ここ数年、ネットを中心に「メンヘラ」という言葉をよく聞くようになりました。「メンヘラ女子」「メンヘラ男子」などと、精神的に不安定な人や弱い人に対して、差別的なニュアンスで使われることもあるようです。そうした状態になることは誰にでも起こりえますが、メンタルに不調を抱えている人や、精神疾患に対して見持っている人はまだまだ多いと精神科医の藤野智哉先生は言います。メンタルヘルスについて、多くの人の正しい理解が広がるほど、生きやすくなる人が増えるはず。改めて「メンヘラ」という言葉の意味やとらえ方について伺いました。

メンヘラ イメージ

藤野智哉先生

精神科医・産業医・公認心理師

藤野智哉先生

秋田大学医学部卒業。幼少期に罹患した川崎病が原因で、心臓に冠動脈瘤という障害が残り、現在も治療を続ける。精神鑑定などの司法精神医学分野にも興味を持ち、現在は精神神経科勤務のかたわら、医療刑務所の医師としても勤務。SNSやメディアを通じ、障害とともに生きることで学んできた考え方と精神科医としての知見を発信。著書に『「自分に生まれてよかった」と思えるようになる本 心が軽くなる26のルール』(幻冬舎)『自分を幸せにする「いい加減」の処方せん』(ワニブックス)、『精神科医が教える 生きるのがラクになる脱力レッスン』(三笠書房)など、最新刊に『「誰かのため」に生きすぎない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。

「メンヘラ」という言葉の意味や特徴は?

──「メンヘラ」という言葉は、2010年頃にインターネット上で生まれたといわれています。一般的に「メンタルヘルス(心の健康)に問題のある人」を指すことが多いようですが、「依存体質な人」「ネガティブで面倒くさい人」といったニュアンスでも使われることがあるようです。

藤野先生:医療従事者の立場からすると、あまり気持ちのいい言葉ではないという印象があります。ネットから流行した言葉ということもあって、いわゆる「メンヘラ」と呼ばれる症状の裏側に精神疾患が隠れていたとしても、軽く考えてしまったり、「私って、メンヘラだから」と、それを自分のキャラクターにしてしまったり、ということも考えられます。

例えば、ネットでメンヘラという言葉を使い、注目を浴びるような発言をすればたくさん反応が返ってくるでしょう。現実には居場所がなくてもネット上では誰かが自分の相手をしてくれるわけです。そのうちそれが自分のアイデンティティになってしまい、そうした状態から抜け出すのが難しくなってしまう。周りも「あの人って、メンヘラだよね」で済ませてしまい、たとえその人が精神疾患を抱えていたとしても見逃されやすくなってしまいます。

一方で、言葉が流行ることで、自分に目を向けたり、家族にメンタルについて相談したりするきっかけができるのはよいことだとも感じています。最近だと、「HSP」(※)という言葉をよく聞くようになりましたが、「もしかしたらHSPかもしれない」と自ら精神科に来る人もいます。HSPは病気ではなく、その人の特性や気質とされているものなのですが、その背景に精神疾患が隠れている場合もあり、それがスムースに治療に結びつくといったことは考えられます。

(※)Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略。生まれつき「非常に繊細な人」「非常に感受性が強く、敏感な気質を持った人」という意味で使われる

「メンヘラ」の影に隠れているかも?「境界性パーソナリティ障害」とは

──藤野先生によると、「メンヘラ」といわれる行動や症状の裏側には、精神疾患が隠れている場合もあるといいます。例えば、「境界性パーソナリティ障害」などとも重なる点があるそう。

藤野先生:「メンヘラ」という言葉から世間の人が想像するとき、気分の浮き沈みが激しい、人を振り回すような発言や行動をする、恋人から返信がないと大量のLINEを送る、そんな人が浮かぶのかなと思います。これは境界性パーソナリティ障害の特徴である、見捨てられ不安や虚無感などから生じることもあります。

【境界性パーソナリティ障害の具体例】

・気分の浮き沈みが激しい
・怒りのコントロールができない
・自傷行為を繰り返す
・見捨てられ不安が強い
・慢性的に虚無感がある
・0か100か思考
・理想化とこき下ろし


など

藤野先生:「境界性パーソナリティ障害」は、だいたい人口の1~2%ほどいるといわれていて、特に若い女性に多くみられます。主な要因は持って生まれた先天性の気質や、不安定な生育環境なども影響するといわれています。特徴としては、見捨てられ不安や虚無感のほかに、怒りの制御が利かない、0か100かの極端な思考、相手に対する理想化とこき下ろしなどがあります。例えば、「この人は味方だ!」と思った瞬間一気に距離を縮めるけれど、何か気に入らないことをされると、「お前は敵だ!」と激しく怒りをぶつけたり大騒ぎしたりして、周りの人を振り回すという点が境界性パーソナリティ障害の大きな特徴だといえます。

境界性パーソナリティー障害 女性 イメージ メンヘラ

藤野先生:ただ、こうして考えてみると、意外と自分にもこんな特徴があったりしませんか? 人はみんな怒りっぽいとか不安になりやすいとか、さまざまな性格、気質を持っていて、多かれ少なかれ差異があります。パーソナリティの障害というのは、平均からのズレであって、「自分や周囲が悩むもの」という曖昧な定義からもわかるとおり、どこからが「障害」か、という線引きが非常に難しいものなんです。

例えば「うつ病」のように、そのまま放置すれば悪化し、命に関わるような場合は、明らかに治療が必要な病気だと考えられます。なかには強制入院をしなくてはならないケースもあるでしょう。しかし、境界性パーソナリティ障害は、本人や周りの人が困っていなければ、必ずしもそうした治療が必要だとは言えません。その点では発達障害にも近いものだと考えてもらうといいかもしれません。

「メンヘラ」という言葉に含まれる社会的な偏見

──日本では、精神疾患を持つ人に対する偏見や、精神科にかかることへの抵抗感が根強くあると藤野先生。その原因にはどんなことが考えられるのでしょうか?

藤野先生:
ひとつは
みんながメンタルヘルスや精神疾患に対して無知であること。そのため、精神疾患は縁遠いものだと考えている人は多いようですが、誰もが精神科の病気になる可能性があるのです。うつ病になった患者さんのほとんどが「まさか自分がなると思わなかった」と言います。

例えば、恋人に大量のLINEを送ってしまうような人に対して、何も知らなければ、「ヤバい人」「病んでる人」と決めつけてしまうかもしれません。もし「境界性パーソナリティ障害」について知識があったなら、「見捨てられ不安からそうした行為をしてしまうのかもしれない」という発想が生まれます。そこまでの知識は難しいにしても、少しでも精神疾患について知っていることがあるならば、相手を理解しようという気持ちも生まれるのではないでしょうか。

●考えや発想をアップデートしよう

藤野先生:日本人は「普通」とか「平均」を非常に重要視する傾向があります。そこからズレることにやっぱり不安になりやすい。そして、「メンヘラ」といわれる状態は、精神的な波の影響も大きく受けます。生きていれば多かれ少なかれ誰でもあるはずなのに、そうした波があると病気ではないかと心配するし、「普通ではない」と思ってしまう。また、昔からある「強くあるべき」というような根性論も弱者に対して偏見を生みやすい考えです。「追い込まれて成長する」といった誤った考えによって、学校や会社で一体どれぐらいの人が潰されてきたでしょうか。多様性が重要視されるようになった今、私たちも考えや発想をアップデートする必要があると感じています。

●個人の力だけが大切なわけじゃない

藤野先生:人の「強さ・弱さ」を考えたとき、それは、同じストレスを受けたときに、いかに上手に受け流せるか、そのコツを知っているかどうかです。最近よく取り上げられるのが、「レジリエンス」という言葉です。それを説明するために、よく人を木に例えて、ストレスという風を受けたときに、いかに枝や幹をしならせて受け流すかという話がされるのですが、それだけではないと僕は思っています。

レジリエンス 風に吹かれる木のイメージ メンヘラ

藤野先生:例えば、風よけのフェンスを立ててくれる人がいるのか、折れそうな木に添え木を立ててくれる人がいるのか、また、その木の横に、別の木があれば風は分散しますから、一緒に立ってくれる人がいるのか。そんなふうに周囲の環境の要素がすごく大切で、個人の強さに依存しすぎる発想は少しズレているように感じます。その人の心が折れてしまったとき、「弱かったから」ではなく、「誰も支えてあげなかったからだ」ということを、周りは考えなくてはいけないと思うんです。

自分や身近な人が「メンヘラかもしれない」と思ったときにできること

──自分が「メンヘラ」ではないかと不安になったとき、いきなり精神科にかかるのはハードルが高いと感じる人も多いでしょう。そうした場合、まずはどんなことができるでしょうか?

藤野先生:
先ほどお伝えしたように、「メンヘラ」といわれる状態であること自体が病気だとは言い切れません。本人や周りがそれについて困っていないのであれば、無理に治す必要もないでしょう。大事なのは、自分を変えたいと思っているかどうかです。思っている場合は、「メンヘラ」といってもいろんな特徴がありますから、毎回人間関係がうまくいかないとか、周りの人を振り回してしまうとか、自分は何に困っているのかを見つめ直してみることが、自分を変えていくきっかけになることがあります。

●自分の思考の癖を見直す

藤野先生:自分が何に困っているのか、どうしたらいいのかを一人で考えるのが難しければ、専門家の手を借りるのもおすすめです。精神科や心療内科のカウンセリングの多くは、病気の治療が対象になりますが、病院だけでなく、臨床心理士・公認心理師が開いているカウンセリングルームなどもありますので、そうしたところで相談するのもいいでしょう。カウンセリングもいろいろありますが、ただたくさん話をしてスッキリするというだけではなく、「こういうときに、自分はこう考えたり、こんな行動をとったりしてしまいがち」という、自分の思考の癖を見つけ修正していく作業ができるところが望ましいですね。

カウンセリングは大袈裟だからと、家族や友人、恋人などに相談するのはおすすめしません。どんなに親しい人であっても頼られた側はすべてを理解できないし、距離感を保つのも難しい。境界性パーソナリティ障害が隠れている人のなかには、少し嫌なことを言われると「理想化とこき下ろし」が発動してしまう人もいて、それによって人間関係が壊れてしまうことも考えられます。

ネット上には「メンヘラ」と呼ばれる人や、自分をそう名付けている人同士が集うコミュニティもあるようですが、自分を変えたいと思っているのであれば、こうした場所を拠り所にするのも避けたほうがいいでしょう。互いに振り回し、依存し合い、抜け出せなくなってしまいます。今はこれでいいと思っている人も次第にそれが苦しくなってしまうことが多いようです。

●「中庸」を理解する

藤野先生:「0か100か思考」をしてしまいがちで、人間関係がうまくいかなかったり、何かと深刻に考えてしまったりする人は、「100%の味方なんていない、0と100の間に70くらいの立ち位置の人がたくさんいるんだ」「白か黒かだけじゃない、グレーもある」ということを繰り返しフィードバックして、「中庸」という考えを理解していくことも大切です。

●セルフラブを身につける

藤野先生:自分から人が離れていかないよう、性的逸脱したり、自傷したり「見捨てられ不安」が強い人は、背景に自分に愛される価値があると十分に思えていないことが考えられます。セルフラブ(自分の価値を認め受け入れる自己受容)があれば、人の一挙一動で、心がブレずに済むはずです。

ただ、自分に無関心な人は本当に多いと感じます。最近、何かイライラしがちだなとか、歯を磨くのもしんどいなとか、料理するのがつらいなとか、郵便物が開けられなくなってきたなとか、日常には多くのメンタル不調のサインが隠れています。それでも多くの人は、ある日急にバタンと倒れてやっと自分が無理をしていたことに気がつくのです。日頃から自分のひとつひとつの変化にちゃんと目を向けられていたなら、こうしたことは避けられるでしょう。

●家族や身近な人を「メンヘラ」ではないかと思ったら?

藤野先生:家族や恋人、友人など身近な人が「メンヘラ」だという場合、振り回されて困っている人も多いでしょう。大切な人だからこそ、相手の要望をすべて叶えようとしてしまいますが、逆にそれが事態を悪化させてしまっていることも。周りの人は正しい知識や対応の仕方を身につけていく必要があります。

ひとつは、相手を思うからこそ、あえて心を鬼にして距離をとること。誰かのために何かをしてあげようと思いすぎないことが大事で、たとえ家族であっても他人だという意識を持つようにしてほしいのです。本人が望んでいないのに病院をすすめるというのも、相手の領域に足を突っ込むギリギリのラインだといえるでしょう。ただ、「こうしろ」とか「こうしてほしい」と強制するのではなく、「私はあなたがつらそうなのを見てこう思う」と、自分の気持ちを伝えるのは大切です。

「メンヘラ」であっても、精神疾患を抱えていても、心地よく生きていくには?

──「メンヘラ」といわれるような特徴があったり、精神疾患を抱えていたりしても、できるだけ心地よく生活していくには、本人や周りがどのようなことを心がけるといいのでしょうか?

藤野先生:たとえ「メンヘラ」の背景に精神疾患があったとしても、僕はそんなに大ごととして意識しなくてもいいと思っています。それが自分にとってただの“ズレ”で、困っていなければそのまま生きていけばいいし、困る疾患であるならば治療をすればいいという答えが見えています。精神科の疾患でも治療や内服を正しく行えば日常生活に影響はないという方は多いですし、「薬を飲まなきゃいけないなんて」といっても、それは、血圧の病気のために薬を飲み続けることと何ら変わりないことです。

セルフラブ メンタルヘルス イメージ メンヘラ

藤野先生:セルフラブについても伝えましたが、ありのままの自分をそのまま受け入れられたらいいですよね。例えば、僕は家の中がまったく片づけられないのですが、これもいわば「平均からのズレ」だと自覚しています。でも、それを気にしてはいません。そういう自分で生きていく、というだけです。

肝心なのは、自分がどうなりたいか、自分がどう生きたいかという目標を持つこと。自分の幸せの形をしっかり知っておくことが大切です。「私はおいしいものが毎日食べられたら幸せだ」というならそれでいいだろうし、「愛する犬がいたらそれで幸せ」という人もいるでしょう。そこがはっきりしていれば、自分が平均からズレていることなんてどうでもよくなってしまうはずです。平均に近づく方法を考え悩むより、自分がどうなりたいか、どんな人生を歩みたいかということに、ぜひ目を向けてみてほしいなと思います。

取材・文/秦レンナ イラスト/Rei Kuriyagawa