ふとした瞬間に訪れる心の揺らぎと向きあうとき、そっと背中を支えてくれるような短歌を鈴木ジェロニモさんに選んでいただきました。「直接結びつくかどうかわからないんですけど…」と悩みながら真摯に選んでくれた7つの作品と、それらを収めた6冊の歌集&句集をご紹介します。
お笑い芸人・歌人
1994年生まれ、栃木県さくら市出身。プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024準決勝進出。TBS『ラヴィット!』の「第2回耳心地いい-1GP」準優勝。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞最終選考。ボイスパーカッションを取り入れたネタが特徴的。2022年より短歌のライブイベント「ジェロニモ短歌賞」を主催。2023年にプチ歌集『晴れていたら絶景』を刊行。YouTube動画「説明」が穂村弘氏、高橋源一郎氏に注目されるなどじわじわ話題になっている。
- 自己肯定感が下がっているときに読みたい歌
- 「できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるかっこいいから」
- 仕事で失敗してしまったときに読みたい歌
- 「指さしてごらん、なんでも教えるよ、それは冷ぞう庫つめたい箱」
- 失恋したときに読みたい歌
- 「出会いからずっと心に広がってきた夕焼けを言葉に還す」
- キャリアや将来が不安になったときに読みたい歌
- 「あの赤いプラダの財布よかったな買おうかな働いて働いて」
- 親との関係性がしんどいときに読みたい歌
- 「綿菓子のこころと牙のこころあり今夜どちらも見捨ててねむる」
- 日常で幸せを感じたときに読みたい句
- 「カツ丼喰える程度の憂鬱」(又吉直樹)
- 「小さいじゃがいもともっと小さいじゃがいも」(せきしろ)
自己肯定感が下がっているときに読みたい歌
「できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるかっこいいから」
平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』¥1818/本阿弥書店
鈴木さん この歌集自体、かなり独自の感じがあるというか、「短歌ってこうだよね」とか「こういう短歌がいいよね」みたいなものを、いい意味で振り払って走っていく強さがあるんですよ。言霊じゃないけれど、言葉にしたことによって背中が押される感覚ってあるなと思っていて。この「かっこいいから」はまさにそんな一言だと思います。
前半の「できたての一人前の煮うどんを鍋から食べる」ってすごく日常的にあり得る光景だし、いわゆる“素敵な人生”とか“丁寧な暮らし”みたいなものとは逆の印象を持つでき事ではあるけれど、実は本質ってそうだよなと。
丁寧な暮らしも、できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるという行為も、自分が「かっこいい」と思うからするという点では、どちらも日常の自分を肯定するためのでき事である、みたいな。もしかしたら空元気なのかもしれないけれど、無敵のかっこよさがあると思います。
仕事で失敗してしまったときに読みたい歌
「指さしてごらん、なんでも教えるよ、それは冷ぞう庫つめたい箱」
穂村弘『ラインマーカーズ』¥1045/小学館
鈴木さん 歌人の穂村弘さんは評論もされていて、「短歌における“よさ”って何ですか?」的な質問に答える場面も多いのですが、そのときによく「社会的な価値を反転させることができるのが短歌のよさです」みたいなことをおっしゃるんです。社会的には意味のあることがよいとされるけれど、短歌の中においては意味がないほうが、よさが増幅されることがあるんだと。
子ども同士や幼いきょうだいが話しているように見えるこの歌も、冷蔵庫を「つめたい箱」っていうのは社会的な意味としてはちょっと間違っているんですよね。中にあるものを冷気で冷やす箱ではあるけれど、冷蔵庫自体は冷たくないから。でも、彼もしくは彼女にとっては、「つめたい箱」というのが何よりも真実である。その真実性みたいなものが、短歌においては社会的な正解を凌駕する魅力を発揮する気がするんですよね。
この短歌自体は「失敗しても大丈夫だよ」というメッセージではないけれど、失敗した、つまり社会的には価値の低い選択をしちゃったときに、短歌が社会的な価値の反転を促してくれるものだと知っておくことで、もしかしたら違う捉え方もできるのかなって。
失恋したときに読みたい歌
「出会いからずっと心に広がってきた夕焼けを言葉に還す」
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』¥2420/港の人
鈴木さん 「心に広がってきた夕焼け」って、要するに「好き」という感情とか、その人と一緒にいるときの安らぎみたいなものだと思うんですよね。朝日ではないから、沈んで真っ暗になる可能性もあり得るけれど、このぼんやりとした明るさがずっとあったらいいのになという希望を見出すような気持ち。
この歌を読むと、実は太陽が沈むときの光よりも先に「夕焼け」という言葉が存在していて、当て字の逆、いわば当て状況として「夕焼け」という言葉にあの状況がフィットしていったんじゃないかと思ったりするんです。そう考えると、マイナスなでき事とか絶望も反転させられるというか。
それから、どの歌を読んでいても時間がゆっくり流れる感じがあるんですよね。直接的に効果があるかどうかはわかりませんが、失恋したときの「あぁ、寂しい」「あぁ、悲しい」となるまでの時間を少し保たせてくれる歌が多いのかな、と思います。
キャリアや将来が不安になったときに読みたい歌
「あの赤いプラダの財布よかったな買おうかな働いて働いて」
北山あさひ『崖にて』¥2200/現代短歌社
鈴木さん この歌集は、北山さんがご自身の人生をつねに直視し続けて作った短歌たちという感じがするんですよ。例えばキャリアや将来への不安みたいなものも、不安だから違うことを考えるんじゃなくて、むしろそれを直視し続けることによって自分で噛み砕いて飲み込む、みたいな力強さが感じられる歌集だなと思います。特にこの歌は「買おうかな働いて働いて」というのが、一歩一歩、自分の足を傷つけながらも、自分の手で取りに行く感じがある。
自分の未来って、まだわからないという意味ではすべてがフィクションだと思うんですよね。だから揺らぎが発生する。でも、現実の自分はこんなにも一歩一歩、確実に動くことができる。不安かもしれないけれど、「あの赤いプラダの財布」という未来に向かって今自分ができることは「働いて働いて」であると。
もしかしたら絶望的だとしても、たどり着く道はあるってことですよね。そして、それができる自分を信じている力強さがすごくある歌だなと思います。いい意味で、熱い少年漫画を読んだときのような感情になる歌集です。
親との関係性がしんどいときに読みたい歌
「綿菓子のこころと牙のこころあり今夜どちらも見捨ててねむる」
大森静佳『ヘクタール』¥2310/文藝春秋
鈴木さん この歌は、「綿菓子のこころと牙のこころ」という100%相似の関係性ではない、絶妙な心の状況を具体的に描き出しておきながら、それを捨てて、最終的には自分の心のために時間を使うことを選んでいます。言葉がとても美しい歌集ですが、おそらくそれは他人にどう思われようとか、自分をどう見せようとかじゃなく、大森さんが心のとおりに、自分のために歌をつくっていった結果たどり着いたものなんですよね。
親との関係性について僕が自分事として語るのは難しいし、どのくらい結びつくかわかりませんが…親のほうが年齢も上だし、敬うべきだと思うと親主体になりがちだけれども、親と過ごしているときの自分のために言葉や心を使うことが大事なのかなと。
すごくシンプルに言うと、親といるときの自分を主人公だと思えるかどうか、みたいなことだと思うんです。その感覚が、何か圧倒的なものに対する自分という小さな存在を肯定してくれる気がします。そのまま親との関係性にトレースできるものではないかもしれませんが、ひとつの捉え方として。
日常で幸せを感じたときに読みたい句
「カツ丼喰える程度の憂鬱」(又吉直樹)
「小さいじゃがいもともっと小さいじゃがいも」(せきしろ)
せきしろ×又吉直樹『蕎麦湯が来ない』¥1540/マガジンハウス
鈴木さん 歌集ではなく、自由立俳句(定型の5・7・5に縛られない俳句)をまとめた句集ですが、僕的には日常の幸せがたくさん入っている一冊。日常の幸せって、楽しいでき事、友達に会えてうれしい、ごはんがおいしい、とかいろんなパターンがあると思うんですけど、この又吉さんの「カツ丼喰える程度の憂鬱」って、「憂鬱だな」と思っていたけれど、そば屋に入ってカツ丼を食べた瞬間に「あれ? 憂鬱だと思っていたけど、カツ丼うまいって思えてるじゃん」みたいな。そういう日常の幸せの目盛りも存在すると思うんですよね。
せきしろさんの「小さいじゃがいもともっと小さいじゃがいも」も、別に幸せの象徴でもなんでもないけれど、この状況を再認識した瞬間の面白みの湧き起こり方がある。もし一日の中にこのでき事しかなかったとしても、「いい一日だった」と思えるかもしれないみたいな。そういう小さな認識を意識することで、わずかな微差すらも喜びだと認識できるようになるのかもしれません。
撮影/垂水佳菜 構成・取材・文/国分美由紀