらいいんでしょうね……。でも、大変だったことはいっぱいあったけど、全部経験してからこそ気づけたことが本当にたくさんあるので、「失敗してもいいし、悲しんでもいい。全部やってよかったと思えるから、そのままでOKだよ」と伝えてあげたいですね。 

今、自分が持っているものにフォーカスするきっかけをくれた転換期

藤原さくら インタビュー 休養 理由

——メジャーデビュー以降のキャリアを振り返ったときに、藤原さんにとって最大のターニングポイントはいつでしょうか。

藤原さん:ターニングポイントはいくつもあって、ドラマもそうですが、やっぱり数年前に発声障害になったことが一番大きな転換点ですね。

それまでは、「頑張ればできる」「もっとこうなりたい」という向上心に突き動かされて走ってきました。もちろん、その気持ちは活動するうえですごく大切なんですけど、私の場合はちょっと空回りしてしまって……。

やりたいことはたくさんあって、理想とする自分像や仕上がりのレベルは高いのに、いつも「全然足りてない」と落ち込んでしまうことが続いていました。

でも、活動を一定期間休んで自分の思考のクセに気づくことができてからは、自分の足りない部分ばかりにフォーカスするんじゃなくて、「今、自分ができていること」に目を向けようと思えるようになりました。

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撮影/新田君彦(えるマネージメント) ヘア&メイク/筒井リカ スタイリスト/辻村真理 取材・文/海渡理恵   企画・構成/福井小夜子(yoi)