日々の暮らしで感じる疑問や喜び、悲しみ、怒り。そうした感情が生まれるのは、わたしたちが「社会」とつながっているから。わたしと地続きにあるこの社会について、それぞれの形で発信を続ける方に、社会とのつながりを意識するようになったきっかけと、これからについて伺っていきます。第4回は、性暴力問題の取材を続けるライターの小川たまかさん。
ライター
1980年東京生まれ。大学院卒業後、2008年に共同経営者と編集プロダクションを設立し取締役を務めたのち、2018年からフリーライターに。Yahoo!ニュース個人「小川たまかのたまたま生きてる」などで、性暴力に関する問題を取材・執筆。著書に『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(タバブックス)、『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房)、『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)など。2024年5月発売の『エトセトラ VOL.11 特集:ジェンダーと刑法のささやかな七年』(エトセトラブックス)では特集編集を務めた。
社会問題に対して自分が物申せるタイプだとは思っていなかった

──小川さんは長く性暴力の取材を続けていらっしゃいますが、著書の『告発と呼ばれるものの周辺で』には、「性や性暴力の問題に関する興味もあったが、書く機会がなかった。それ以上に、こういった問題について取材したり、書いたりすることを恐れていた」と書かれていました。その恐れとは、どんなものだったのでしょうか。
小川さん もともと書くことが好きでライターになりましたが、特に自分のテーマがあったわけではなくて。30代前半ぐらいまでは政治的なこともあまり身近に感じていなかったし、社会問題に対して自分が何か物申せるタイプだとは思っていなかったんです。
そんな中で2013年に待機児童問題の記事を書いたのですが、当時はまだ「自分の子どもを預けて働きに出るなんて」「子どもがかわいそう」といった声も多くて。私は両親が共働きで保育園育ちだったので、自分の経験を踏まえつつ「事情もわからないのに、ひとんちの子を“かわいそう”なんて言う資格は誰にもないと思う」みたいなことを書いたんですよね。
するといろいろな感想が届いて、自分の声がこんなに反響を呼ぶんだと感じると同時に、社会に対する憤りというか違和感を覚えました。当時のことを思い起こしてみると、世間の一部で“常識”といわれているものに「私はそうは思わないんですけど…」と問いかけや意思表示をした途端、「あの人は私たちとは違う」とレッテルを貼られるような雰囲気があった。特に性暴力の問題において、その雰囲気をより強く感じていたというか。
でも、ライターは、あくまで人の話を取材して記事を書く仕事。だから当時は私も、自分が当事者として被害を訴えることに「自分のことなんか言っていいのかな」という抵抗があったし、自分の経験や主観だけで語っていいのかという葛藤もあって。どこかで、「それはずるいんじゃないか」っていう思いがちょっとあったんです。
──当時感じていた“雰囲気”について、もう少し詳しく伺ってもいいですか?
小川さん 例えば、痴漢って、「誰でも」と言いたくなるぐらい多くの人が被害を経験している問題ですよね。でも、当時は社会問題としてではなく「みんな多かれ少なかれあることだから」「スカートが短いせいだ」などと言われて、個人が工夫や対処をするしかなかった。「被害にあった当事者なんです」と言っても「別にあなただけじゃないから」というような空気がありました。今でもそうかもしれませんが。
「人生にはこういうつき合いがあるんだ」と思えた出会い
──そうした葛藤を抱えながらも、2015年にはネット上で炎上していた女性専用車両に関するアンケート記事※に対して、「女子高生という子どもが、電車内という社会で、痴漢という性犯罪に遭うことについて」というブログを公開されました。当時の反響はいかがでしたか?
※女性専用車両について20〜60代の女性にアンケートをとり、60代女性の7割が「必要」と回答した結果に対して男性記者が「いくら痴漢でも、人を選ぶと思いますがね」と書いた。小川さんの当時のブログは『告発と呼ばれるものの周辺で』に一部編集したものが収録されている。
小川さん たくさんの人が一緒に怒ってくれたことに驚きましたね。自分の被害体験を書いてくれる人たちもいて、彼女ら彼らの思いを知ることで「これは書いていかなければいけない問題だ」という思いを強くしました。
──小川さんは著書の中で、性暴力の問題に飛び込むことができた理由のひとつに、2011年頃から痴漢の問題について意見を発信していた漫画家・田房永子さんの存在を挙げられていますね。
小川さん 本当にかけがえのない存在だと思っています。先のブログ以降に出会った田房さんやエトセトラブックスの松尾亜紀子さん、性暴力被害者を支援する人たちや性教育の問題に取り組む人たち、フェミニストの人たちとは、初対面でもすぐに打ち解けられるというか。
性暴力や選択的夫婦別姓、同性婚など、ベースにある問題意識や見つめている方向が同じ人たちと話すと、ただの雑談でもこんなに楽しいんだなって。人生にはこういうつき合いがあるんだと知ることができて本当によかったなと思っています。
──2015年に一歩を踏み出してから10年。小川さんが性暴力にまつわる発信をするうえで大切にされていることを教えてください。
小川さん 迷ってばっかりです。でもまずは現場(裁判などの取材現場)に行くことを大事にしたいし、それが基本だと思っています。裁判の雰囲気や、本人尋問や証人尋問で何が語られたのか、直接見ないとわからないことがあるし、裁判を傍聴できる人数は限られているだけにそこで見たもの、聞いたことをちゃんと書くことは重要だと思っています。
『告発と呼ばれるものの周辺で』にもいくつかの裁判のことを書きましたが、この本を50年後、100年後の人が3人でも4人でも読んでくれたらいいなと思っています。自分ができることはそれぐらいかもしれないなって。
社会が変われば、生まれてくる表現も絶対に変わっていくはず

──小川さんが裁判の現場で見聞きしたことや性犯罪刑法改正の経緯、そして当事者の方や支援者の方の声などが丁寧に編まれた『告発と呼ばれるものの周辺で』には、ぞっとするようなやり取りも書かれていますが、私は知ることができて本当によかったと思えた一冊です。心をえぐられるような事件や報道もありますが、小川さんが最近、希望を感じたことやうれしかったことはありますか?
小川さん 少し前に読んだ読切漫画『店内ご利用ですか?』(となりのヤングジャンプ)かな。若い女性が日々どれだけ不安を抱えながら、周囲に気を配りながら夜道を歩いているかが描かれていて、作品に共感する女性たちの声もSNSにたくさんアップされていました。10年前だったら、こういう作品が青年漫画雑誌に掲載されることはなかっただろうと思います。
私には、事件や裁判、当事者の証言などを取材して世に出すことで、「性暴力を受けた当事者の目線が少しずつ世間に浸透して社会のデフォルトになっていけば、そこから生まれてくる表現は絶対に変わっていくはずだ」という思いがあるんです。今の世の中にこうした表現があること自体が社会の変化なので、すごく希望に感じますね。
──「社会のデフォルトになっていけばいいな」と感じることが他にもあれば、ぜひお聞かせください。
小川さん ヒエラルキーにとらわれない人間関係の構築が基本になっていくといいなと思っています。暴力が権力勾配の中で起こるということもありますが、私は組織やコミュニティの中でのヒエラルキーの問題についてずっと考えていて。
私自身、高校に入って初めていじめや見下しがない環境で過ごしたときにすごく解放感があったんですよね。その解放感を知っているかどうかって結構大事だと思うので、人を見下すとか、人より優位に立ちたいとか、支配するとか、そういった意地悪な気持ちが出てきてしまう構造に対して、そうならないコミュニティの心地よさを知っている人が増えていくといいなと思います。
無理やり意識を変えなくてもいい。モヤモヤしていること自体が成長だから
──少しずつ社会が変化しているとはいえ、性暴力というテーマを取材されるには気力も体力も必要だろうと想像します。小川さんがご自身のために実践しているケアはありますか?
小川さん メンタル面だと、いいことを覚えておく癖をつけること。褒めていただいたメールなどのスクショをお気に入りフォルダに保存して、心が悪に染まりそうになったら見返したり。それから、歩くことはずっと意識しています。体を動かさないと1日ずっと寝ていたりするので。食事もタンパク質をちゃんととろうと思って、豆腐バーを取り入れてみたら手軽でめっちゃいい!
──小川さんのニュースレター「たまたまな日々」でも以前、「メンタル維持のためにしている30のこと」を配信されていましたよね。実践したくなるものばかりでしたが、特に印象的だったのが次のふたつでした。
◆好きだけどミュートする人もいる
今の私にはあなたの存在が眩しすぎるんじゃ!みたいな人をミュートすることがある。いつかまた追いつける日までアディオス。
◆「どうしてだろう」をしすぎない
「あ、この人は私のこと嫌いだな」と気づいたとき、「どうしてだろう」と想像するとどんどん凹むので、「人の気持ちはその人にしかわからん、考えてもしょうがない」と思考をストップする。
小川さん そうそう。いいこと言ってますね(笑)。
──最後に、性暴力を含め社会の構造に違和感を覚えたとき、自分ごととして一歩を踏み出すためのアドバイスもいただけたらと思うのですが。
小川さん 全然アドバイスではないかもしれませんが…人によってタイミングがあるから、無理やり意識を変えようとするよりも、のっぴきならなくなるまで待っていてもいいと思うんです。例えば「自分の意識が足りないのでは」と思っている人がいたとしたら、そうやってモヤモヤしていること自体が成長だと私は思うので。
何かに気づいたからモヤモヤして、「どうしよう」とか「自分は何か足りないんじゃないか」と思うわけですよね。あとから振り返れば、その時点でも前進していると思うので、無理をしなくてもいいんじゃないかなと思います。
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