『日に流れて橋に行く』
日高ショーコ ¥726/集英社(クッキー連載)愛蔵版コミックス
©️日高ショーコ/集英社
自分と向き合う小さな一歩が世界を拓く
時は明治末。御一新(明治維新)を経て急速に西洋化が進み、新しい時代がやってくる頃。日高ショーコ『日に流れて橋に行く』は、日本橋が現在も残る石造の橋に架け替えられた1911年から始まる。
東京・日本橋にあるさびれた老舗呉服店「三つ星」。家業を継ぐ予定ではなかった三男「虎三郎」が、謎めいた実業家「鷹頭」の力を借りて、百貨店へと業態を変え店の再建を目指していく──。第1巻には「新風を巻き起こす男たちのストーリー」と銘打たれている本作。確かに物語の中心には人たらしの虎三郎とクールな鷹頭がいて、しかも日高さんの描かれる男性たちはいつも大変魅力的だ。そこは間違いないのだけれど、本作での私の贔屓のキャラクターは、まだまだ女性店員が少なかった時代に、ときめきを力に小さな革命を巻き起こしていく「卯ノ原時子」のほうである。
傘屋の娘で、カタログから好きなファッションを切り抜いては自分のノートに貼り付けて楽しんでいる変わり者。女学校を卒業したものの、結婚せず家に引きこもりがちだった時子は、「洋装が似合う」という理由で鷹頭にスカウトされて三つ星で働きはじめる。どこか自信なさげで猫背の時子は、横浜のテーラー(洋服店)で、オーナーのミス・イネスにこう教わる。
〈服を着る時に大切なことは “自分”を知ること〉
そうして時子自身が選んだのは、ミス・イネスが着ているものと同じような「働くために着る服」! ミス・イネスも時子も、ファッションを通して何より仕事にときめいている女性なのだと伝わってくる瞬間だ。4巻に収録されたこのシーンで描写されるドレスはどれも素敵で、眺めているだけで幸せになる。でもそれ以上に、彼女たちの心の底にある「働きたい」というシンプルで強い欲求がまぶしくて、元気がわいてくるのだ。
「“自分”を知る」というのは、案外難しい。私は何が欲しいのか。何を選ぶのか。まして時子が生きているのは、女性が何かを自発的に考えたり発言したりすることが必ずしもよいこととはされていない社会だ。そんな場所で“自分”を知ろうと彼女は新たな一歩を踏み出していくわけで、それはもう新世界への冒険そのものだ。
「卯ノ原は虎と同じだ 我が強く思いつきを形にするのが早い」と時子の才能を見抜いて仕事をさせる鷹頭。時子に触発されて「あの子のように生きたいと そう思う女のひとが増えていくんだ」と筆を進めていく流行作家の「白石」。こうした周囲の男性のいろいろな思惑を、自然体の彼女がひょいと超えていくところも小気味がいい。三人の関係性の変化もこれからちょっと楽しみである。
現在、物語は8巻。いよいよ三つ星は改装して、新しい百貨店としてオープンしたところだ。100年前の日本で百貨店という場所がどれほど心踊るものだったか、そして女性にとって仕事がどれだけ魅力的なものだったか、想像している。
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。選考委員を務めた第25回文化庁メディア芸術祭マンガ部門ソーシャル・インパクト賞『女の園の星』トークセッションが公開中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works
文/横井周子 編集/国分美由紀