マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第17回は『花見小路北日記』作者の桃缶さんにお話を聞かせていただきました。

●『花見小路北日記』あらすじ
京都・花見小路の北側は歓楽街で、趣のある南側とは正反対。その北側で暮らす女子高生・美月は、知り合いのクラブ店長・ヒカルに源氏物語の代読を頼まれるが、「あはれ」という感情にピンとこない。ある日、舞妓を目指す小梅と京都を冒険した美月は、景色が普段とは違った見え方をしたことに気づく──。心に響く「あはれ」をひとつひとつ知っていく雅な成長ストーリー。
多忙な会社員&投稿時代。少し立ち止まることを自分に許そうと思った

©︎桃缶/集英社
──桃缶さんのnoteを拝見したら、投稿歴も含めたお仕事のお話がとても面白かったんです。今回はまずどんなふうに桃缶さんがお仕事をされてきたのかをお伺いしたくて。いただいたプロフィールによると、以前は外資系企業に勤務されていたとか。
はい、そうです。外資系は部署の再編や解体が多いので、本当にいろんな仕事をしました。業務管理もやりましたし、監査もITも。最終的にはデジタルマーケティングにずっと関わってきました。仕事はすごく好きだったので、コロナ禍がなければ今も会社員を続けていたかもしれません。
──働きながらマンガの投稿もされていたということですが、かなりお忙しかったのでは?
そうですね。でも、仕事に忙殺される経験がひとつの転機になりました。海外企業とのプロジェクトだったので、相手の国の時間に合わせてやりとりをしているうちに今が昼なのか夜なのかもわからなくなって。コンビニに行ったら、棚にチョコミントの商品がたくさん並んでいることに気づいて、「……もう初夏⁈」と衝撃を受けたんですよね。
いつ桜が咲いて、いつ散ったのかすらわからなかった。それまで「私はこのまま走り続けねばならぬ」と思っていたのですが、そこで危機感が生まれたんです。少し立ち止まることを自分に許そうと思いました。

©︎桃缶/集英社
──『花見小路北日記』では「いい風が吹いたなあ」みたいな何気ない感覚が丁寧に描かれていますが、どこか通じるエピソードですね。ちなみに桃缶さんという珍しいペンネームは、投稿時代につけたものですか。
もっと前です。この名前は、『進研ゼミ』にイラストを投稿していた子どもの頃につけました(笑)。実は、マンガの投稿は一度辞めているんです。仕事が忙しかったこともありますが、一生懸命描いても物にならなくて、何のためにマンガを描いているのか自分でわからなくなってしまったんですよね。
デビューのためなのか、担当編集者に認めてもらうためなのか…。それでいったん創作から離れたんですが、結局描きたい気持ちは再燃して、「何にもならなくてもいい。自分が楽しいから描くんだ」と思い直しました。そうしたらなぜかデビューが決まったという。
──デビュー作となる『テセウスの戦艦(ふね)』は青年誌「グランドジャンプR30漫画賞」で準入選となったSFです。
SF、特にサイエンスフィクションと呼ばれるジャンルがすごく好きなんです。田村由美先生や清水玲子先生が大好きで、ずっと憧れてきました。お二人の作品は、時に心がえぐられるほど、感情がリアル。そして、何度も読み返して気づくことや学ぶことがたくさんあるんですよね。私もそういう作品を創りたくて、ずっとマンガを描いています。

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ゆったり楽しむ「あはれ」をめぐる少女マンガ
──『花見小路北日記』は現代の女の子の成長ストーリーですが、源氏物語などの古典を取り入れたところに、今おっしゃった“学び”の要素もありますね。

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古文って面白いですよね。読めば歴史を感じるけれど、実は現代と重なるところもたくさんあって、千年たっても人間ってそんなに変わらないんだなということがよくわかります。このマンガではそういう部分もお伝えできたらうれしいです。
──京都を舞台にしたのはどうしてですか。
私は大学進学で京都へ行ってそのまま京都で就職したのですが、出会った人たちがみんな面白くて。京都の人たちは、私のように外から来た人を受け入れながら、昔からの暮らしを続けている。それが京都の文化の土台になっているんだと実感しました。
花見小路も、南側は観光で有名ですが、北側は地元の人たちが行き交う歓楽街。一本の道に両面があることにひかれて、生活感あふれる北側で暮らす人たちを描きたいとずっと思っていました。

©︎桃缶/集英社
──1巻の表紙はヒロインの美月ですが、印象的な表情ですよね。
表紙はちょっと日本画を意識しています。美月は古文に興味があったりして実は結構個性的な女の子だと思うんですけど、感情が表に出ないというか自己表現があまりうまくないんですね。そんな彼女が、これからいろんな人たちに出会って、彼女自身も知らなかった自分が徐々に出てくる予定です。美月の心の成長を、ゆったりお茶でも飲みながら見守っていただければうれしいですね。
──美月は、「あはれの文学」と呼ばれる源氏物語をきっかけに自分の心を動かす「あはれ」を探求していきますが、桃缶さんは「あはれ」をどういうものだと思いますか?
ひと言でいうのは難しいのですが…今のところイメージしているのは、ある程度時間をかけた先に感じることができるものなのではないか。スピードや手軽さが重視されていく世の中ですけど、それとは真逆のところにあるのではなかろうかと思っています。ちょっと歩をゆるめたり、時間をかけて外を見たときに感じられるものじゃないのかなあと思ってます。
──のんびりした気持ちでいるときに感じられる趣のようなもの。
景色とか、人の心の内とか、もっと言うとその日に手に取ったお皿とか、縁側に立ったときの光の入り方とか。一般的にどうかではなく、自分の心のままに美しいなって思えたらそれが「あはれ」なんじゃないかな。だから、美月がどんなものに「あはれ」を感じていくのかはしっかりと描いていきたいですね。
自分の心を知るツールとしての日記
──美月のように自己表現が苦手だと感じている人に、何かアドバイスはありますか?
割とみんな、他者に対してどう自己表現するかで悩みがちだと思うんですけど、極論、他人に対してはうまく表現できなくても別にいいんじゃないかと私は思うんですよね。ただ、自分の心を知るという意味では、日記を書くのがおすすめです。自分の中でどういう感情が巻き起こっているのか、それに対して納得しているのか、納得していないなら何がひっかかっているのか。そういうことをひとつひとつ書き綴るだけでもかなり整理されます。
──『花見小路北日記』の中でも、美月が日記を書きはじめましたね。
はい。日記って、基本的には自分しか読まないからこそ、自分の本当の気持ちを知るためのツールとしていいなと思います。

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──もう一人、本作には気になるキャラクターが登場します。何かと美月の世話を焼く、ちょっとミステリアスなクラブの雇われ店長・ヒカルです。
王道の美男美女の組み合わせは、一緒にいる理由がそれだけで十分わかる気がしてちょっとつまらない。逆に凸凹した二人が一緒にいると、何かその人たちにしかわからない、特別なつながりがありそうに見えますよね。そんなところから、下がり眉の女の子とクセの強い男っていう美月とヒカルのコンビを考えました。
──このコンビの今後も気になります。
まだどうなるかはわかりませんが、恋愛を描いているマンガはたくさんありますから、ちょっと違うものを描けたらと考えています。男女ではあるけれども、そしてこの関係性にどんな名前をつけたらいいのかもわからないけれども、でも確かにこの二人には絆がある。そういう二人になっていけたらいいですよね。

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漫画家
ももかん●秋田県出身。しし座A型。外資系企業に勤務、営業企画・IT・マーケティングなどを経験。『テセウスの戦艦(ふね)』でグランドジャンプR30漫画賞(第11回)準入選。その後『紅一献! ~恋、ひとしずく~』を「めちゃコミック」にて初連載。現在は「ココハナ」で『花見小路北日記』を連載中。
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。
■公式サイト https://yokoishuko.tumblr.com/works

『花見小路北日記』 桃缶 ¥792/集英社
画像デザイン/齋藤春香 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀