今週のエンパワメントワード「でもね知っておいてほしいの 一人の人間が与えられるヘルプには限りがあるってことを」ー『HEARTSTOPPER ハートストッパー』より_1

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』
アリス・オズマン作/牧野琴子訳 ¥1,320/トゥーヴァージンズ

どんなときも、そばにいる。その言葉から始まる長い旅

初めてアリス・オズマンの『HEARTSTOPPER ハートストッパー』を読んだときには、このかわいいマンガなに? って感じだった。

舞台はイギリスの男子校。14歳の少年「チャーリー」は、縦割りクラス(学年を超えて構成されたクラス)で知り合った一学年上の「ニック」と親しくなる。インディーロックや読書が好きでナード(オタク)なチャーリーと大型犬みたいな雰囲気のラグビー部員・ニック。正反対のようだけれど、一緒にいるとなぜかうれしくて、自分のままでいられる。そんな二人の友情はまもなく恋へと変わる──。

この作品の発明は、ときめきを落ち葉で表現したこと! チャーリーとニックの心が動くたびにページに葉っぱが舞い、言葉にならない感情を代弁する。細部の描写にも遊び心がある。部屋のポスターや読んでいる本、プレイリスト、MBTI性格診断からハリー・ポッターの寮の組み分け、スニーカーまで。彼らの「お気に入り」の描写はコミックスの随所にある。柔らかな描線もあいまって、国も時代も違うけれど、70年代後半に陸奥A子が描いていた「乙女ちっく」と呼ばれる作品たちを思い出す。読者との距離感が親密で優しいのだ。

そして『HEARTSTOPPER』は、メンタルヘルスについて大切なことを伝えてくれる作品でもある。LGBTQ +のキャラクターがごく当たり前に登場する本作では、セクシュアリティやアイデンティティ、友人関係、家族についてなど、身のまわりのさまざまな問題が丁寧に描かれている。

チャーリーはゲイであることをカミングアウトした際にいじめにあい、心に傷を負っている。心の痛みは遅効性で、しばしば落ち着いた頃にやってくる。第4巻では、大好きな人と心が通じて幸せなはずなのにチャーリーの摂食障害がひどくなる。助けたいけれどどうしたらいいかわからず悩むニックに、ニックの母はこう語りかける。

〈でもね知っておいてほしいの 一人の人間が与えられるヘルプには限りがあるってことを〉

このアドバイスは「それを知るのも愛なのよ」と続く。愛や恋だけでは心の病を“治す”ことはできない。そのことをニックが知り、チャーリーに寄り添いながら回復の道を静かに探るこの巻は、読みながらどうしても涙があふれる。ニックと母親の会話は16ページかけて綴られていて、メンタルヘルスをくずした大切な人に対して本人以外の人間ができること/できないことを考えさせられる。10代の子どもたちのまわりにこうした大人が存在する作品世界にほっとしつつ、たとえこの母親のような人が実際にはそばにいなかったとしても、作品を通じて、彼らの経験が、必要とする誰かに届けばいいなと思う。

アリス・オズマンは1994年生まれのイギリス人。17歳で最初の出版契約を結び数冊の小説を書いたあと、2016年『HEARTSTOPPER』をTumblrとWebコミックサイト“Tapas”で連載開始。クラウドファンディングによってコミックスを出版するなどして人気を獲得し、22年にはNetflixでドラマ化もされた(脚本をアリス自身が担当し、ドラマでももちろん落ち葉が舞っている)。

第1巻のあとがきでアリスは「多くの読者が『HEARTSTOPPER』に惹かれる理由は“心が温まる感じ”じゃないでしょうか。私がそうだからです。」と書いている。物語は次の第5巻で完結予定だそう。「マジカルで心温まる、クィアな喜びにあふれた物語をお届けします」という才気あふれる作家の約束を楽しみに、最終巻を待ちたい。

横井周子

マンガライター

横井周子

マンガについての執筆活動を行う。選考委員を務めた第25回文化庁メディア芸術祭マンガ部門ソーシャル・インパクト賞『女の園の星』トークセッションが公開中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works

文/横井周子 編集/国分美由紀