30歳で「卵子凍結」を決意したフィギュアスケーターの小松原美里さん。アイスショー出演のために一時帰国したスケジュールの合間を縫って、クリニックの受診と採卵準備を進めてきました。キャリアとライフプランの葛藤や受精卵ではなく卵子を凍結した理由など、「競技者としても、一人の女性としても、後悔はしたくない」という思いを語っていただきました。

小松原美里 卵子凍結 インタビュー

小松原美里さん

フィギュアスケート・アイスダンス選手

小松原美里さん

岡山県出身。小学4年生からフィギュアスケートを始める。2016年にティム・コレト(小松原 尊)選手とアイスダンスのカップルを結成し、2017年に結婚。同年に子宮ポリープが発覚し、滞在先のイタリアで手術を受ける。2018年から2021年まで全日本選手権4連覇を達成。2019年に練習中の転倒から脳しんとうを起こし、リハビリに努めた時期も。2022年には北京オリンピック代表に選出され、団体戦で銅メダルを獲得。私生活ではヴィーガンを取り入れ、地球環境にやさしい生活を心がけている。

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日本のアイスダンスを代表する“小松原組”として活躍する二人。2017年に結婚したパートナーのティム・コレト選手は、2020年に日本国籍と日本名(小松原 尊)を取得した。

「卵子凍結」は、今の自分にできる選択

──30歳というタイミングでの卵子凍結。どんな思いから決意されたのでしょうか。

2022年の北京オリンピック出場が決まる前に、“オリンピックに行けなかった場合の人生”を考えたことがあるんです。実力は伸びているから、まだ競技は続けたい。その一方で、女性としての漠然とした不安もあって。2026年に開催されるミラノ・コルティナオリンピックが終わる頃には33歳。それまでに準備しておけることはないかと調べる中で、スノーボード選手の竹内智香さんが卵子凍結されたことを知りました。「そんな選択肢があるんだ!」と驚いたし、すごくうれしかったのを覚えています。そして、その選択肢を“うれしい”と感じるほど自分は不安だったんだ、と気づけた瞬間でもあります。

妊娠・出産についての具体的なプランはまだ決めていません。母に孫の顔を見せてあげたいと考える自分もいるし、経済的なことも含めて授かる準備を整えられるだろうか…というのも正直な思いです。そして、世界には家族を必要としている子どもたちもたくさんいるので、養子縁組で養親(里親)になることも選択肢のひとつ。気持ちはその時々で揺れ動くけれど、それでいいと思っています。ただ、選択肢がないことで後悔しないように、“今できること”として卵子凍結を選びました。

──アスリートの場合、競技へのプレッシャーなどから生理が止まる人も多いと聞きます。

そうですね。アイススケートは体が冷えることに加えて、体重維持やストレスから生理が止まることも珍しくありません。私自身、生理がこないというだけで病院を受診することはありませんでした…今思えば、それも不安を感じる理由だったのかもしれません。

明日、何が起きても後悔しないようにベストを尽くしたい

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──「キャリア」と「ライフプラン」のはざまでの葛藤は、多くの人が経験する時間だと思いますが、小松原さんはどんなふうに向き合われてきましたか。

私の場合は、2019年に経験した大きなケガがターニングポイントになりました。リハビリをしながらメンタルトレーナーの先生と対話を重ね、「明日、何が起きるかわからないからこそ1日1日、今できることにベストを尽くそう!」と、考え方の軸が大きくシフトしました。その軸があったから、卵子凍結もまさに今の自分にできる選択だと思えたんです。

──競技のみならず、人生のパートナーでもある尊(ティム・コレト)さんとは、どんなお話を?

「卵子凍結って何?」っていうところから始まり、卵子の数は有限で年齢とともに減っていくこと、卵子のクオリティも変化していくこと、卵子凍結のシステムなどを説明したうえで、自分の思いを伝えました。彼も理解が進むにつれて、「それは今やっておいた方がいいね」という反応に変わっていきましたね。

受精卵ではなく、卵子の凍結を選んだ理由

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──将来的な妊娠への備えとしては、パートナーとの受精卵を凍結するケースもあるかと思いますが、あえて卵子(未受精卵)での凍結を選んだ理由を聞かせていただけますか。

卵子を体に戻したときの着床率(妊娠が成立する割合)は受精卵の方が高いと聞いて、すごく悩みました。でも、これはあくまで私が色々な選択肢をフラットに考えるためのもの。パートナーに強制することではないので、まずは自分の卵子を凍結保存しようと決めました。もちろん、人によって状況はまったく違うので選択はそれぞれ自由でいいし、誰が決めることでもないと思っています。

──“自分のための選択”ということは、もしパートナーがいなくても、あるいはアスリートでなかったとしても、卵子凍結をしていたと思いますか?

したと思います。もしスケートをしていなかったら、練習を休むことへの不安がない分、もっと早くやっていたかもしれませんね。ただ、オリンピックをめざすアスリートは4年ごとというわかりやすい区切りがあるので、決断のタイミングをとりやすい面もあるのかなと感じます。

AMH検査の結果にヒヤリとする場面も

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──卵子凍結に向けて、卵巣内に残っている卵子の数を推測するAMH(アンチミューラリアンホルモン)検査をされたそうですが、結果はいかがでしたか。

30歳の平均的なAMH値は3程度らしいのですが、私は0.76とかなり低く、数字だけでいうと40代半ばの方と同じくらいだそうです。オリンピックまであと3年なので正直、「検査や採卵はオリンピック後でもいいかな」という思いもありましたが、このタイミングで受けておいて本当によかったです。そして検査後から、卵子の成長を助けて排卵を促す排卵誘発剤の自己注射と内服薬をスタートしました。

──採卵に向けた準備は、アイスショー「Dreams On Ice 2023」の公演と同時進行だったそうですね。

そうなんです。クリニックで受診してから3日後にはパフォーマンスできるレベルまでコンディションを整える必要があったので不安でしたが、薬の量を調節しながら、いつもと同じようにパフォーマンスを楽しめたのはすごくうれしかったですね。体調も、ちょっと股関節がこわばるぐらいで、生理が重い日に比べたらまったく問題ありませんでした。アスリートの場合、ドーピング検査対策のために服用できる薬の成分が限られるのですが、主治医の先生やスケート連盟と相談しながらチェックを徹底できたことも、とても心強かったです。

──手術までのスケジュールは予定通りに?

最初は7月10日に手術予定でしたが、7月4日に2度目の受診をしたら卵子の成長スピードが想定よりも速かったようで、急遽予定を前倒しして7月7日に手術をすることになりました。

──手術前日は、ナーバスになったりしませんでしたか。

初診のときから先生が丁寧に説明してくださったので、不安よりも安心感のほうが大きかったです。体調も、お腹がちょっとチクチクして少し気持ち悪さがある程度でした。精神的な不安は、卵子凍結について一人で調べていたときのほうが大きかったですね。不妊治療や病気治療以外での卵子凍結に関する情報が全然出てこなくて、調べれば調べるほど不安が募っていましたから。


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▶︎続く後編では、手術当日の朝によぎった思いと採卵結果、卵子凍結を経験して感じたこと、そして小松原さんが思い描く“これから”について、じっくりお話を伺いました。

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取材・文/国分美由紀 撮影/岡本 俊 スタイリスト/平田雅子 ヘア&メイク/藤本 希