心の中に生まれた無視できない気持ちの正体――。それを心に灯った“火”に例え、さまざまな登場人物が自分の火と向き合う過程を描いたマンガ、『君の心に火がついて』。夫婦間、職場での人間関係、セクシャリティなどのトピックを、繊細な心理描写と美しいイラストで描き、SNSを中心に多くの共感を呼びました。

作品の中に出てくる主人公たちのように、私たちが「自分の本当の気持ち=“心の火”」に気がつき、それをなかったことにせず燃やし続けるには、どうすればいいのでしょうか。ストーリーを読み解きながら、作者のツルリンゴスターさんと一緒に考えていきます。

マンガ『君の心に火がついて』作者ツルリンゴスターと考える。私たちが「本当の気持ち=“心の火”」を燃やし続けるには_1

君の心に火がついて ¥1,650/KADOKAWA
夫婦のすれ違い、ほかの家族とは違う親子関係、60歳からの新しい恋など、8つの物語とその5年後を描いた短編集。全434ページ。「私が悪い」「自分さえ我慢すれば…」と、本当の気持ちに蓋をしてきた主人公たちのもとに、人間の心に灯る“火”を食べて生きる妖怪・焔(ほむら)が突然現れ、彼らの人生が動き出していくー。

ツルリンゴスター

漫画家

ツルリンゴスター

美大を卒業後、Web制作会社に就職。長男の出産をきっかけに、育児ブログ『新月堂』を開設。3人の子どもを育てながらTwitterやインスタグラムで、何気ない日常のふとした出来事や気持ちをマンガやイラストで投稿。他著書に、コミックエッセイ『いってらっしゃいのその後で』(KADOKAWA)がある。

時短勤務での経験は“キャリア”に入らない。「何かがおかしい」と感じたきっかけ

──ツルリンゴスターさんは、2018年からお子さんについて描いたエッセイマンガをSNSに投稿していらっしゃいますよね。現在も本職は「会社員」とのことですが、そもそも、マンガを描き始めたきっかけは何だったのでしょうか。

幼い頃からコミックエッセイが好きで、よく読んでいました。初めて出産したときに感じたのは、「想像以上に子どもはすぐ大きくなる」ということ。日々の小さな気づきも、大変だったこともどんどん忘れていくから、その気持ちを描き留めておきたいなと思ったんです。昔から絵を描くことが好きだったので、子育てを日記代わりにマンガにしてみようと始めたのがきっかけです。






―─今回の作品には、これまでの子育てエッセイとは違い、さまざまなバックグラウンドを持った9人の人物が登場します。作品が生まれた背景について「『どうしても苦しい、この状況はおかしい』と思うことが救いのきっかけになるマンガを描きたかった」とあとがきに書かれていましたが、ご自身の経験を通してそう感じたのでしょうか?

そうですね。当時は3人の子育てをしながら、働き方を模索していました。正社員、時短勤務、パートなど、すべて経験しましたが、どうにもうまくいかないなと思うことがあって。

というのも、第三子が生まれたタイミングで転職を考えていたため、ある日、職業安定所に行ったんです。そこで、「正社員で働いていなかった期間はキャリアには含まれません」ときっぱりと言われて。子どもが小さい間は働く時間を減らさざるを得なかったものの、仕事内容も変わらず、これまでどおり働いてきたつもりだったのに…。外から見たら「正社員ではない期間は意味がない」と自分のキャリアをリセットされたような気持ちになり、とてもショックでした。

──それが「何かおかしい」と思うきっかけになった、と。

はい。それからちょうどこの頃、SNSでいろいろな「炎上」を目にする機会が増えていました。そのときは、それがなぜ炎上しているのか完全に理解しきれない部分もあって。「まずは何が問題なのかを知りたい」と人権やフェミニズム、ジェンダーについて本を読んで勉強していくうちに、自分がいかに古い固定観念に縛られていたか、ということに気づいたんです。いろんな立場にいる人々の苦しさを知ったのと、そのときの自分の状況も相まって、ままならない状況にいる人たちをテーマにした作品を作りたいと思い、Webメディア『DRESS』で連載が始まりました。

──学びながら創作されていたんですね。

『#MeToo運動』を知ったタイミングでもあり、「この状況は苦しい」という声の後ろに、社会構造から生じる意識の問題があるのでは、と感じ始めたことが創作のひとつのきっかけになったと思います。実際に、マンガの中で扱っているトピックは、SNSやメディアで話題になっていたものがほとんどです。そこから自分が気になったことをリスト化して、関連の書籍や映画、ドラマなどから着想を得て、「こういう苦しさがあるよな」と考えながら組み立てていきました。

──登場人物たちが置かれている状況の設定が、すごく細かく描かれていると感じました。

不思議なことに、一人一人が生きている環境やキャラクター設定を掘り下げれば掘り下げるほど、多くの人に共感してもらえました。私たち人間は、「母親」や「妻」とか「セクシュアルマイノリティ」などのカテゴリだけでなく、その奥にある複合的なレイヤーの中で生きている。その細かな描写を大事にしたことで、登場人物たちの心の動きが多くの人に届いたのかもしれません。読者の方からの感想を見ているとそう思います。

「私は私でやるべきことをやる」と決断する勇気

──第4話では、メーカーの営業として勤務し、会社で唯一女性の管理職に昇格した美晴の物語が展開されます。家庭や子どもなど、“自分が持っていないものや、持っていたかもしれないのもの”、管理職の男性たちの中で感じる「見えない蓋」に葛藤するストーリーが描かれます。

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美晴のように、自分一人が頑張っていても、会社や上司など、まわりはなかなか変わらない。その中で「私は私でやるべきことをやる」と決断するのはつらい選択でもあります。でも、この物語を通して伝えたかったのは、「あなたがしていることは絶対に間違っていない」ということ。仕事だけでなく家事や育児、介護も含めて「日々頑張っていることがなかったことにされている」と感じている人がいたら、それは社会の構造に問題があるのであって、あなたの力不足ではない。そのことが伝わればいいと思っていました。

──たとえ状況が一気に変わらなくても、美晴が少しずつ行動を起こしていく展開がとても印象的でした。

誰かが助けに来てくれたり悩みを解決してくれるような、まわりからの明確な「救い」は、物語の中では描かれていません。ただ、その状況にいる美晴が具体的に何を考え、どう頑張っているのか、そしてどう自分と向き合っていくのか、そのままを描きたかったんです。結果的にそれが、同じような悩みを持つ人への寄り添いになっていたらうれしいですね。

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飲み会のあと、一人反省会をしてしまう私たち

──第6話『孤独ってだめなこと?』は、不器用で友達も多くない、飲み会のあとに自分の発言に後悔してしまうような繊細な会社員、マオが主人公。「みんなみたいにうまくできない。そんな自分が嫌いで、生きていてつらい」。他人との関係に悩む彼女は、孤独を知ることによって心の火が大きく燃えはじめます。

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実は、マオのモデルはほぼ私なんです。でも公開してみたら、「自分のことかと思った!」と共感のコメントがいちばん多かった登場人物でもあります。飲み会のあと、みんな一人で反省会してるのか〜、と驚きましたね(笑)。

物語を進めるうえで、マオの救いは、誰かによって与えられるものではなく、彼女自身の中に見つけていきたい、という気持ちが第一にありました。そこで、心の火を燃やす要素のひとつとして、「自分で何かを創作する」という行為はどうだろうかと。ひとつのことに集中してまわりをシャットアウトするときの孤独は、人間関係に悩む人のよりどころになるのではと思ったんです。

映画を観たり、本を読んで没頭することもいいですが、誰かのコンテンツをインプットするだけでは自分がどこか置いていかれる感じがして。誰にも見せなくてもいいし評価されなくてもいいから、集中してアウトプットする場所がほしかった。これは私自身も、マンガを描いて手を動かすという没頭感で日々救われている部分があるから実感しています。そういう“温かい孤独”が、自分を支えるきっかけになるのでは、と問いかけてみたかったです。

「助けて」から生まれる連帯

──第7話「自由に生きるって?」では、子どもが生まれても自分の人生を貫き通した母親・陽子と、ほかの家族とは少し違った環境で育った息子・類の関係にスポットが当たります。ご自身も3人のお子さんを育て、「仕事と家族」といったトピックを多く発信する立場として、陽子に共感する部分はありますか?

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家族の形はさまざまで、正解はない、と信じている部分に共感します。以前は、自分の中の“完璧な母親像”に縛られていたこともありました。ただ、それが正解だと思い込んでいると、なんだかちょっと苦しいぞ、と感じはじめた。「もしかして、私のお母さんも苦しかったのかな?」と気がついたり。マンガを描くにあたり、映画や本などでいろいろな“母親像”を集めて陽子というキャラクターをつくっていったのですが、それに自分自身が救われていた部分もありました。

──仕事と家族のバランスに悩んだり、「なんだかちょっと苦しいぞ」と感じている人には、この物語を通じてどのようなメッセージを伝えられるでしょうか。

誰でも「助けて」って言っていい、ということです。「もっと頼って。そうしたら私も頼るから」と伝えたい。自分も昔から人に頼るのは苦手です。でも今は、少しずつですが誰かに話を聞いてもらいたいとき、「これは返信不要だよ」と最後に書いて、友人にLINEでメッセージを送ります。そうすると、「頑張ってるね」と励ましてもらえたり、玄関にそっと差し入れを置いてくれる人もいたりして。「助けて」と言えるようになってから、連帯が生まれた気がします。それがとても心強い。

──助けを求められようになったきっかけはなんだったのでしょうか。

「助けてと言うのは弱いことじゃない」と知れたことだと思います。人権について調べようと手に取った本の中には、そういうメッセージの作品がたくさんあって、本当に助けられました。自分も子どもには、「困ったときは『助けて』と言うんだよ」と伝えているので、そのたびに親の私も実行していかないとな、とハッとしますね。

「自分のせいではない」と気づいたら、きっと心は壊れない

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──「どうしても今の状況は苦しい、と思っても、『私が悪い』と自分を責めたり、気持ちに蓋をして我慢してしまう人も多い」とあとがきに書かれていました。それには、どのような背景があると思いますか?

「これは何かがおかしいのでは?」と気づくためには、人権やジェンダー、同意の重要性などについて、ある程度の知識と経験が必要になると思うんです。人権や同意は性教育に含まれる学びですが、自分も含めてその教育を十分に受ける機会が少ないのが現状です。特に日本では、お金や性の話をタブー視したり人前で話さないようにする傾向があるから、「おや?」と思っても、なかなか語りにくいですよね。“空気を読む”という言葉もあるくらいで。

──まずは知識や経験によって状況を把握することが、「この状況はおかしい」と、心の火を灯すきっかけになる、と。

ただ、“心の火がついたからハッピー!”ということではないんですよね。自分の気持ちに向き合うことは、時に苦しいことがあります。でも、すぐに直接的な変化につながらなくても、思いを持っているだけで言葉の選び方や選ぶ情報が変わってくる。それが、心の火と向き合うことかなと思います。そうすることによって、いつか状況が変わっていくと信じています。私も日々学び、実践して…という繰り返しですが、一度心に火がついたら、その火は絶対に消えないはずです。

──その気持ちに気がついて少しずつ行動を起こしていく段階で、なかなか周囲や相手とうまくコミュニケーションが取れず、壁にぶつかるかもしれない。それを恐れてしまう気持ちもあります。

その場合、戦ってもいいし、戦わなくてもいい。コミュニケーションがうまく取れない相手を変えることは、たくさんの時間と労力がいるし、精神も削られる。そして、たくさんの労力をかけても相手は変わらないことがある。相手を変えるより自分のやりたいことを優先していいと思います。関係が対等ではないと思ったのであれば、それが小さな心の火なので、自分の元気があるときにその原因を掘り下げる時間をつくってみてもいいかもしれません。

結果的に変わらなくても、行動を起こしたことは間違いではないし、気づいたこと自体すごく意味のあること。きっと、次の日から目に見えるものが変わる。「自分のせいではない」とわかったら、心のありどころが見つかるかもしれません。ただ、権利を侵害されているなら程度によらず、しかるべきところに連絡してほしい。“自分を大切にする”というのも、繰り返し練習が必要です。私もできることを少しずつ積み上げていけたらいいなと思っています。

一人で抱えないで。“心の火”は燃え移るから

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──物語の中では、心の火が姿を変えて、焔(ほむら)というキャラクターとして現れ、登場人物たちの気持ちに寄り添ってくれます。現実世界では、どんなものが焔の代わりになると思いますか?

私の場合、「何か変えようとしてる人」の心の火を感じると、それによって自分の火も燃えるんです。それは、好きな脚本家さんのドラマだったり、好きなアーティストさんの活動や作品だったりするのですが。そういう力にエンパワメントされる感覚が、現実では焔の代わりになっているような気がしますね。一人一人、焔になるものは違うと思いますが、心の日は燃え移ると思います。

──心の火は燃え移る…。素敵な言葉です。

私も自分ができることで、誰かの火を広げていけるような存在でありたい。今後も学び続け、自分を大切にしながら活動していきたいと思います。

取材・文/浦本真梨子 企画・編集/種谷美波(yoi)