『BPM ビート・パー・ミニット』で知る、HIV問題と正しい議論のあり方

BPM ビート・パー・ミニット 映画 HIV エイズ LGBTQ

『BPM ビート・パー・ミニット』
U-NEXTで配信中 ©Céline Nieszawer

『BPM ビート・パー・ミニット』は、1990年代初頭のパリで、エイズ政策を変革するために闘った団体「ACT UP-Paris(アクトアップ=パリ)」を題材にした映画。当時はエイズ療法の開発が発展途上で、HIV感染者/エイズ患者に対する偏見や差別が蔓延していた時代。「HIV/エイズ=同性愛者の病」という誤解をとき、自分たちの命と尊厳を守るため、大胆な方法で抗議活動やデモを行っていたのがアクトアップ=パリだ。自身もその活動に参加していたロバン・カンピヨ監督は、「ナタン」と「ショーン」という二人の若い男性のラブストーリーを軸に、活動家たちの闘いを描く。

団体の中心メンバーであるショーンは、まだ10代の頃、初めてのセックスでHIVに感染していた。だからこそ彼は、自分のような若者を生み出したくないと啓蒙運動に尽力し、自分たちの命を守るため、製薬会社や政府への抗議活動や街中でのデモ活動に精力的に取り組む。新たにメンバーとなったナタンは、そんなショーンに急速にひかれていく。

アクトアップ=パリの活動内容は、毎週火曜の夜に開かれるミーティングによって決められる。そのミーティング風景がとにかくすばらしい。ミーティングに参加するためのルールは単純だ。発言したい場合は手を挙げ、指名されるまで待つこと。他の人の発言には拍手をせず、指を慣らして賛意を示すこと。そうすれば発言の邪魔をしなくてもすむから。そしてもうひとつ、体調が悪い人のために会議室ではタバコは禁止、吸うなら廊下で吸うこと。ただし、と進行役の女性はこう付け加える。〈廊下で議論はダメ。意見はすべてここで〉

活動に参加する人の多くは、ショーンと同じくすでに感染者となった人たちだが、ナタンのように自身は感染していないがこの問題に取り組みたいと参加する者もいる。またアクトアップ=パリはゲイ・コミュニティの団体だが、必ずしもゲイの人たちだけが参加しているわけではなく、HIVで汚染された血液を病院で輸血され、知らぬ間に感染していた人々とその家族も一緒に闘っている。

さまざまな背景を持った人々が参加するミーティングでは、しばしば激しい議論が起こる。なかでも、もっと過激な抗議活動をしたいと願うショーンは、穏健にことを進めたがるリーダーの「チボー」にしょっちゅう食ってかかる。ある日、いつも以上にピリピリした様子のショーンは、タバコを吸いに出た廊下でチボーたちに口論をふっかける。ナタンも加わり言い争いがエスカレートしかけたところで、会議室の中から鋭い声が飛ぶ。「議論はこっちでやって。廊下では禁止よ」。

どんなに意見が食い違おうと、話し合いが白熱しようと、会議室の中でならかまわない。そうすれば、参加者全員がいつでも議論に参加できるし、あまりにもおかしな方向に行けば進行役がストップをかけられる。でも一部の人たちが廊下で言い争うだけなら、それはただのケンカだ。どんなに相手に腹がたとうと、私たちはまず、同じ席につかなければいけない。考えの異なる人たちと対話し、議論を重ねるために必要なものは、最低限のルールと相手への敬意なのだと、この映画は教えてくれる。

けれど、あまりに強い怒りに囚われたショーンは、いつしかそのルールにさえ従えなくなってくる。もっと生きたいと渇望するがゆえに、どんどん仲間から孤立していく彼の姿が悲しく、悔しくてしかたない。彼を追い詰めたのは、病であると同時に、同性愛者を差別し蔑ろにしてきた社会だ。そんなショーンの支えになるのは、ナタンの献身的な愛と、仲間たちの連帯だ。映画は、生きる権利を賭けて闘う彼らの胸の鼓動を、しっかりと画面に刻みつける。

月永理絵

編集者・ライター

月永理絵

1982年生まれ。個人冊子『映画酒場』発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』編集人。書籍や映画パンフレットの編集のほか、『朝日新聞』 『メトロポリターナ』ほかにて映画評やコラムを連載中。

文/月永理絵 編集/国分美由紀