今週のエンパワメントワード「自分にウソつかないで」ー『花咲くころ』より_1

花咲くころ
デジタル配信中 DVD¥5,280/発売:シネマクガフィン 販売:紀伊國屋書店
©Indiz Film UG, Polare Film LLC, Arizona Productions 2013

私たちのすぐそばにある世界を想う

お腹いっぱい食べること。学校で勉強し、友達と遊ぶこと。本当に好きな人と結ばれること。誰も傷つけず、誰からも傷つけられないこと。こんな当たり前のことすら脅かされる世界が、私たちのすぐそばに、確かに存在している。


映画『花咲くころ』は、1992年春、ジョージアの首都トビリシを舞台に、14歳の少女たちが自分の人生を切り拓いていく様を描く。監督は、ジョージア出身のナナ・エクフティミシュヴィリとドイツ出身のジモン・グロスの二人。製作は2013年だが、日本では、これまで数々のジョージア映画を上映してきた岩波ホールの創立50周年記念作品として、2018年に公開された。


1992年春のジョージアは、ソ連からの独立後に起きた内戦による傷あとが、人々のあいだに暗い影を落としていた。経済状況はいまだ厳しく、人々は配給のパンを求めて行列に並ばなければいけない。親友同士の「エカ」と「ナティア」も、学校に通いながら、親の手伝いを懸命にこなしていた。二人の関係は、内気な妹と頼りになる姉のよう。口数が少ないエカに対し、ナティアはどんな相手にもはっきりと自分の意見を言い、先生にも堂々と反抗する。それぞれ家庭に複雑な事情を抱えているが、笑い声をあげ、山を駆け抜ける姿には、14歳の子供らしい無邪気さが満ちている。


そんなある日、事件が起きる。ナティアが、以前からしつこく言い寄ってきていた近所の青年「コテ」とその仲間に、突然車で連れ去られてしまったのだ。驚きどうにか止めようとしたエカだが、少女の力では何もできず、周囲の大人は自分のことに必死で助けてくれない。何よりつらいのは、こんな恐ろしい出来事のあとも日常が続いていくことだ。


しばらくあと、ナティアとコテの結婚式が催される。こうなった以上しかたがない、コテはそれほど悪い人ではないし、と笑ってみせる親友に、エカはかける言葉が見つからない。納得ができないまま、エカは祝福のダンスを踊る。暴力への怒り、親友を失った悲しみ、非力な自分への悔しさ。小さな体が躍動し、言葉にならないいくつもの感情があふれ出る。


結婚したナティアは、学校を辞めさせられ、大好きなピアノのレッスンに通うことすら許されない。ただ夫の世話をし義理の両親に尽くすだけの毎日。それなのにナティアは、「別に夫の言いなりになってるわけじゃない」 と言い張るだけ。親友の変わりように、エカは耐えられず、ついにこう言い放つ。〈自分にウソつかないで〉


いつだって思うままに行動するナティアを、エカはずっと羨望のまなざしで見つめてきた。いじめられてばかりの自分を、彼女は「もっと強くなって自分の言いたいことを言わなきゃ」と励ましてくれた。それなのに、自分を偽りこんな生活が幸せだと言い張るなんて。そんなエカの憤りが伝わったのか、最初は「余計なお世話」と反発していたナティアも、徐々に本音を打ち明けはじめる。ナティアの誕生日、二人は自分たちだけでささやかなパーティをする。大好きなパイを食べ、久々に心から笑い合う。だが幸福も束の間、またも悲劇が起きる。


一人で生きる力を持たない少女たち。その悲痛な叫びに、言いようのない怒りがこみ上げる。それでも二人はもう一度立ち上がる。この先にどんな困難が待ち受けていようと、ナティアはもう自分にウソはつかないはずだ。そしてエカは、まっすぐに現実と向き合うことを決意する。彼女たちが向かう先には、確かに希望の光が見える。

月永理絵

編集者・ライター

月永理絵

1982年生まれ。個人冊子『映画酒場』発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』編集人。書籍や映画パンフレットの編集のほか、『朝日新聞』 『メトロポリターナ』ほかにて映画評やコラムを連載中。

文/月永理絵 編集/国分美由紀