『おとなのためのアイラブみー』収録現場にて。(左から)富永京子先生、岡崎文さん、高戸映里奈、藤江千紘さん

『おとなのためのアイラブみー』収録現場にて。(左から)富永京子先生、岡崎文さん、高戸映里奈、藤江千紘さん

主人公・5歳の“みー”が、「自分を大切にするってどういうこと?」をテーマに、体や心についてさまざまな発見をしていく子ども向けアニメーション番組『アイラブみー』。そのプロデューサーである藤江千紘さんと岡崎文さんのお二人によるポッドキャスト番組「おとなのためのアイラブみー」とyoiとのコラボ配信が実現! 「わがまま」についてのモヤモヤを探ってきたこれまでの第1回第2回に引き続き、第3回目の今回もyoi peopleのお一人である社会学研究者の富永京子先生とyoiエディターの高戸映里奈が番組にゲスト出演。その配信の内容を一部抜粋してお届けします。フルバージョンは『Spotify』にて絶賛配信中ですので、ぜひお聴きください! 

●ポッドキャスト番組『おとなのためのアイラブみー』
5歳の主人公・“みー”の心や体にまつわるふとした疑問をアニメーションで描く、子どものためのじぶん探求ファンタジー番組『アイラブみー』を制作するプロデューサー、藤江千紘さんと岡崎文さんによるポッドキャスト。性教育の疑問やこじらせてしまったモヤモヤを専門家にぶつけ、答えを一緒に探っていくトークプログラム。俳優・満島ひかりさんの声で楽しむ「聴くアニメーション アイラブみー」も配信中。毎週火曜日に配信予定。

「ママ」になることで“削られる”ことって?

笑顔の藤江さん

藤江さん 「『ママ』としてうまくできていないし、かといって自分の人生を謳歌できているわけでもない」とか「『ママ』というイメージに削られてしまう」という悩みをよく聞きます。

岡崎さん 富永先生もyoiでのインタビュー記事で、ママになることによる変化についてどちらかというと“違和感”としてとらえていたと思うんですが、今はどうなんですか?

富永先生 
今はこうやっていろんな場でお話しさせていただくなかで、「ママ」という役割を享受しているところもあるけれど、それもおかしな話だなというか…。母親に言われてショックだったのが、「妊娠・出産を秘匿していたというわりに、一度話しはじめたらぺらぺらしゃべるんだね」と言われたことがあって。それは、自分でも異常に饒舌だなと思います。役割を得て、社会から“語っていい”という資格をもらった途端、ぺらぺらしゃべってるなと。“削られる”ことへの恐怖心は舌の根が乾いてきた感じがしつつも、でもやっぱり「ママはこうあるべき」というイメージやプレッシャーに対する恐れはあります。

岡崎さん 「ママはこうあるべき」というイメージには、「家庭を優先するべき」とか「今までみたいに仕事ができなくなる」とか「あまり華美に着飾ってはいけない」とか、いろんな要素があると思うんですが、先生は何にいちばん削られますか?

富永先生 私は個人で受けている仕事も多かったので、「仕事の依頼が来なくなるんじゃないか」というのはすごく怖かったです。「富永さんはお子さんがいらっしゃるから、託児サービスをつけてあげよう…ではなく、夜間の仕事は声かけるのはやめたほうがいいかな」となるのが怖かったです。

「ママはこうあるべき」という“ママ幻想”がしんどい

岡崎さん 相談される前に勝手に除外されるんじゃないか、機会損失しているのではないかっていうことですね。藤江さんはどうですか?

藤江さん 発話者が持っている『ママ』のイメージに全然ハマっていない自分を直視させられることってありますよね。「ママっぽいよね」「ママっぽくないよね」っていう話になったときの、その人が言っている「ママ」のイメージに自分が当てはまっているかどうか、いちいち考えなきゃいけないことにもちょっと削られる感じがします。

富永先生 モデルケースみたいな“キラキラしたママ”みたいなのが雑誌にもマスメディアにもSNSにもたくさん跋扈(ばっこ)しているじゃないですか。それを見て、優越感を持つ人って極めて少なくて、だいたい劣等感ばかりだと思うんです。そういう意味で、モデルケースにハマらない自分へのモヤモヤってありますよね。ハマらないことに対しては納得しているけれど、なんでこんなに自分を卑下しなきゃいけないんだろうっていう感じ。

岡崎さん なるほど。ハマりたいわけじゃないんだけど、勝手にモデルケースが提示されるから、それとのズレに対していらぬ劣等感を抱かされることで削られる。

虹色の光の反射、イメージ画像

藤江さん 私は30代半ばくらいに妊娠したので、大人になってからレッテルとかラベリングから少しずつ自由になってきたところで、再び「ママ」っていうすごく強烈なラベルがどーんとついたから…。もっと若くに妊娠していたらそこまで違和感を持たなかったのかもしれないけど、反動みたいな感じで。

富永先生 「また教室に入るのか」みたいな。

藤江さん そういう感じです!

岡崎さん まさに、先生のご著書『みんなのわがまま入門』にも出てきた“ふつう幻想”。「これがふつうだ」って皆が思いこんでいる幻想だけがあって、そこに対していたらないところは実は皆が我慢している、という話と同じように、“ママ幻想”みたいなものがある感じがしますよね。

高戸 妊娠・出産によって「ママ」というラベルを持つことで、背負うものや失うかもしれないものへの恐れは、yoiでもよく取り上げます。性教育YouTuberのシオリーヌさんが、「女性の生き方がこれだけ多様化してきているにもかかわらず、『ママ』や『お母さん』の固定観念は全然変わっていない」とおっしゃっていて。確かに、アニメや映画、ドラマなどでもお母さん役の声色やファッションって、画一的なイメージがまだ強いと思うし、そういうところから刷り込まれる「ママっぽさ」みたいなものがある。それに対して、まだ当事者じゃない、いずれ子供を持ちたいという読者も「そうならなきゃいけないのかな」とすごく恐れているんです。妊娠・出産による体の変化だけじゃなく、自分のアイデンティティの喪失みたいな恐れがあるから、ライフプランとして積極的になれない。「働きづらくなる」などの具体的なことよりもっと以前の、漠然とした怖さがあるんだなとyoiをやっていて思います。

「子育て中」という肩書は“苦労している”イメージ?

話している富永先生と頬杖をついている岡崎さん

藤江さん このポッドキャスト番組は「子育て中のプロデューサー二人が自分を大切にするってどういうことかを語り合う番組」として紹介しているんですが、そう定義することで、聴いてみようと思う入口になったり、共感してくれる相手がいるんじゃないかという部分もあるけれど、実は、ちょっと落ち着かないような感じもあるんです。

富永先生 完璧なママ像みたいなものがどこかにあるから後ろめたく思っちゃうんですかね?

岡崎さん そんなに“ママ感”がないのに、こういうときだけ“ママ感”出してくるみたいな後ろめたさもある。

藤江さん そうそう。

岡崎さん 先生がおっしゃる通り、「子育て中のプロデューサー」って言ったときの、“ママが負ってると思われる苦労”を実際にはちゃんと負ってない感じがあります。育児に追われて自分のことがなにもできなくて、苦労しながらでも頑張ってやってます、っていう悲惨めいたことでもないし、みたいな。

富永先生 アメリカの映画とかドラマであるような、子どもを抱えて、仕事も頑張って、でもヒールもはいてて…みたいな、ザ・ワーキングママみたいなものではないってことですよね。そこそこ私もゴロゴロしながらマンガとか読んでますからね(笑)。

壁面に落ちる草木の影

高戸 私はまだ育児の経験がないんですが、新しく得た「ママ」というラベルで、個人差はあれその役割と責任を果たしてれば、“苦労していない”ことを後ろめたく思ったり、モヤモヤしなくていいんじゃないかなと思っちゃいます。でも、どちらにせよ自分の実態とラベルのイメージにギャップがあるのは気持ちよくないっていうことですか? 

岡崎さん そうです、そうです。

高戸 ラベルのイメージよりも自分はもっと頑張ってるのにとか、もっと自分らしくこうしてるのにっていうギャップもフラストレーションだと思うし、逆にイメージに便乗して底上げされているかもって思うのも心地よくないのはわかりますね。

富永先生 (配慮される側の人には)清廉潔白でいてほしい、困っていてほしい、大変でいてほしいみたいな、社会からの勝手な理想の投影だと思うんですが、それを「ママ」に対して持っちゃっているかもしれないですよね。

岡崎さん それはすごくしっくりきます。「ママは大変であるべき」みたいな。つまり、大変じゃなかったときに「ママしていない」感じがするんです。ママをさぼってるから大変じゃない、みたいな。いらぬ罪悪感を抱かされることはある。

藤江さん それって「ママ」は配慮されているっていう前提があるから、ママ=大変であるべき、みたいなものがあるのかな。

「ママ」としてしゃべるのは窮屈?

Spotifyのロゴボード

高戸 配慮は必要であるし大事なことだと思うんですが、「ママ」に対しての一方的なイメージやラベルの大きさみたいなものも、社会が押し付けちゃってるのかな。パパになっても「パパっぽい」とか「パパっぽくない」とかは、ママほどは言われないんじゃないかと思ったり。「ママ」になることの変化の大きさ、背負わされるものの大きさは窮屈に見えたりします。

富永先生 窮屈だなと思ったのは、保育園や区の施設などで「困ってることありますか?」などと聞かれたりするとき、「ママとしての肩書はこんなにしゃべりづらいのか」と思いました。メディアで富永京子としてバックグラウンドが知られている状態だと「ここが大変、つらい」「ここは楽しい」などぺらぺらしゃべるわけです。でも、「●●ちゃんのママ」と言われた瞬間に何も言えなくなって。それは、自分の背景について先生や区の職員の方に「困ってること」を話すためには、自分の職業やパートナーなど個別性が高いものを共有することになるので、わりと特殊な行為だと思うんです。

岡崎さん ちょっとした困りごとでも本当にわかってもらうためには、自分のパーソナルな事情を全部言わなきゃいけなくて、それを今会ったばかりの区の職員の方に全部言う必要があるのかとか、言ったところでどうにかなるのかとかを考えると、「困ってることはないです」ってなっちゃう。

藤江さん カタカナの「ママ」っていうだけの自分として悩みや困りごとを言ってくださいと言われると、どう説明していいかわからないという気持ちは確かにそうだなと思います。「●●ちゃんのママ」っていうことだけでつき合っていると、お互いの背景がわからない。だから、例えば習い事の話にしても、「この人は子どもに習い事をさせようとしてるのか…?」とかいろいろ考えて何も言えなくなっちゃって、結局天気の話とかになっちゃう。

岡崎さん 果たしてその話、本当にしたいのか? っていう話だけして帰ってきちゃう(笑)。

▶︎フルバージョンはぜひSpotifyでお聴きください! 

富永京子

立命館大学産業社会学部准教授

富永京子

立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。専攻は社会運動論。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。著書に『社会運動と若者』『社会運動のサブカルチャー化』『みんなの「わがまま」入門』など。

藤江千紘

NHKエデュケーショナル チーフ・プロデューサー

藤江千紘

NHK入局後、ディレクターとして『トップランナー』『プロフェッショナル 仕事の流儀』などのドキュメンタリーを制作。その後、『天才てれびくん』をはじめとした子ども番組の制作を経て、『ねほりんぱほりん』の企画・演出などの番組開発を担当。現在は、NHKエデュケーショナルにて『アイラブみー』など番組事業のプロデュースを行う。

岡崎文

NHKエデュケーショナル プロデューサー

岡崎文

NHKエデュケーショナル入社後、『NHK高校講座』『ふしぎがいっぱい』など学校教育の現場で使用する放送番組や、『課外授業 ようこそ先輩』といったドキュメンタリー番組、『きょうの料理』などの趣味実用番組を制作。現在は、若手社会人向けの『とまどい社会人のビズワード講座』の企画・演出と『アイラブみー』の番組事業プロデュースを行う。

撮影/藤沢由加 企画・編集/高戸映里奈(yoi) イメージ画像/gadost LFO62(Getty Images)