【yoi2周年スペシャルインタビュー第1弾・前編】モデル、俳優として、国内外の第一線で活躍し続ける水原希子さん。周囲となじめずに悩んだ幼少期から、自分だけの個性を見つけるまでの道のりと学び——。唯一無二の存在感を放つ水原希子さんが、“今の自分になるまで”を、前後編でお届けします。

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まわりになじめなかった幼少期。つねに人の目を気にしてオドオドしていた

改めて振り返ると、葛藤が多い幼少期だったと思います。公立の学校に通っていたので、当時の「ダニエル」という苗字や外見だけで目立ってしまって。子どもって無邪気だから、悪意なく違いを指摘してくるんですよね。みんなになじめないことをコンプレックスに感じ、つねに人の目を気にしながらオドオドしていました。もちろん楽しい瞬間もあったけど、パッと思い出すのは、そういった葛藤ばかりです。

――2003年にミスセブンティーンオーディションを受けて、雑誌『Seventeen』の専属モデルに。まわりの目に敏感だった幼少期を経て、モデルを目指したきっかけを教えてください。

物心がついた頃から、お着替えごっこをして遊ぶことが大好きでした。アメリカのおばあちゃんが送ってくれたドレスやハロウィンのコスチュームを何度も何度も着て楽しんだり、『スパイス・ガールズ』に憧れてお姉さんっぽい服を選んでみたり。そういう格好をすると、自分が強くなれた気がして。今思えば、当時からファッションの持つパワーに魅了されていました。

裕福な家庭ではなかったから、服はもちろんファッション誌を買ってもらえるのは特別なときだけ。ある夏、アメリカに帰省する際の機内で読むためにと買ってくれた『Seventeen』で、専属モデルのオーディションがあることを知り、挑戦してみよう!と。水着審査では、みんなビキニなのに私だけスクール水着で、恥ずかしかった記憶が鮮明に残っています(笑)。ダメもとだったから、合格の連絡が来たときは、ただただ驚きましたね。

ファッションが大好きで始めたモデル活動。辞めざるを得なくなりました

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――過去のインタビューでは、「モデルとして新しい世界を知られたことが心の解放につながった」とおっしゃっていました。そう感じたのは、なぜだと思いますか?

そうですね。特に、自分と同じ海外のバックグラウンドがある人と知り合えたことが大きかったと思います。忘れられないのが、『ミスセブンティーン』お披露目会の日のこと。当時誌面で自分と同じ“ハーフ”モデルとして活躍していた木村カエラちゃんが「希子ちゃんに会いに来たの!」とわざわざ見に来てくれて、すっごくうれしかったし、勇気をもらえた。色んな意味で、世界が広がった瞬間でした。

『Seventeen』モデルとして活動したのは3年。当時は反抗期で、とにかくやんちゃでした。マネージャーもいないし、中身はただの子ども。仕事が終わったあとは自由時間だったから、遊んでしまったりして、結局モデルを続けることができなくなりました。そのとき初めて大きな挫折を経験したことが、自分を見つめ直すきっかけだったと思います。

――神戸から東京に通っていた『Seventeen』モデル時代を経て、16歳のときに単身で上京したのですよね。

モデルの仕事から離れてみて、改めてその楽しさや自分の特性を生かせることのありがたさに気づきました。やっぱり自分の居場所はファッション業界しかない、と確信した。そしてちょうどその時期、母親と衝突したことも上京の決定的な出来事となりました。

今思えば、母はシングルマザーとして私と妹を育てていたから、いっぱいいっぱいだったんだと思う。でも当時の私は母と衝突した翌朝、「もう出ていく!」と宣言し、荷物をまとめて東京に向かいました。

上京後、声をかけてくれていた事務所の方に連絡をしたところ所属が決まり、一人暮らしを始めました。

初めて“自分らしさ”を見つけた日。自分を主張することの”美しさ”に触れた瞬間

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――その後、『ViVi』の専属モデルに。モデル業を再開し、新たに感じたことや気づきはありましたか?

『ViVi』はずっと愛読していた大好きな雑誌でした。海外のバックグラウンドがある子がたくさん活躍していたり色んなタイプのモデルがいて、「私が目指すべき場所はここかも」という感覚がありましたね。

当時『ViVi』モデルはギャルのカリスマ的存在で、「爪痕を残さなきゃいけない!」と意気込んだものの、現場で一緒になると圧倒されてばかり。私も自分だけの個性を見つけたくて、毎日、鏡の前でポージングの練習をしたり、雑誌を読みあさっては研究したりしていました。

最も影響を受けたのは、看板モデルだった長谷川潤ちゃん。潤ちゃんは必ず、スタジオで音楽をかけて気分を高めてから撮影に挑んでいて、まるで踊るように、しなやかにポージングを繰り広げる。「こうやって気分を高めるのか」とか「自分が気持ちよくなるとパフォーマンスもよくなるんだ」とか…目から鱗な発見の連続でした。

――この時期の仕事や出会いも、変化のきっかけになったんですね。

そうですね。“自分らしさを主張することの美しさ”に触れられたと思います。私はミドルネームがオードリーなのですが、同じ名前であるオードリー・ヘプバーンのクラシカルな雰囲気に憧れていて。だから、当時は焼けた肌に茶髪が主流だったけれど、あえて肌を焼かずに白さを維持して、髪も真っ黒で赤リップのスタイルでした。

そうやって自分らしさを確立したら、たくさんの人が褒めてくれた。本当に好きなものを表現できようになったことは、幸せにも自信にもつながりました。

滞在中、毎日泣くほどつらかったパリへの単身渡航

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――18歳のときにパリへ渡航し、現地のモデル事務所を巡ったそうですね。『ViVi』を含むさまざまな雑誌で活躍する中、海外を目指したのはどうしてですか?

モデルとしての感覚をなんとなく掴めたから、もっと新しい世界を見てみたくてファッションの本場・パリで挑戦したいという気持ちが芽生えました。


ちょうどその頃、ある撮影でフランス人の女性フォトグラファーと出会ったんです。彼女から「あなたすごく素敵だからパリに来たら? エージェントを紹介してあげる」と言われて、意気揚々とパリに向かいました。でも到着の連絡をした途耐、いっさい返信がなくなっちゃって(笑)。なんとか友人が紹介してくれたコーディネーターさんの助けを借りて、モデル事務所巡りを達成しました。

パリでの活動は…結論から言うと、ほとんど相手にしてもらえなかった。今のように多様性が美の時代ではなかったから、アジア人で身長が170cm未満の私はチャンスすらもらえない。最後の最後にひとつだけオファーをくれた事務所があったんですが、パリに住むことが条件だと言われ、じっくり考えるために帰国しました。

――18歳で経験するには、かなり過酷な旅だったのではないでしょうか…。

滞在中は毎日泣いていたほどつらかったけど(笑)、最終的にはいい経験になったと思います。道端で声をかけられたスカウトマンにエージェントを紹介してもらうなど、素敵な出会いもあったし、目的は達成できたので。

そんな経験を経て帰国した直後に、映画『ノルウェイの森』のオーディションの声がかかったんです。

新しい可能性があるならば、挑戦せずにはいられない。それが私の性格なんです

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――水原さんにとっての俳優デビュー作ですね。もともと俳優業に興味があったのでしょうか?

正直、演技をやりたいと思ったこともなかったし、やれる自信もなかったのですが。ベトナム系フランス人の監督が私を指名してくれたと知り、ちょうどフランスから帰国直後だったこともあって、運命を感じたんです。「会ってみたら何かにつながるかもしれない」という淡い期待を胸に、オーディションに挑戦しました。

初めて挑むお芝居は想像を絶するほどに難しかった。一応、最後まで受けようと続けたけれど、最終オーディションの日は疲れが限界に来ていました。朝までCM撮影をしていたせいで台本も覚えられなくて、「ごめんなさい、昨日4時まで仕事をしていて、もう無理です」と辞退を申し出たら、監督が散歩に連れ出してくれたんですよね。

渋谷を歩きながら、自分の家族のことや父のこと、当時の恋人のこと…あらゆることを話しました。そうしたら監督から突然、「緑は君で決まり!」と言われて。そこで役が決まったんです。

――そんな経緯があったんですね。本作以降も次々と話題作への出演が決まり、『ノルウェイの森』は水原さんの代表作のひとつになりました。初めてのお芝居は、いかがでしたか?

楽しめなかったですね、まったく。最初から最後まで、つらかった記憶しかありません(笑)。まず台詞の意味から理解できなかったし、監督は厳しい人で、多いときはワンシーンを50回もやり直した。松ケン(松山ケンイチ)をつき合わせてしまうことも、フィルム代がかさむことも申し訳なくて、毎日がプレッシャーとの戦い。最終的には、完成した作品がとても美しかったので、それだけが救いだったかな。

だから撮影を終えたとき、「二度とお芝居はしない」と心に誓いました。でも翌年、『ヘルタースケルター』のオファーをいただいて。やらないと決めていたはずなのに、もともと原作のファンだったこともあり、「やるしかない!」という感覚になったんですよ。うまく説明できないのですが…新しい扉が開いちゃったから仕方ないよね、という感じで。新しい可能性があるなら、挑戦せずにいられない。それが私の性格なんだと思います。

水原希子 Mizuhara Kiko モデル 俳優 インタビュー これまで

水原希子

女優、モデル、デザイナー

水原希子

女優、モデル、デザイナーとしてマルチに活躍し、国内外のさまざまな作品や雑誌の表紙で存在感を放つ。日本語、英語、韓国語を話すトライリンガルで、ソーシャルメディアでも圧倒的な人気を集める。

取材・文/中西彩乃 撮影/松岡一哲 スタイリスト/小蔵昌子 ヘア&メイク/Sakie 企画・編集/種谷美波(yoi)

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