中絶への無理解、母性への過剰な期待、そして自分の加害性に気づかない男性。鳥飼茜さんが『バッドベイビーは泣かない』で描いているのは、取りこぼされてきたものや、忘れられがちな存在です。そして、「わかりたくなかった相手」に歩み寄ったことで鳥飼さんが見つけたものとは。

笑える会話劇で、読んでくれる人の価値観をちょっと広げたい

——『バッドベイビーは泣かない』の登場人物の一人である、間戸かすみは、中絶を選んだ友人を責めてしまったことがきっかけで絶縁された過去を持ちつつ、自分が妊娠していなかったことには大喜びするという人物像です。
鳥飼さん:そうですね。身近な人や世間から「ひどいことである」と刷り込まれる行動や概念ってありますよね。その一つに「中絶」があると思うんです。
私たちの多くは反射的に「中絶はとにかく悪だ」、と考えてしまうことがあるのではないでしょうか。そして善意で「中絶しないほうがいいよ」という言葉をかけてしまうこともあるんじゃないかと。私は、予期せぬ妊娠をしてしまって危機的状況に立たされている人の気持ちを、他人が善意によってさらに追い込んでしまうということを描きたかったんです。
——本作には、子どもと離れて暮らすことになり、寂しさや後ろめたさを抱えている女性も登場します。鳥飼さんご自身も、現在は週末に息子さんと過ごすという生活を送られていますが、そのことへの葛藤を著書『恋愛みたいな恋ください』でも綴っていらっしゃいました。なぜ多くの母親たちは、子どもと離れて暮らすことに罪悪感を抱いてしまうのでしょうか?
鳥飼さん:先ほどの話とつながっていて、「子どもは母親と一緒にいる方がいい」という善意の価値観が常識として広まっているからですよね。私も、子どもにちょっとした問題が起こるたびに「私のせいなのかな、私が一緒に暮らしていないからなのかな」と考えてしまうことはあります。当事者たちに罪悪感を植えつけることを、“善意”が簡単にやってのけちゃうんです。
こういう人物を描いたのは、子どもと離れて暮らすという選択をした女性たちが、忘れられてしまっているのではないかと感じたからです。実際には、私も含めてそういう人はたくさんいるはずなのに。メディアの片隅で活動している立場として、取りこぼされてきたものや、忘れられがちな存在をきちんと描いていきたい。読んでくれる人の価値観を、ちょっとでも広げられるような作品を届けたいです。

「わかってあげたくない」から一歩踏み出す
——女性にとって妊娠、出産、育児は喜びだけではないことを、「モーニング」という男性誌で描いてくださっているのは一つの希望だと感じています。男性読者から反応はありましたか?
鳥飼さん:妊娠や出産は女性だけの話ではないのに、女性についての物語だとまだまだ思われているのか、今のところあまり反応を実感してはいないです。
もっと男性の人に読んでもらうためにはどうしたらいいのか、と担当編集者に相談したことがあったんです。そうしたら「女性のキャラクターに比べて、男性の人物像に厚みがない。もう少し男性読者に寄り添って、ちゃんと解説してあげたほうがいいのでは」という旨の指摘をされて。
その意見を聞いて反射的に「絶対嫌!」って拒否しちゃったんですよ。なんで今さら男性を理解して、寄り添うようなことをしなきゃいけないんだって思っちゃって。今まで男性に対していい思い出がなさすぎてこの人たちをわかりたくない、わかってあげたくなかったんですよね。
でもやっぱり今のままだと本当に読んでもらいたい人には届かないから、男性の生きづらさがテーマの本を読んだり、日常的に周りの異性を観察してみたところ、男性の特権性に気づいていない男性もいることに気づきました。改めて私なりの関心を寄せて男性像を描いた回(第4部冒頭の第25話)は結構面白いんじゃないかと自信があるのでぜひ読んでほしいです。

——「わかりたくない」という感情を見つめることで、男性の印象は変わりましたか?
鳥飼さん:性差別や権力構造の問題などを自分ごととしてとらえられる男性はまだ少ないのではないかと感じました。私は、ジェンダー不平等の問題を解決しないと、まわりまわって男性が抱えてきた不満や生きづらさも解決できないと思っています。
これまで私の周囲で、同世代の男性にこの話題を振ると自分のことを責められていると感じるのか、怒ってしまう人が多かったです。けれども、20代くらいだと話を聞いてくれる人も増えている気がします。下の世代には無理解による溝が広がっていかないように、お互いの辛さがしっかり社会に認められて良いほうに変わっていくことを、あらためて願いたいです。
『バッドベイビーは泣かない』(講談社)

既刊3巻 759円〜792円
撮影/松本直也 取材・文/高田真莉絵 構成/渋谷香菜子