1990年代、テレビでおじさんたちに怒り、そして喧嘩し、フェミニズムをお茶の間まで広めた田嶋陽子さん。「日本一有名なフェミニスト」としても知られている田嶋さんの功績を再評価する機運が高まっている今、改めてその功績をたどります。
1941年岡山県生まれ。静岡県で育つ。元法政大学教授。1991年に『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)に出演して注目を集め、その後はフェミニズム研究者として著書10数冊。またオピニオンリーダーとしてマスコミで活躍。還暦を過ぎてからは、シャンソン歌手、書アート作家としても活動。2023年、シニアハウスに入居したことが話題に。最新刊は『わたしリセット』(文春新書)。
フェミニズムは私のすべて
——社会問題への発信を多くされている作家の柚木麻子さんや山内マリコさんも田嶋先生のファンであることを公言しています。令和の今、田嶋先生から受けた影響を語る人たちについて、どう感じていらっしゃいますか。
田嶋さん:私のファンは、私と同年代か上の世代の人が多いと思っていたから、最近若い方から「本、読んでいます!」とか、「先生が出演しているテレビを見ていました」なんて言ってもらえるのはとてもうれしいです。
——90年代前半にはテレビ番組でフェミニズムについて語り、「男はパンツを、女はパンを!」などと発信し続けたことで、世間からバッシングを浴びたとお聞きしました。
田嶋さん:テレビ出演のオファーがあったとき、私は女性差別について知ってもらいたいと強く思っていた時期で、エッセイを書いたり講演をしたりしていました。当時、NHKの英語講座IIの番組を担当していたんだけど、そこではそんな話はできないじゃない。そんなタイミングで「笑っていいとも!」から出演オファーが来たから、とにかく「フェミニズムのこと、女と男のことを話せるなら」って受けたんです。
でもいざ出演してみたら、バラエティ番組の雰囲気に取り込まれてしまった。私の話は聞いてもらえないし、笑われるし散々でした。「もうこんな番組出るもんか」って怒り心頭だったんだけど、すごく説得されてフェミニズムの話をする条件で出演することに。
そこから10年くらいは、どんなオファーがあったとしてもフェミニズムのことが話せない番組には出ないと決めて、徹底していました。
——大変な思いをしてまでテレビに出続けられたのはなぜでしょうか。
田嶋さん:当時テレビで私は視聴率20%以上取ったことがありましたから、約2000万人が見ていてくれたことになります。書物でフェミニズムを訴えても初版2000部。影響力が違いますよね。
——フェミニズムについて発信したいというモチベーションが途絶えることはなかったんですね。
田嶋さん:小さな頃から嫌いで、認められなかった自分自身となんとかうまくやれるようになれたのもフェミニズムのおかげだし、フェミニズムは私のすべてであり、生き方の指針ですから。自分が自分であるために死に物狂いで得たものだから、ちょっとやそっとのことじゃめげませんよ。
はじめてのテレビ出演は50歳過ぎてからだったから、人格もできあがっていたし、根性がすわっていたのも続けられた理由かもしれません。そのときは軽井沢に家があったので、週末は軽井沢でテニスをして過ごして、心を癒していました。
——テレビでご自身の考えを発信し続けることで、バッシング以外にはどんな反響がありましたか。
田嶋さん:バッシングも色々ありましたけど、いいこともたくさん言ってもらえました。「今までわからなかったことがわかるようになった」とか、「社会を新たな視点で見ることができるようになった」とか。女性が涙を流しながら近づいてきて「わかってくれる人がいて本当にありがたかった」と、声をかけられたときはがんばってよかったなと思いました。
ある日軽井沢に向かう電車に乗ったら、男の子グループが座席に座ってたんです。そのうちの一人が私の顔を見て「おい! 足閉じろ」って仲間に注意したんです。ちょうどそのとき、テレビで「なんで男は大股かっぴろげて座ってんの、女はいつも縮こまってなきゃいけない」って話をしたばかりだったから。若い子たちにもちゃんと届いているんだって、体感できた瞬間でしたね。
おとなしくしていてはだめ! 連帯して声をあげて
——先生が発言することで、当時から少しずつ社会がよい方向に変わっていったように感じられます。
田嶋さん:ただ、番組で共演していたおじさんたちはひどかった。そのおじさんたちは、女性たちが解放され男と同じような権利を持つことがいちばん嫌だったの。女性たちを閉じ込めることでいかに自分たちが得をしているかをはっきりとわかっているからこそ、社会が変わっていくことにすごく抵抗していました。
だからハナから、私の話を聞こうだなんて思っちゃいないんですよ。こっちが一言なんか言っただけで、わーっと寄ってたかって否定しにくるので、会話を続けられない。いつも会話の途中で遮られてしまう。本当に悔しかった。
——2010年代後半に始まった#MeToo運動などを経て、少しずつ女性も声をあげやすくなってきましたが、まだまだ女性差別の雰囲気もはびこっているように感じます。この社会にどう立ち向かっていけばいいでしょうか。
田嶋さん:自分は何がどうなったら生きやすくなるか、よく考えたらどうでしょう。あなたたち、びっくりするくらいおとなしいじゃない! 自分は社会のこんなところがイヤなんだと、まず口に出し、文字に書き、表現することが大事じゃないですか? みんなでブウブウ言わないと! もっと声をあげないと! 選択的夫婦別姓だって、30年前から問題視されているのに、まったく実現しないです。
まずは怒っていることを、権力を持っている人間にきちんと理解してもらわないと。一人ずつ伝えると無き者として扱われてしまうかもしれないから、今ならSNSで発信して、まわりの人たちと手を取り合って連帯するのがいいと思います。
「わたしリセット」田嶋陽子 ¥1100(文春新書)
撮影/上澤友香 取材・文/高田真莉絵