「家事の分担」、うまくいっていますか? 共働きが当たり前の今、「家事は分担しているはずなのに、わたしばかり負担が大きい…」と感じる女性も多いはず。そんなモヤモヤを抱える人に向けて、作家・生活史研究家の阿古真理さんに「家事のシェア」のヒントを伺いました。
作家・生活史研究家
食や暮らし、ジェンダーをテーマに執筆し、家事や食文化の変遷について独自の視点で分析を行う。著書に『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)、『家事は大変って気づきましたか?』(亜紀書房)などがあり、幅広い世代の共感を集める。メディア出演や講演活動も積極的に行い、現代の家事負担やジェンダーの課題について発信を続けている。
家事の固定観念が変わってきた今、重要なのは「タスク分け」をしないこと
——昔と今で、家事の負担は変化しましたか?
阿古 昔は、専業主婦が家事をするのが一般的でしたよね。男性は外で稼ぎ、女性が家事や育児をするという「性別役割分担」が当然のものだったんです。
ところが1990年代以降、男性の所得だけでは家計を支えきれなくなり、女性自身も働くことが求められるようになりました。それにともない、女性の就業率は上昇し、共働き世帯も増えていきます。
とはいえ当時はまだ、家事や育児の多くを女性が担うのが一般的で、男性が積極的に家事に参加するケースは少数派でした。結果として、女性たちは「仕事・家事・育児」という三重の負担を背負うことになったのです。
そしてようやく、ここ10年ほどで「男性も家事・育児に参加すべき」という声が高まり、実際に行動に移す男性も増えてきました。しかし、依然として女性の負担が大きいのが現状です。
——ほかにも社会的要因が関係あるのでしょうか?
阿古 そうですね。大きな転換点は1990年代の「家庭科の男女共修開始」だと思います。1993年に中学校で、1994年に高校で家庭科が男女共に必修化され、それ以前に根強かった「家事は女性のもの」という固定観念が、少しずつ揺らぎはじめました。
また、メディアやSNSの影響も見逃せません。昭和の後期までは「男子厨房に入らず」という価値観が主流で、男性が料理する姿がメディアで描かれることは稀でした。ごく一部の料理人が注目される程度だったのです。
しかし1990年代に入り、人気タレントが料理するバラエティ番組などで男性がかっこよく調理する姿がテレビで放送されはじめ、少しずつ「男性も家事をする」というイメージが広がっていきました。
その流れは2000年代以降、ドラマなどでさらに加速し、近年では『洗濯男子』のCMのように、「男性が家事を楽しむ」という価値観が浸透しつつあります。

——これから家事をシェアしていく若い世代にとって、大切なことは何でしょうか?
阿古 今の20〜30代は、すでに家事を「女性の役割」と考えず、自然にシェアしようとする意識を持っている世代だと感じます。だからこそ大切なのは、その“捉え方”だと思います。家事を「分担すべき仕事」として線を引くのではなく、「一緒に暮らしていくために、協力しながら行うもの」と考えること。
どちらか一方に負担が偏るのではなく、お互いができることを持ち寄って、より心地よく暮らしていくための工夫として、家事をシェアしていく姿勢が必要だと思います。
家事を“分担する”のではなく、状況に応じて協力する“シェア”という考え方
——家事の“分担”と“シェア”はどういった違いがあるのでしょうか?
阿古 “分担”は、役割を固定して割り振る感覚ですが、“シェア”は、状況に応じて柔軟に協力し合うという感覚に近いと思います。
例えば、“分担”で「ゴミ出しは夫」「洗濯は妻」と決めてしまうと、どちらかが不在のときに「代わりにやってあげる」という感覚になりがちです。その場合、やった・やらないが気になったり、不公平感が生まれやすくなります。
一方、“シェア”という意識でいれば、「今日はわたしがやるね」「忙しそうだから代わるよ」と、そのときの状況に応じて自然にフォローし合うことができます。
お互いが「家事はふたりの生活を支えるためのもの」と捉え、気持ちよく協力し合うことが、結果的に負担感を減らし、暮らしやすさにつながるのではないでしょうか。

——実際の家庭では、思うように“シェア”できない場面も多いと思います。そんなとき、大切なのはどんなことだと思いますか?
阿古 「家事はパートナーとシェアするのが理想」と言われることが増えましたが、実際の家庭事情は本当にさまざまです。お互いの合意のもとで、どちらかが多く家事を担うこともあれば、単身赴任や仕事、健康上の理由などで、どうしても負担に差が出てしまう場合もあります。
ですから、すべての家庭で「家事は必ずシェアが正解」とは限らないと思います。ただし、その負担が一方に偏ったまま無理や我慢を続けてしまうと、不満やすれ違いが積み重なり、パートナーとの関係に影響を及ぼすことは少なくありません。
実際、結婚当初は家事を分かち合っていても、子どもが生まれた途端に“ワンオペ”になってしまうケースや、夫が退職後も妻が家事を担い続け、不満が募って熟年離婚に至るケースも見られます。
家事の負担は、日々の小さな積み重ね。だからこそ、「どちらかが全部やる」のではなく、それぞれの状況に応じてできるだけ負担を分け合ったり、必要に応じて外部のサービスを取り入れるなど、家族の中で柔軟に話し合っていくことが大切だと思います。
家事の平等にこだわると、かえって負担になることも
——おもに女性が、「見えない家事」にストレスを抱えているという声もよく耳にします。
阿古 そうですね。家事の多くは、実は“原状復帰”が目的なんです。例えば、掃除は「部屋をきれいにする」という目的もありますが、「汚れていない状態に戻す」ための作業とも言えます。
さらに、トイレットペーパーの補充や子どもの持ちものの管理など、達成感が“見えない家事”も、日々の生活の中で積み重なっています。そのため、やっている側の負担は大きいのに、周囲からは気づかれにくいことが多いんです。
また、料理も同じです。完成した料理は目に見えますが、その後の後片づけやキッチンの掃除など、“原状復帰”の家事は、やったこと自体が見えづらいもの。こうした“見えない家事”は、負担が一方に偏りやすく、結果的にシェアが進まない要因のひとつになっていると感じます。

——シェアといっても簡単ではないですね。家事の平等にこだわると、逆にストレスが増えることもありそうです。
阿古 そうですね。「完全に50:50」と考えると、かえって負担になります。実際は、お互いの得意不得意を考慮しながら、“バランスよく負担を分ける”ことが大切です。
まずはどんな家事があるのか、お互いに認識すること。見える家事、見えない家事をきちんと把握すると「シェアしよう」という話し合いの土俵に立てると思います。
「家事は女性がやるもの」という呪いは解ける?
——阿古さんご自身は、家事が原因でパートナーと対立したことはありますか?
阿古 以前のわたしは、「家事は女性がやるもの」「完璧にこなさなきゃ」という呪いにかかっていました。
でも、快く家事をしているわけではなく、相手にはちょっとやってくれたらいいのにと心の底では思っているんですよね。そして、実際には負担が大きすぎて、夫と対立することが増えてしまいました。

夫が家事をやってくれても、「クオリティが気になる」「やってほしいタイミングじゃない」とイライラしてしまう…。当時、いろいろな要因でうつを発症したこともあり、そのイライラとも向き合うことになりました。
——「女性が家事を完璧にこなすべき」という呪いはどのように解けたのでしょう?
阿古 鬱になり、家事ができなくなったとき、夫がすべてを担ってくれました。残業続きの中、ワンオペで家事をこなす夫の姿を見て、「ありがたい」と素直に思えたんです。
それまでは、自分のほうが家事の負担が多いと感じ、不公平感を抱いていました。でも、夫もできる範囲でちゃんとやってくれているし、何より「家事は完璧にこなさなければ」という理想の奥さん像を、自分自身が必要以上に背負っていたことに、少しずつ気づくようになりました。
また、社会の変化も大きいですね。共働きが当たり前になり、SNSやメディアでも「家事はシェアするもの」という意識が広まり、女性だけが背負う必要はないと気づかされたことも。 鬱を経験して、「完璧じゃなくていい」「手放しても大丈夫」と思えるようになったことが、呪いが解けるきっかけになったと思います。
イラスト/jami 構成・取材・文/高浦彩加