できれば抱きたくない、隠しておきたい。なのに、どうしても心の中に生まれてしまう感情、「嫉妬」。新書『嫉妬論』を執筆された政治学者・山本圭先生に、嫉妬の本質や社会的背景、嫉妬や比較との健全な向き合い方などについてお聞きしました。
立命館大学法学部准教授
1981年生まれ。立命館大学法学部准教授。専門分野は政治思想史、現代政治理論。嫉妬という感情を古典や日常生活などのあらゆる方面から分析した新書『嫉妬論』(光文社)を執筆。その他の書籍に『不審者のデモクラシー』(岩波書店)、『現代民主主義』(中公新書)など。
嫉妬論/山本圭(光文社新書)
「嫉妬」とは古くから存在し、最も嫌がられている感情
——山本先生のご著書『嫉妬論』の中で、嫉妬はあらゆる感情の中で特に醜いものだと書かれています。怒りや恨みなどもある中で、なぜ嫉妬がとりわけ「醜い」とされるのでしょうか。
山本先生 まず、嫉妬心は歴史上、さまざまな哲学者や思想家から「最もよくない感情」と言われ続けてきました。嫉妬はキリスト教で「七つの大罪」のひとつとされていますが、その他の感情と比べても、いい面が何ひとつ見いだせません。
例えば、「七つの大罪」の中の、「憤怒」や「怠惰」などは状況次第で有益になる場合があります。たとえば怒りから社会正義を求めたり、怠けることによって疲れた体を休ませることもあるでしょう。
しかし、嫉妬心にはそういった利点がない。なぜなら嫉妬とは「他人の幸福や成功を、自分の利益と関係ないにもかかわらず、やっかみ、失うことを切望する」という感情だからです。そのため「嫉妬をどうこねくり回しても、いいことはひとつも出てこない」というのがほとんどの哲学者の結論です。
——そうなのですね…。現代においても嫉妬には、悪い点しかないのでしょうか。誰しもが抱いている感情だとすれば、プラスに変えられると、とても力になるようにも感じます。
山本先生 あまりプラスな評価はみられないのですが、しいて言うなら、哲学者のフランシス・ベーコンが「社会改革の道具となり得る」という趣旨の議論をしていることでしょうか。公職者が民衆の嫉妬を恐れるあまり、社会の不平等をいくぶん是正するという可能性はあるかもしれません。
嫉妬は「自分より少し待遇のいい隣人」との比較によって生まれる
——そもそも嫉妬とはどのように生まれるのでしょうか。
山本先生 「比較」は、嫉妬心を考えるときの最も重要なキーワードです。自分の立ち位置を確認する際に参照する集団を社会学では「準拠集団」と呼びます。その集団は、「年齢、場所、地域、立場、世の評判などで自分に近い者たち」であり、自分の行動や選択と強く結びついています。例えば「会社の同期」「同業の友達」「学生時代の友人」「ママ友・パパ友」などでしょうか。その「準拠集団」にいる人たちと自分を比較し、自分よりも少し待遇のよい人がいるとそれが妬みにつながります。逆に言えば、自分とまったく関係のない世界的大富豪ビル・ゲイツのことを本気で妬む人はいないわけです。
わかりやすい例え話をすると、僕は京都にある大学に勤めています。なので、関西の大学群である「関関同立」が準拠集団になっていて、それらの大学で給料が上がったと聞くとおそらく嫉妬します(笑)。けれど以前、中国地方の大学に勤めていた頃は、関西の大学の給与体系なんて気にしたことはないわけですね。上がったと聞いても漠然と「いいな〜」と思うくらいでしょう。同じカテゴリーにいないので、そもそも比較の対象にならないわけです。
——自分と近い立ち位置、つまり比較できる立ち位置にいる人に対して嫉妬が生まれやすいということですね。
山本先生 そうです。ですが、今の社会は、さらに嫉妬を刺激しやすい状態だと感じます。やはりインターネットの存在は大きい。これにより、普段比較をしないような相手とも容易に比較ができるようになりました。
「嫉妬」や「比較」はなくせない。だったら評価軸のバリエーションを増やし、比較を複雑にすればいい
——確かに情報化社会は「むやみに比較してしまう」という問題点を抱えていそうです。現代は嫉妬を刺激しやすい社会になっているのでしょうか。
山本先生 そうですね。例えば、「SNS」が嫉妬を刺激しやすいのは、皆さん思い当たる節があるのではないでしょうか。SNSの登場で、共通点がありそうな、見知らぬ人とつながることが容易になり、無限に誰とでも比較できるようになりました。知らなくてもいいはずの他人の幸福や成功を目にしてしまう。フォロワー数やコメント数、あるいはインプレッションといった数値化も、嫉妬心を刺激する要因になるでしょう。
——確かに、SNSがなかった時代と比べて嫉妬心を生む素のようなものを見つけやすくなった気がします。このような社会で、醜い感情である「嫉妬」から抜け出すには、どうすればいいのでしょうか。
山本先生 まずは、嫉妬は簡単になくせるものではないことを知ることです。よくある自己啓発本などでは「他人と比較するのをやめよう」と書かれていたりしますが、「比較をやめよう」と言われたところで、「はい、わかりました」と素直にやめられるのか…? 言うは易しですが、やめられないから厄介なわけで… 嫉妬心の本質をとらえきれていないと感じます。
ではどうするか。例えば「どうやっても嫉妬心は生まれてしまう」ならば、社会全体に「評価軸のバリエーション」を増やすことで、いくぶん嫉妬心がやわらぐのではないでしょうか。ある特定の基準だけで物事を評価するのではなく、その軸を多様にし、自信の持ち方の種類を増やす。そうして、比較を「複雑化」するということです。
漫画『寄生獣』のセリフで、印象に残っているものがあります。『お互いの戦力を「強さ」や「大きさ」だけで比較するのではなく、「形」や「色」や「におい」でも比べてみる』*というものです。主人公らはこの通りに戦略を立て、善戦します。自分の自信に繋げられる何かを評価軸にしてみる。そうすれば多少は嫉妬心を散らすことができるのではないでしょうか。 *『寄生獣』(岩明均/講談社)
素直に嫉妬心を小出しにしてみよう
——評価軸の多様化が必要なのですね。では、嫉妬で悩んでいる人が、個人で手軽にできる、具体的な嫉妬心の抜け出し方はありますか?
山本先生 これは私の共同研究者が言っていた対処法ですが、素直に嫉妬を小出しすること。ネタになるうちにあっけらかんと「いいなー」「羨ましい!」と本人に伝えてしまうんです。妬みがまだ小さいうちに、外に出してしまう。
ただこれには、内容や相手の選定が必要ではあります。相手が間に受けてしまったり、もし悪い賛同者が現れたら、陰で一緒に愚痴を言うようになり、大きな嫉妬心へと育ってしまうパターンもありえます。
ですので「ネタにできる範囲」で「ネタにできるうちに」が鉄則です。見極めは少し難しいですが、秘めた嫉妬が手に負えなくなるよりも、いくぶん健やかなやり方だと思います。
イラスト/oyumi 取材・文/東美希 企画・構成/種谷美波(yoi)