ひとり旅×温泉で癒される時間を過ごす「温泉ひとリート」。こんなときこそ、普段できなかった読書を楽しむチャンス!今回は温泉&読書上手の清田 隆之さん、高橋 一喜さん、市川 由加里さんに、温泉宿で読みたくなる一冊を、思い出深いエピソードとともに紹介していただきました。
「ひとリート」とは…半日~日帰り・1泊2日程度の「一人で楽しむリトリート体験や旅」を表す造語。yoi発の、心と体のセルフケアに役立つ時間の使い方です。
文筆家・清田 隆之さんの「温泉ひとリート」おすすめ本2選

文筆家
1980年生まれ、早稲田大学第一文学部卒。文筆家、『桃山商事』代表。ジェンダーの問題を中心に、恋愛、結婚、子育て、カルチャー、悩み相談などさまざまなテーマで書籍やコラムを執筆。著書に、『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門―暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信』(朝日出版社)など。最新刊『戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ』(太田出版)も好評発売中。桃山商事としての著書に、『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)などがある。Podcast番組『桃山商事』もSpotifyなどで配信中。
1.宮地 尚子・著 『傷を愛せるか』
温泉地に向かう電車に揺られながら、心の奥の“癒しスイッチ”をオン

宮地 尚子・著 『傷を愛せるか』(ちくま文庫)
精神科医であり、トラウマ研究の第一人者・宮地尚子によるエッセイ集。自身の体験や旅先での思索を通じて「傷」と向き合う日々を綴る。バリ島、ブエノスアイレス、金沢——異国や日本各地の風景の中で、自らの痛みに静かに目を向ける言葉が、誰もが人生のどこかで出会う問いに寄り添う。
清田さん 温泉地へ向かう電車に揺られ、車窓から流れる風景をぼんやり眺めながら読んでもらいたい一冊です。この本のページをめくっていると、心の奥にある“癒しのスイッチ”がふと入るような感覚になったんですよね。
人の“傷”がテーマになっているのに、とても静かで、力強さがある。そして読み進めるうちに、自分の中にも「癒えていない何か」があることに気づかされました。無理に治そうとしなくていい。そのままでもいいんだよ——そんなふうにやさしく語りかけてくれる一冊だと思います。
駅弁を食べて、ほっとひと息ついた移動の合間。車窓に目をやりながら、ただページをめくる時間。その何気ない瞬間に、すっと寄り添ってくれる。そんな“旅の余白”をぜひこの本で埋めてもらえたらいいなと思います。
2.前田 隆弘・著 『死なれちゃったあとで』
温泉街のスナックで一杯飲んだあとに一人でしっぽり読む

前田 隆弘・著 『死なれちゃったあとで』(中央公論新社)
「情けない人生でした」——そんな喪失のひと言を残して旅立った後輩の姿をきっかけに、著者がこれまでの日々をひとつひとつ丁寧に振り返るエッセイ集。読み終えたとき、気づけば少しだけ前を向いている。共感と救いに満ちた、静かな原動力をくれる一冊。
清田さん 温泉街の静かな夜。お湯で体がゆるみ、お酒で気がゆるんだ頃。宿に戻って、灯りを少し落とした部屋でふと読みたくなるような本です。
編集者でライターの前田隆弘さんが、自身のまわりで実際に起きた「身近な人の死」について綴ったエッセイ集。「大切な人に死なれちゃったあと、自分はどうやって生きていけばいいのか」
その問いに、まっすぐではないけれど、丁寧に、そして静かに向き合っている言葉たち。自分の中の、うまく言葉にならなかった悲しみにそっと触れられるような、そんな読書体験でした。
涙を流すのではなく、深く、静かな呼吸を取り戻す。大切な誰かを思い出しながら、“今の自分”をそっと見つめ直す、そんなひとときに寄り添ってくれるように思います。
温泉ライター・高橋 一喜さんの「温泉ひとリート」おすすめ本2選
3.鈴木 千佳子・装幀 『〆切本』
現実をひと休みしたくなる温泉宿での夜に

鈴木 千佳子・装幀 『〆切本』(左右社)
夏目漱石、江戸川乱歩、星新一、松本清張、村上春樹、西加奈子ら90人が語る“〆切体験”アンソロジー。日記、手紙、対談など多彩な形式で綴られる、作家たちの焦りと葛藤、そしてユーモアとひらめき。〆切に追われるすべての人に贈る、“しめきり症例集”。
高橋さん この本を読んだのは、仕事が思うようにいかず、少しだけ現実から離れたくなって訪れた温泉宿でした。泊まったのは、文豪たちが“缶詰”にされていたような趣深い和室のある宿。そんなシチュエーションもあってか、本の世界にすっと没頭できたんです。ページをめくっているうちに、不思議と自分の悩みがちっぽけに思えてきて、気づけば肩の力が抜けていました。
「どうしても書けないんだ……」「鉛筆ばかり削っている」なんて、そんな迷言のオンパレードなのに、彼らが書くと名文になるんだなぁと、思わず笑ってしまいます。
頑張ることに少し疲れた自分を、緩めたい——そんなひとリートを求めているときにこの本を開けば、きっと笑えて、ちょっと泣けて、じんわり元気が湧いてくるはず。
4.益田 ミリ・著 『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』
一人旅でちょっぴり感じた心細さに寄り添う

益田 ミリ・著 『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』(幻冬舎)
33歳の終わりから37歳までの約4年間、月に一度、全国47都道府県を一人で巡った著者による旅の記録。「行ってみたいから行ってみる」——そんな素直な動機で始まった、等身大の一人旅。各地の旅エッセイ、4コマ漫画、旅費までを掲載。ガイドブックでは味わえない“一人旅のリアル”が詰まった一冊。
高橋さん この本を読んで、「旅のあり方に、正解なんてないんだな」と感じ、よりリラックスして旅を満喫できました。
なかでも神奈川県の川崎大師を訪ねた回が印象的。「川崎大師……知らない」と率直に書きつつ、「想像よりずっと立派だった」とだけ添えています。その代わりに印象的なのは、お蕎麦屋さんで出会ったおばあさんと孫娘の、ほんの小さなエピソード。
孫娘がメニューをひとつひとつゆっくり読み上げて、それをうなずきながら聞くおばあさんを見て、涙が込み上げてきたといいます。そんな光景に自分も出くわしたいと、旅の新しい視点をもらった気がします。
一人旅のスタイルは十人十色。温泉に向かう電車の中で読めば気持ちがほぐれるし、宿でのんびり過ごしながら読んでも、帰り道に読んでも、次の旅の妄想がふくらみますよ。
ブックシェルフディレクター・市川 由加里さんの「温泉ひとリート」おすすめ本2選
ブックシェルフディレクター
岐阜市出身。岐阜大学教育学部社会学科在学中に他大学にて司書の資格を取得。ロンドン留学を経て、祖母の代から続くトータルメンテナンスサロン「菊川美容健康道場」に携わる傍ら、2022年から“名前から本を選ぶ”サービス「とある一冊の本」を開始。利用者の名前を手がかりに本を選び、小包で届けるユニークなスタイルが話題に。また「まちのちいさな本棚」など、地域と本をつなぐ活動も展開している。
5.北村 薫・著 『空飛ぶ馬』
夜のラウンジで、お酒とともに。謎解きで一人の余韻を楽しむ

北村 薫・著 『空飛ぶ馬』(東京創元社)
静かな日常にふと忍び寄る違和感。「円紫さんと私」シリーズは、“日常の謎”に寄り添うミステリー。大学生の「私」と落語家の「円紫さん」が、ごくありふれた日々に現れる小さな謎を静かに解きほぐしていく。謎解きの面白さとともに、登場人物の繊細な感情や人とのかかわりが丁寧に描かれている。
市川さん 温泉宿とミステリー小説って、相性がいいと思うんです。歴史ある宿や、隠れ家のようなホテル、海辺の絶景宿……どこも物語の舞台になりそうで、読んでいるうちに空想がふくらんでいくんですよね。
本格的なトリックのある作品も好きですが、“ひとリート”のような旅には、誰も殺されない“日常の謎”がしっくりきます。
「私」が学生から社会人、そして母へと成長していく中で、読者も人生の時間を一緒に感じられるのが、このシリーズの魅力。日本文学らしい余韻がタイトルや文章に散りばめられているのも素敵。
読み終えたあと、お世話になった人を思い出す。そして旅の帰り道、ふと“もっと続きを読みたいな”と思って、本屋さんに立ち寄りたくなるはずです。
6.江國 香織・著 『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
朝食のあと、チェックアウトまでの“もうひととき”に

江國 香織・著 『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』(集英社文庫)
10人の女性たちが、それぞれの「愛」と向き合う姿を描いた短編集。迷い、傷つき、それでも誰かを思う気持ちが、人生に何をもたらすのか。愛の喜びと痛み、不完全さまでもが、静かに心に響く。読み終えたあと、自分の中の「愛」とやさしく向き合いたくなる一冊。
市川さん 実際に旅先の朝に読んだんです。朝ごはんを食べて、満たされた気持ちで部屋に戻ったあと、「出かけてもいいけど、もう少しこの余韻にひたっていたい」と思って、この本を開きました。
短編が10編あって、どこから読んでもいい。気軽に読みはじめたのに、ある一編でふっと心をつかまれてしまいました。
誰かとごはんを食べること、人とふれ合うこと、においや温度にふっと意識が向く瞬間…。そういう“生きている実感”を呼び覚ますような言葉に出合って、体がじんわり熱くなるのを感じました。
旅という非日常から日常へ戻る、ほんの少し前の時間に読むと、不思議と人に会いたくなりますよ。
構成・取材・文/高浦彩加