今週のエンパワメントワード「正しさは、私たちの生きる目標になるほど明々白々なものではない。」ー『「能力」の生きづらさをほぐす』より_1

『「能力」の生きづらさをほぐす』勅使川原真衣¥2,200/どく社

曖昧な「正しさ」に振り回されないために

自分が「できない」存在だと思ったことはないだろうか。私はある。どちらかというと、いつもそちら側だ。学生時代は何かで表彰されたり、先生から高く評価されることとも無縁だったし、社会に出てもどうにも空回りしてしまい、自分には「能力」がないと途方にくれたことが何度もあった。

ソフトクリーム販売のアルバイトでは、不格好で崩れそうなソフトクリームを山ほど作って売り物にならず、家庭教師をやれば緊張しすぎて聞かれたことに答えられず、帰宅後全身にじんましんが出たこともある。「できない」が根底にある私だが、それでも「ここにいて良し」と受け入れてくれる書店での仕事や職場に出会い、なんとかこうしてやってきた。

できないのは「能力」がないのだから仕方ない──他人に対しても自分に対しても、そう思った経験がある多くの人に読んでもらいたい本が『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)である。著者の勅使川原真衣さんは、現在がんと闘病中。そんな勅使川原さんが15年後に“ゆうれい母さん”として現れ、子どもたちと対話をするユニークな形式の本である。

本書は息子のダイくんが社会人となり、これまでと同じようにやっているのに職場で「仕事ができないやつ」と言われるようになってしまった、という悩みから始まる。

組織開発コンサルタントであったゆうれい母さんは、当たり前に使われてきた「あの人はできる/できない」とか「能力の有無」という評価が、いかに不確実であやふやで、実体のないものであるかをダイくんと妹のマルさんに向かって解き明かしていく。大事なのは「誰と、何をどのようにやるか」ということで、「能力」は環境次第でいくらでも変化するのだとも。

ではそんな「能力主義」がなぜなくならず、多くの人が当たり前のように使っているのか?

本書では教育と評価について研究が進められてきた教育社会学の観点、誰もが知っている「適性検査」や高業績を生み出す人の行動特性との類似度合いを測る「コンピテンシー検査」、性格診断といった人材開発業界のヒット商品の裏側などから、その理由に迫っていく。巧みなビジネスのカラクリが明らかにされ、正解を提示していく側と、現場とのもたれ合いの関係があぶり出される。

でもそれだけが問題なのではない。私たち自身にも、自分の隠れた能力や可能性を誰かに示してもらい、不安や葛藤、迷いをなくしたいと願ってしまう、どうにもならなさがあることが実体験とともに語られていく。こんなに聡明で理知的な著者でも…というエピソードに、自分もまた何かにどうしても頼りたくなる存在なのだということに改めて気づかされていく。

〈正しさは、私たちの生きる目標になるほど明々白々なものではない。〉

「能力」という絶対的に見える判断基準は、誰かの視点や価値観が背後に巧みに隠された正しさだ。そんな偽りの正しさに振り回され、高め続けることを求められる社会に私たちは生きている。そのループからは、そろそろ降りようじゃないか。

今ここにいるデコボコした自分も、他者も尊重し、揺れたり迷ったりして葛藤を抱えながらいろんな人とともに生きていく。本書のメッセージが伝わったその先には、きっと今とは少し違う、もっと生きやすい社会が広がっていくはずだ。

宮台由美子

代官山 蔦屋書店 人文コンシェルジュ

宮台由美子

代官山 蔦屋書店で哲学思想、心理、社会など人文書の選書展開、代官山 人文カフェやトークイベント企画などを行う。毎週水曜20:00にポッドキャスト「代官山ブックトラック」を配信中。

文/宮台由美子 編集/国分美由紀