昭和から残る「昔からの価値観」と近年広まった「新しい価値観」、両者の板挟みになり、さらには、現実的に世の中で重視される「市場的な価値観」のプレッシャーも受けることで、つらさを感じる人が増えている今。さまざまな価値観からの圧力により、人を閉じ込めてしまう“ずるい言葉”が世の中には蔓延しています。その言葉に対する考え方や、言い返し方、逃げるための考え方を社会学者・貴戸理恵さんがバッサリ指南! 今回はプライベートで遭遇する言葉について。
社会学者
1978年生まれ。関西学院大学社会学部教授。専門は社会学、不登校の「その後」研究。。著書に『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版)、『「生きづらさ」を聴く――不登校・ひきこもりと当事者研究のエスノグラフィ』(日本評論社)等。
貴戸先生が分析する、現代の同調圧力とは?
価値が多様化しているはずなのに、同調圧力を感じて息苦しいのはなぜ? 背景には、3つの異なる価値観のせめぎあいがあります。①「女性は女性らしく」といった伝統的な価値観、②多様性を認めるリベラルな価値観、③競争に勝つことや売れることを重視する市場的な価値観です。これらが隣り合わせに存在し、対立したり結びついたりするなかで、「多様なのに同調を迫られる」という不可思議な状況が生まれています。特に、yoi読者に多い30代は、恋愛や結婚、子育て、仕事などの局面で「こうあるべき」とする規範に晒されやすく、身動きが取りづらくなっています。
ずるい言葉① 「まだ結婚しないの?」
──特に女性は、結婚を急かすような言葉をかけられることがしばしばあります。だいぶ減ってきつつはあるものの、コミュニティによっては、まだまだ「結婚しないの?」といったことを聞かれる、という話も聞きます。
貴戸先生:こちらは結婚するのが当たり前だという前提がある、「伝統的な価値」からの同調圧力ですね。1960~70年代は9割以上が結婚する皆婚社会でした。しかし今は4人に1人は結婚しない時代です。
基本的には無視していればいいのですが、親など大切な相手から言われて嫌な思いをするなら、「だって相手もいないし、忙しいし」等とごまかさずにしっかりと真面目に対応してみてはどうでしょう。
「それは私の問題であってあなたの問題ではない。いまじっくり考えているところ。心配してくれている気持ちは嬉しいが、ストレスがたまるからそういう言い方は今後しないで」と、相手の目を真っ直ぐ見て伝えてみるのです。
そうしても伝わらないなら、おそらく相手は変わりません。諦めて距離を取るのもひとつの選択肢です。
ずるい言葉②「結婚にこだわらなくてもよくない?」「なんで結婚したいの?」
──「結婚しないの?」という言葉とは逆になりますが、「結婚したい」と考えている人に対して、「(今の価値観では)結婚しなくてもいいのに、どうして?」といったような声をかけられる場合もあるようです。言われたほうは、「考えが古い人と思われているのかな?」と思ってしまう、という意見も。
貴戸先生:「一般的な話として、結婚しないことが認められやすい社会になった」ということと、「個人的な話として、自分が結婚したいかどうか」ということは、水準のちがう話です。そこを混同すると、自分は一般的な価値に立って、相手にだけ個人的なことを聞く構図になるので、ずるいです。
だから、相手にも個人的な話をしてもらいましょう。人に個人的な人生観を聞くなら、まずは自分の話をするのが礼儀。個人対個人の話の土俵に相手を引き込むのです。「◯◯さんは結婚したいと思わないの?」「同棲や事実婚、恋人を持つのはどう?」「それはなぜ?」などの質問をしてみることです。
そして、「そういう考え方もあるんだね。でも私は結婚する人生を選びたいと思っているの」と告げる。これでイーブンなやり取りになります。
ずるい言葉③「自分の機嫌は自分で取ろう」
──「自分の機嫌は自分で取ろう」「自分の機嫌を自分で取れるのが大人」。SNSでもリアルでも、そんな言葉を耳にすることがありますが、この言葉にプレッシャーを感じる、という人も。
貴戸先生:私もこの言葉は好きではありません。問題を「その人の機嫌」の問題に矮小化し、また、「個人で対処すべき」とさせる点で、ずるい言葉だと思います。
例えば、「お腹がすいて不機嫌になっている」という場合なら、自分で対処すればいい。でも、正当な理由があって怒りを抱えている人、例えば「正社員と同じ仕事内容で長時間働いているのに、給料が安い!」と怒る非正社員に、「自分の機嫌は自分で取れ」というのは、問題の本質から目を逸らす行為です。
また、“ハッピー産業”のようなものに結びつきがちな言葉でもあります。社会構造の矛盾でやりきれない思いを抱えている自分を、「いい香りのする癒しグッズ」などを購入することで何とかしよう、という消費行動の話になると、これは「市場的な価値観」からの圧力です。
自分で自分の機嫌を取ってその場をやり過ごしても、問題は解決しません。「私だって仕事をしているのに、家事育児の負担が夫よりずっと重いのはおかしい!」と怒っている妻は、分担による負担軽減を求めているのであって、癒しが欲しいわけではないでしょう。問題は蓄積し、いつか爆発します。
問題が起きたら、「機嫌」の問題にしてごまかすのではなく、どんな問題なのかを言葉にして、具体的に対処していくことが大切です。社会構造の話はすぐには解決しないかもしれませんが、自分は正当な怒りを抱えているんだ、という意識を持っていれば、仲間とつながる土台になります。
ずるい言葉④「(コンプレックスについて)個性として生かすべき」
──自分が気にしていることについて、「個性として生かすべき」と言われてモヤモヤした、という話もあります。ポジティブな意味で言っているとしても、言われた側はプレッシャーに感じることもあるようです。
貴戸先生:Vol.1のインタビューでプラスサイズモデルの例を出しましたが、例えば「太めの体型だって今は認められているのだから、個性として生かせばいいではないか」ということですね。そうしたくてするならいいけれど、周囲が押し付けることではありません。コンプレックスがあるなら、まずはその本人の思いから出発することが大事ではないでしょうか。
「個性として生かす」といっても、結局は「市場価値のあるものにする」ということ。すべてのコンプレックスがそうできるわけではありません。「一重まぶたやそばかすを生かす」はありえても、しわやしみ、荒れた肌などが「個性」になることはないですよね。
また、「個性として生かすべき」とされると、生まれ持った身体的特徴についてあきらめることが許されず、際限なく努力が求められ、自己責任とされてしまいます。これもまた、ずるい言葉です。
こういうときは、態度を曖昧にしておきましょう。コンプレックスをカバーしようとするときがあっても、「個性として生かそうかな」と思うときがあってもOK。いずれにせよ、他人からどうこう言われる話ではありません。
ずるい言葉⑤「あなたそんなキャラじゃないじゃん」
──お調子者のイメージが強い人が真面目な発言をしたとき、温厚な人が怒りを表明したとき…「キャラじゃない」の一言で封じ込めてしまうのも、同調圧力?
貴戸先生:これは「キャラを演じ合う関係」から離脱しようとする人を引き止める言葉ですね。相手も「キャラが違うよ!」と言うことで、つっこみキャラを演じています。「こうすれば、こうなる」という「お約束」のような関係です。
そこからはみ出す言動があると、「キャラが違う」と言って、もとの役割に引き戻すのでしょう。でも、本来人も関係も変化するものです。
演じ合う舞台から降りて関係を変えようと思うなら、「いや、キャラとかじゃなくて本気でそう思うだけ」と素で言ってみては?
ずるい言葉⑥「声を上げなきゃ」
──不当な扱いを受けた人が、声を上げやすい社会になってきた昨今。ですが、声を上げることを強要されることで、つらい思いをする人もいるかもしれません。
貴戸先生:「声を上げることが大切」とは、最近よく言われていることですが、不当な目にあった人に「〜しなきゃ」と圧力をかけるのは、どのような内容であってもNGです。
本人は傷ついていたり、混乱していることもありますから、まずは時間をかけて、心身の安定を取り戻すことが大事。問題に対してアクションを起こすかどうかは、その後に本人が考えて決めることでしょう。周囲にできるのは、そのためのサポートだけです。
傷ついている人にいきなり「声を上げなきゃ」と言う人は、「被害者が声を上げられない社会」に怒りを覚えているのかもしれません。その怒りは理解できますが、それなら自分の問題について自分が動けばいい。傷ついた人を、社会変革の手段にしてはいけないのです。
ですので、言われた側としては、安全確保のために距離を取るしかないと思います。対応しようとすると、傷つきがより大きくなるかもしれません。
ずるい言葉⑦「でも自分で選んだんでしょ?」
──失敗して落ち込んでいるとき、「でも自分が選んだんでしょ?」なんて言われてしまうと、「自分が悪かったのかな…」と思ってしまいますよね。
貴戸先生:彼氏や夫の愚痴を言ったとき「でもあんたが選んだ男じゃん」と言われたり、仕事で行き詰ったとき「自分で選んだ仕事なんだから」と言われたりして、口を封じられることがありますね。
でも、「選ぶ」とは何でしょう。人が何かを選べるのは、「それを選んだらどうなるか」がある程度想像できるときです。「今は甘いものが食べたいから、ポテトチップスよりチョコレートにしようかな」という具合に。
しかし、パートナーやキャリアの選択では、「この人・この仕事を選んだらどうなるか」があらかじめわかっているわけではありません。偶発性や未知の部分が大きい。「キャリアの扉には取っ手が向こう側に付いている」という言葉もありますね。自分から開けるのではなく、「たまたま開く」。
出会いや人間関係は選べないし、だからこそ面白いのです。そう考えれば、間違うことや思い通りにならないことはあって当たり前。「選んだ以上は自己責任」は違います。
イラスト/ふち 取材・文/東美希 画像デザイン・企画・構成/木村美紀(yoi)