ジャーナリストとして世界中を駆け回る伊藤詩織さん。インタビュー後編では、世界各国での取材を続ける中で感じたこと、これまでの出会いから受け取ったもの、ことあるごとに書き加えるというバケットリスト(やりたいことリスト)や好きなエンタメまで、伊藤詩織さんの“今”を語っていただきました。
映像ジャーナリスト
映像ジャーナリスト。BBC、アルジャジーラ、エコノミストなど、主に海外メディアで映像ニュースやドキュメンタリーを発信している。2020年米TIME誌の世界で最も影響力のある100人に選出される。著書に『裸で泳ぐ』(岩波書店)『Black Box』(文藝春秋社)など。2019年ニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100」に選ばれる。2022年には「One Young World」世界若手ジャーナリスト賞を受賞。長編ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』が2024年サンダンス映画祭に正式出品され、世界各地で公開が決定。Yahoo!ニュースでFGMなどをテーマにしたショートドキュメンタリーを配信中。
「『君、お茶買ってきて』って言われたこともあります」
──世界各国での取材を続ける中で、ジェンダー差別など、女性特有の不自由さを感じることはありますか?
伊藤さん:女性だから、というだけで横柄な態度をとられることはあります。私はロイター通信の映像部からこの世界に入ったのですが、現場で他社の報道カメラマンに「俺はいつもA局の隣だからどけ」と言われたりしました。けれど、まともに取り合っていたら自分の仕事ができません。
海外のメディアと仕事をすることも多いのですが、私が監督であるにも関わらず、私の隣にいる白人男性のほうがパワー(権力)があると勝手に判断されることも少なくありません。日本である大学の教授に話を聞きにいったときは、私が監督なので現場でインタビューをしなくてはいけなかったのですが、教授は現場にいた白人男性スタッフと話をしたがって、「君、お茶買ってきて」って言われたこともあります。
──露骨すぎますね…。そうした場面における女性側の態度は、欧米と日本で大きく違うものですか?
伊藤さん:海外だと、「どうしてそういうことが言えるの?」ってちゃんと議論ができるから、女性側も言われっぱなしでいることはないですね。取材現場で「どけ」って言われても、どかずにしゃがんで「ここで撮りたいなら、上をどうぞ」って言ったり。
日本の場合、「敬語」という言葉の壁も関係している気がします。例えば、組織の上層部にいる人や年上の人に対して、敬語で話すことが一般的だとインプットされていますよね。相手を「さん」ではなく「先生」付けで呼ぶのもそう。実は、すでにその時点で関係性のアンバランスが生まれてしまうんですよね。だから私は、まわりの人に敬語撤廃を提案しています。
「民事裁判をやろうと決めたとき、ハルモニの言葉は大きな支えになりました」
──言葉によって関係性がつくられてしまうというのはわかる気がします。エッセイ『裸で泳ぐ』では、一緒に会社を立ち上げたハナ・アクヴィリンさんをはじめ、韓国の金福童ハルモニや赤木雅子さんなど、素敵な女性がたくさん登場します。彼女たちとの出会いから受け取ってきたものについても、ぜひ聞かせてください。
伊藤さん:もらったものはたくさんあります。例えば、生前お目にかかる機会はなかったけれど、元日本軍「慰安婦」と呼ばれ、日本政府に謝罪と補償を求めた宋神道(ソン シンド)ハルモニの「オレの心は負けてない」という言葉。
私が性暴力を受けて告訴した刑事事件が不起訴になり、その不透明なプロセスを含めた司法の“ブラックボックス”をオープンにするために民事裁判をやろうと決めたとき、彼女の言葉はすごく大きな支えになりました。ほかにも、これまでの出会いや言葉、いろいろな映画や本、音楽…そのすべてに何度も救われてきました。
──個人としても、ジャーナリストとしても、本当にさまざまな問題に向き合ってこられたと思いますが、伊藤さんの心の芯を支えているものは?
伊藤さん:やっぱり私は、物語の力を信じているんですよね。自分自身がいろいろな人の話や報道から学び、勇気づけられてきたし、音楽や映画、本にもいろいろなストーリーテリングがあると思う。誰かの、何かのストーリを伝えることの先には、どれだけ時間がかかっても受け取ってくれる人がいると信じているし、そこにすごく希望を持っています。
「当事者が声を上げないと次に進めないという状況は、もう終わりにしないといけない」
──ご友人であるフォトジャーナリストの安田菜津紀さんをはじめ、日本でも女性による問題提起やアクションが増えてきています。そんな日本の今を、伊藤さんはどんなふうに見つめていらっしゃいますか。
伊藤さん:あまり大きな主語では語れませんが、性暴力にまつわることでいうと、自衛隊内での性暴力被害を実名で告発した五ノ井里奈さんのケースや、ジャニー喜多川氏の事件などが、ようやく日本の大手メディアでも報道されるようになりました。でも、特に性暴力の問題において当事者が声を上げないと次に進めないという状況は、もう終わりにしないといけません。
2017年から世界中で起きた「#MeToo」ムーブメントによって、多くの国では性暴力に関する法改正がなされてきました。それなのに、いまだ当事者の声に頼っている日本の社会、司法制度はすごく問題だと思います。性暴力の問題が報道されるようになったことは大きな変化ですが、法律が変わらない限り、当事者が声を上げ続けなくてはいけない。その結果、誹謗中傷によるセカンドレイプなどが起こり、その人の人生は大きく変わってしまうので。
──性暴力を含めた多くの問題において、自分が今は当事者でないとしても、それは“たまたまそうなっていない”だけ。もしかしたら明日は自分や、自分の大切な人が当事者になるかもしれない。そんなふうに自分ごととして考えていくには、どんな視点やアクションが必要だと思われますか。
伊藤さん:「自分はどういう人間でありたいか」ということを今一度、自分自身に問いかけてみることだと思います。もちろん、日常生活の中でそうしたことに「目を向けない」という選択もひとつではあるけれど、今の社会で起きていることを見過ごしていたら、同じことが自分にも起きる可能性を受け入れたり、服従したりすることになってしまうと思うんです。それは必ず自分の人生に影響してくると思うので。ひとつひとつの選択は小さく見えるかもしれないけれど、それは自分がどう生きていくかにつながっていくと思います。
「叶えたいことがあって。それは、アマチュア選手としてキックボクシングの試合に出ること」
──自分がどうありたいかを考える時間って実はあまり持てていないのかもしれませんね。普段、伊藤さんがご自身の心や体のために取り入れているケアはありますか。
伊藤さん:今年は海外での映画公開で、毎日あるいは毎週移動するような仕事のスタイルが続いていて。時差もあるから思った以上に精神的にも肉体的にも負担が大きくて、これはどこかでリセットしなくちゃ!と5月に日本に帰国したタイミングでお遍路さんをしてきました。
2週間ほどかけて400km歩いたんですが、すごく楽しかった! だんだん体が慣れてきて長く歩けるようになったり、自然の中を歩いて足が疲れたら海に入ったり、1日歩いた後のお米のおいしさに感動したり。いろいろな考えの人とも会えるし、何より歩かないと終わらないっていうシンプルな経験が自分に合っていたんですよね。
6月は移動の間に時間をみつけて、ヴィパッサナー(インドの最も古い瞑想法で、10日間喋らない瞑想合宿コースなどがある)をするつもりです。
──人生のバケットリスト(やりたいことリスト)に最近、加えたものはありますか?
伊藤さん:バケットリストというより、叶えたいことがあって。それは、アマチュア選手としてキックボクシングの試合に出ること。アマチュアだから絶対必要ないのに、“入場ソングは…”とか“リングネームは…”とか妄想しながらトレーニングをしています。
私の師匠は、元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者の高橋藍さんと、プロボクシング元女子世界5階級制覇王者の藤岡奈穂子さんという素敵な女性たち。でも、最近ボクシングで日本の男性選手が世界5階級のチャンピオンになったとき、ほとんどのメディアが「“日本人初”5階級チャンピオン」って報じたんです。藤岡さんはもっと前にそれを達成しているのに。あの誤報は本当にショックでした。
「私が常に思うのは、シンプルに『You do you.』」
──女性のボクシング選手には光が当たりづらい現実や、メディアのバイアスを象徴するような出来事ですね。先ほど、これまで出会った映画や音楽、本にも救われてきたというお話がありましたが、普段はどんな本や音楽を楽しんでいますか?
伊藤さん:最近、本はミステリーが好きですね。たぶん現実逃避なのかも。音楽は偏っているんですが、アイスランドのアウスゲイルやトゥアレグ族のTinariwen、韓国のHYUKOH(ヒョゴ)、Awichも大好き。彼女の『どれにしようかな』を聴き踊りながら掃除機をかけるというのが一時ブームになりました。あとトルコの民謡も好き。言葉では理解できない音楽が心地よいです。いろいろ聴くというより、好きなアーティストをひたすら聴きますね。
──最後に、同じ時代を生きるyoi読者にぜひメッセージをいただけたら。
伊藤さん:私が常に思うのは、シンプルに「You do you.」。私ができることは私がやる。あなたができることはあながたやる、ということ。お遍路でも感じたけれど、一歩進んだだけでも景色は変わるし、それを繰り返したら自分が想像できない場所にたどり着けるなって。でも、その一歩を進めるのは自分。
うまく言葉にまとまらないけれど、もっと自分の足と体と目と感覚とを信じて進むこと。楽しむこと。あとは、自分が普段考えもしないことや絶対やらないって思うことを、1日1回でも1週間に1回でもやってみるとすっごく楽しいと思います。
──自分でかけたブレーキから解き放たれそうですね。
伊藤さん:そうですね。自然にかけていたブレーキっていっぱいあると思うから。それを簡単に外してくれるのは、冒険すること。いつもと違う世界、違う社会に触れることだと思います。でもそれって、スマホとかイヤホンを持たずに近所をゆっくり歩いてみるだけでも感じられるんじゃないかな。
撮影/垂水佳菜 取材・文/国分分美由紀 企画・構成/渋谷香菜子