今週のエンパワメントワード「生理が生活を不便にすることはあっても、生理が自分を定義することはないよ」ー『肉体のジェンダーを笑うな』より_1

肉体のジェンダーを笑うな』山崎ナオコーラ ¥1,760/集英社

肉体にまつわる“呪縛”を解きほぐす

初めて生理がきたのは14歳で、中学校のトイレの中でそれを見た。いやだ、とまず思ったのを、いまでも鮮明に覚えている。性別に違和感があったわけではないのだが、これでもう、自分がどうしようもなく女であることから逃れられないと、瞬間的に悟ったのかもしれない。

あれからもう27年だ。PMSと月経痛はつねにひどく、でも、生理を理由に学校や仕事を休んだり、イライラや憂鬱を他人にぶつけたりしたことは、たぶんなかったと思う。

性別で人に迷惑をかけるくらいなら、人間関係に生理が介入することで対等さを欠いてしまうくらいなら、痛みや不快を表に出さずやり過ごしているほうがまだマシだった。「つらいよね」「わかるよ」「だいじょうぶ?」…いたわりの言葉が容易に地雷に変わってしまうほどには内心殺気立っていることを、自分でわかっていたからでもある。

本書はSF要素を盛り込みながら、持って生まれた身体的特徴や役割を一度疑ってみることで、「肉体のことだから、仕方ない」という自制や諦め、思い込みや呪縛を解きほぐしていく短編集だ。〈妊娠者〉〈股から血が出る性別に属する者〉など、「男」「女」という性別を示す記号を一切使わず「肉体」を描いているのも特徴的である。

例えば「父乳の夢」では、医療の発展により、男性も乳(父乳)を出すことが可能になった世界を舞台に、母乳神話を軽やかに超越した新しい子育てを描く。
「笑顔と筋肉ロボット」では肉体のスペックを問い、「顔が財布」では、美醜のジャッジや性的な愚弄を物ともしない価値基準を顔に与える。
「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」のテーマは、まさに生理とPMSだ。〈股から血が出る性別に属する者〉とそうでない者のわかり合えなさを会話劇であぶり出しながら、PMSを体験できるサーフボードを登場させて、肉体の境界線を溶かし、生理を性別から切り離していく。

それにしても主人公「平 太郎(たいらたろう)」の人物造形が、まあすごい。「わかるよ」を口癖に、ひたすらフラットに生きてきた太郎。自分が包容力ある人間だと信じて疑わず、恋人の「波照間 床(はてるまゆか)」に対しても、理解ある風な発言を繰り返すだけで、心根にあるのは無理解だ。

その言葉をいくつか拾ってみよう。
〈股から血が出るなんて、僕の性別じゃ考えられないから〉〈更年期も、生理も、バカにしないよ。なんでも話してね。恥ずかしがらないでね〉〈僕の場合は子宮がないから、僕はずっと思い遣る側であって、当事者にはなりたくてもなれないよね〉…いたわりと書いて地雷とルビを振りたくなるような発言のオンパレードなのだ。

でも、だからこそ床の、無理解を前にしても屈しない凛とした姿に、私たちは希望を見るのだろう。太郎の誤認識を正し、人間を分類していった先に個人にたどり着くわけでないことを諭し、性別によって人に迷惑をかけることなどないと同情心を突き放す。とりわけ、〈生理が生活を不便にすることはあっても、生理が自分を定義することはないよ〉の言葉には、27年間私がしてきた選択を省みる契機を得た。そうか、生理で私がジャッジされることなんて、なかったのだ!

さて。サーフボードを手にしたことにより、毎月PMSが訪れるようになった太郎の生活は当然様変わりする。果たしてその変化とは。そのとき床が太郎にかける言葉とは。感情的にならず常にフラットでありたいと生きてきた太郎が、どのようにPMSの波を乗りこなすのか、ぜひその目で確かめてほしい。

木村綾子
木村綾子

1980年生まれ。中央大学大学院にて太宰治を研究。10代から雑誌の読者モデルとして活躍、2005年よりタレント活動開始。文筆業のほか、ブックディレクション、イベントプランナーとして数々のプロジェクトを手がける。2021年8月より「COTOGOTOBOOKS(コトゴトブックス)」をスタート。

文/木村綾子 編集/国分美由紀