今週のエンパワメントワード「ニシノユキヒコが幸福でありますように」ー『ニシノユキヒコの恋と冒険』より_1

ニシノユキヒコの恋と冒険
U-NEXTにて配信中
©2014「ニシノユキヒコの恋と冒険」製作委員会

愛を求め続けた男の、寂しさと孤独

年齢やタイプ、性格を問わず、とにかくたくさんの女性が寄ってくる。彼は誰からも好かれ次々に恋を楽しむ、いわばプレイボーイ。でも彼自身はたくさんの恋をしたいとは願っていない。「普通に結婚したい。普通でいたい」と夢見ながら、どんな恋も、必ず最後はフラれてしまう。その理由が、彼にはどうしてもわからない。

川上弘美原作の小説を井口奈己監督が映画化した『ニシノユキヒコの恋と冒険』は、タイトルそのままに、竹野内豊演じる、「ニシノユキヒコ」という男の恋愛遍歴を描いた作品。映画は、ニシノが交通事故で唐突に亡くなってしまうところから幕を開ける。そして彼の葬式がにぎやかな雰囲気で始まり、これまでつきあった女性たちが次々に参列。彼との思い出を和やかに話し始める。

ニシノユキヒコに次から次へと恋人ができるのは、彼に天性の才能とでもいうべき不思議な力があるからだ。目の前にいる女性が何を望んでいるかを、敏感に察知し、理解する能力。ただし、彼女たちの欲望に律儀に応えるあまり、ときにモラルの問題を踏み越え、不倫や二股などトラブルを引き起こすこともある。

自分の欲望になんでも応えてくれる恋人は、一見、とても理想的だ。けれど、ふと考える。果たして彼自身の欲望はどこにあるのだろう? 彼が心から誰かを欲したことはあるのだろうか?

ニシノの会社の上司だった「マナミ」(尾野真千子)は、彼の抱える欠陥にいち早く気づいた人かもしれない。生真面目な彼女は、ニシノに惹かれながらもなかなか素直になれずにいたが、彼の元恋人「カノコ」(本田翼)の出現を機に、ようやくつき合い始める。会社でもこっそり二人の世界を楽しむ姿は、見ているだけで気恥ずかしくなるほど幸せそうだ。だがそんなふやけた彼女の顔に、いつしか冷静さが戻る。何がきっかけだったのかはわからない。彼女は、この恋が決して長くは続かないこと、そしてその原因はニシノという男の本質に根ざしていることを知ってしまった。

ある夜、ニシノはマナミにプロポーズをし、「僕はずっとマナミのことが好きでいたい」と語る。その言葉がどれほど残酷か、彼にはわかっていない。「好きでいたい」という言葉は願望であり、「好きだ」という欲望とは別のもの。つまり彼は、好きだという気持ちに応えることはできても、自ら誰かを好きにはなれないのだ。マナミがあっさりとプロポーズを断ったのは、そんな彼の本心を察したからだろう。その本意がわからず、「寂しいよ」とつぶやく彼に「寂しさは共有できないからね」と彼女は優しく言い聞かせる。どれほど近くにいても、孤独や寂しさはそれぞれのもの。ベッドに寝転がる二人の間に、実は大きな境界線が引かれていることを、私たちは知る。

ニシノの部屋を出てひとり帰路につくマナミの顔は、どこか晴ればれとしている。そうして彼女は「かわいそうなユキヒコ」と独り言を言いながら、そっと目を閉じ、こうつぶやく。〈ニシノユキヒコが幸福でありますように〉。それはまるで祈りの言葉のようで、なぜか胸にズシリと響く。

マナミと別れたあとも、ニシノユキヒコの恋と冒険は続く。どんな相手も拒まないが、最後にはフラれる彼の様子を見ていると、恋愛がもつロマンチックだが残酷な一面について考え込んでしまう。世界でたったひとりの相手を選びその人だけを愛しつづけることと、どんな相手も平等に愛することは、決して両立しない。だとすれば、「普通に結婚したい。普通でいたい」というニシノの夢がかなうことは、一生かかってもないのだろう。

だからこそ、ニシノユキヒコと出会った女性たちはみな同じことを悟るのだ。この人と一緒にいることはできないし、彼を幸せにすることもできない。彼の寂しさが一生解消されないこともわかっている。憎たらしくて、誰よりかわいそうな人。それでもふにゃりと笑う彼の顔を見たら、誰もが願わずにいられない。〈ニシノユキヒコが幸福でありますように〉。それは、どこか辛辣で、だけど優しい別れの言葉。この映画を観た人もまた、きっと心の中でそうつぶやいてしまうはず。

月永理絵

編集者・ライター

月永理絵

1982年生まれ。個人冊子『映画酒場』発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』編集人。書籍や映画パンフレットの編集のほか、『朝日新聞』 『メトロポリターナ』ほかにて映画評やコラムを連載中。

文/月永理絵 編集/国分美由紀