オンラインツールやSNSが普及し、コミュニケーションが複雑化する今、日常の何気ない雑談をする機会は減っていないでしょうか? つながり疲れや、孤独感など、それぞれが抱える悩みも多様化する現代で、「ケア」的な対話が持つ可能性を模索する精神科医・斎藤環さんにお話を伺いました。

雑談は「ケア」的コミュニケーション
──前編では、シスターフッドといった、弱さを開示して、悩み相談をし合う「ケア」的なつながりがメンタルヘルスの健康に大きく役立つとおっしゃっていました。斎藤さんは対話によって患者さんの症状を緩和する「オープン・ダイアローグ」という手法を取り入れていらっしゃいますが、何気ない日常の雑談も「ケア」になるのでしょうか?
斎藤環さん(以下、斎藤):私の考えでは、雑談はコミュニケーションとしては、非常に情報量が少ないのが特徴です。
何かを教えたり、教えてもらったり、相手を説き伏せたり、論破するような会話ではなく、互いの親密さを確認し合う、とても「ケア」的なコミュニケーションと言えると思います。
とはいえ、人によってはマウンティングをしようとする人もいるので、必ずしも雑談=「ケア」とは言い切れないところに注意が必要です。
難しいのが、親密な人同士は雑談が生まれやすいいっぽう、キャラが固定化しやすく、「ケア」的なコミュニケーションで大事な他者の“他者性”が消えてしまいやすいことです。
──他者の“他者性”とはどういうことでしょうか?
斎藤:会話をする際に、私たちは相手の話から勝手に推測して「つまり〜ということですね」とわかったつもりになりがちで、純粋に他者の言葉を受け止めていないことがしばしばあると思います。
しかし、本来他者というのは自分の認識をはるかに超えた、計り知れない深みを持った存在。「正しさ」や「客観的な事実」ではなく、相手の主観を尊重し、耳を傾けることが大切なんです。

斎藤:初対面や未知の相手の場合のほうが、こういったお互いの主観を交換し合うという会話はしやすいかもしれません。
もちろん、前述したキャラを確認し合うコミュニケーションで、仲間意識の確認などをすることにも癒し効果はあるので、一概にどちらが「ケア」的であるとは断言できませんが、関係性がきちんと構築できていたり、“キャラいじり”というスキルも必要になるので万人向きではないかもしれません。
関係性の構築を左右する、オンラインと対面の差
──オンラインでのコミュニケーションが普及し、対面で話す機会が以前と比べて減りました。これはメンタルヘルスに何か影響がありますか?
斎藤:これは個人差が結構大きいと思います。 対面ならではの他者の存在感を求めている人もいれば、対面すること自体の圧がしんどい人、人と会う前は気が重いけれど会ったら楽しいという人もいるので、とらえ方にはグラデーションがあるというのが前提にあります。
しかし、雑談は確実に減りますよね。私の場合、学会でそれを痛感しています。発表そのものより、雑談を通じた意見交換から多くのことを得ていて、オンライン開催だとそういった“ノイズ”が減ってしまうことは大きなことだと気づかされました。
オンラインだとノイズが少ないことに加え、録画もしたりするので、露骨なマウンティングや誹謗中傷は回避しやすくなります。
ただ、ノイズが少なすぎて、渾然一体とした対面と違い誰がどの発言をしたかがすぐわかってしまうため、間違えてはいけないという緊張をもたらしている側面はあると思います。
──対面とオンラインの大きな違いとして、物理的に他者の体が目の前にある、という点が挙げられると思います。それがコミュニケーションの在り方に与えている影響はありますか?
斎藤:いちばん大きいのは、物理的に体が存在しているという“身体性”があるほうが、関係性を作りやすいし、長続きもしやすいということだと思います。 オンラインの治療で一番の問題は中断しやすいことなんです。
実は、効果自体は対面とそれほど変わらないのに、途中でやめてしまう人がけっこう多い。関係性を中心に成り立つ治療や教育、「ケア」に関する領域では、やはり身体性が不可欠なんじゃないかと思います。

──SNSの普及で、現代は誰とでも簡単につながることができ、コミュニケーションは複雑化していますが、「ケア」の視点でメリットはあるのでしょうか?
斎藤:「ケア」的な効果としては、“つながりっぱなし”にできることで、安心感を感じている人は多いと思います。実際、若い世代の幸福度は年々上がり続けていることがわかっていて、その要因にネットを通じたつながりがあると言われています。
ただ、先ほど指摘したとおり、簡単につながれるいっぽう、身体性などで補強しないと、すぐに切れてしまうんです。
また、つながりやすいがゆえに、コミュニケーション能力が高く、友人が多い人はその幸福を感じられるいっぽう、そういったことが苦手な人はつながりの「ケア」的な恩恵を受けることができません。
結果として、つながりやすさに適応できる人の幸福度は上がるけれど、そうでない人は孤立し、幸福度が下がり、中間がいない両極化が進み、格差が広がっているのが現状です。
しかも、ネットのつながりから得られる幸福感は刹那的で安定していない。故に、現代の若者は幸福なのに生きづらいし、コミュニケーションが苦手な人にとってはその苦しさは非常に深刻だと思います。
「ケア」的な対話は、「コスパ」「タイパ」ではなくプロセスを大切にする
──「ケア」的な対話であるオープン・ダイアローグでは、結論を出さず、曖昧さや不確実性に耐えるということを重視しています。いっぽう、SNS空間では、その真逆である断定的で強い言葉が支持されやすいように感じますが、その点についてはいかがでしょうか?
斎藤:「コスパ」「タイパ」という言葉が象徴するように、現代では、いかに効率よく目的を達成するかというのが非常に重要視され、はっきりとしたゴールがあり、手法が決まっていて、その手法を使えば効率よく達成できるという幻想を抱いている人が多い。
コミュニケーションを含め、さまざまな場面で広がっているこの「コスト思考」は「ケア」的発想と真逆にあります。
しかし実際は、目的を捨て、遠回りに見えるようなアプローチのほうが実は目的を早く達成できると実体験から感じています。コスト思考が思い描くような最短距離は本当は存在しなくて、それを究極に突き詰めたら「死」なんです。
それを内包している思想だからこそ、何かを達成してもむなしい。本当の意味で達成感を味わうには、プロセスやそれに伴うストレスを味わうことが必要だと思います。
雑談は難しいです。でも、「ケア」的な力は間違いなく持っているし、その恩恵を受けるには目的至上主義を捨て、プロセスを味う対話を意識してみる。そしてその感覚を共有できる人を見つけることができたら、きっと何気ない雑談が癒しに変わっていくと思いますよ。
イラスト/カタユキコ 構成・取材・文/長谷日向子