第96回アカデミー賞で作品賞と脚本賞にノミネートされた『パスト ライブス/再会』。自身の体験をもとにした本作で長編監督デビューを飾ったセリーヌ・ソンさんは、オリジナル脚本とプロデュースも手がけて注目を集めています。多様な文化をバックグラウンドに持つソン監督に、今回の体験を通して感じたことや作品の意義について伺いました。
ⒸEmma McIntyre/Getty Images
セリーヌ・ソン/ 監督・脚本・プロデューサー プロフィール
1988年、韓国・ソウル出身。父は映画製作者のソン・ヌンハン、母はイラストレーター。12歳でカナダ・オンタリオ州マーカムに移住し、地元のクイーンズ大学とアメリカ・ニューヨークのコロンビア大学で学んだ。劇作家としてニューヨークの劇場を中心に活躍し、ドラマシリーズ『ホイール・オブ・タイム』にスタッフライターとして参加した。長編映画デビュー作となる『パスト ライブス/再会』で、第73回ベルリン国際映画祭で金熊賞、第96回アカデミー賞では映画は作品賞と脚本賞にノミネートされ、脚本賞では自身の名前があがった。現在、A24のもとで『The Materialists』(監督・脚本)を製作中。
『パスト ライブス/再会』STORY
ソウルで生まれたナヨンは、クラスメイトのヘソンと初めての恋に落ちるが、お互いに思いは告げないまま、ナヨンは12歳のときに親の都合でカナダのトロントへ。英語名ノラとして、新たな人生を歩むナヨンは、24歳でニューヨークへ単身移住し、新進気鋭の劇作家として注目されつつあった。一方、ソウルにいるヘソンは大学で工学を学び、兵役中もノラのことが忘れられずにいた。そんなある日、二人はビデオチャットで12年ぶりに会話を交わすが、再びすれ違ってしまう……。
多文化の背景があることで、より生きやすくなったのかなと思います
12歳で離れ離れになったノラ(グレタ・リー)とヘソン(ユ・テオ)は、すれ違いを経て、24年ぶりにニューヨークで再会を果たす。マンハッタンの街並みや美しいロケーションの数々も見どころ。
ーー今年のアカデミー賞作品賞10本のうち、『パスト ライブス/再会』『バービー』『落下の解剖学』と女性監督作が3本ノミネートされたのは史上初です。
セリーヌさん:本当にすばらしいことだと思います。私は女性監督として楽しみながらこの作品を作れたし、すごく苦労したという印象はないのですが、それは道を切り開いてくれた数々の女性監督のおかげなんですよね。彼女たちが一歩ずつ、この業界に変革をもたらしてくれた。そうした先人たちの努力があったからこそ、こうして私も映画制作のコミュニティに受け入れてもらい、女性監督として活躍できています。
サンダンス映画祭でこの映画がワールドプレミア上映されたのは、もう一年以上前になりますが、今になってもこうやって作品について話せること、共有できることは私にとって、特別な体験になっています。本当に光栄なことで、ハリウッドを開拓してくれたすべての女性たちに感謝しています。
ーーご自身を反映した主人公のノラと同じく、12歳でカナダに移住したことは、どんな体験でしたか? また、韓国とカナダ、アメリカといった多文化を背景に持つことには葛藤などがあったのでしょうか。
セリーヌさん:若い頃に移住したので、恐怖よりも冒険ととらえていました。だからつらい経験というより、楽しい経験として思い出に残っています。大人になって住む国を変えるというのとは違う感覚なのかなと。
多文化の背景があることについては、最初はやはりひとつの枠にはまっていないという意味では、周囲の人たちとは違うので多少は不安を感じていたかもしれません。でも、次第に人種などに関係なく、誰もがひとつの枠にはまっているのではない、自分は特別じゃないのだと気づいたんですね。自分は決まったひとつの存在ではなく、いろんな側面があるということをより受け入れやすくなりましたし、そのことによって生きやすくなったのかなと思います。
「運命」を意味する韓国の言葉、「縁=イニョン」に込められた思い
ノラ役のグレタ・リーは、韓国系移民2世として生まれた韓国系アメリカ人。本作の演技が各映画賞で高く評価された。ヘソン役のユ・テオは、ドイツ・ケルン出身の韓国人。高校卒業後はニューヨーク、ロンドンで演技を学び、2009年よりソウルを拠点に活躍。
ーー本作では「運命」の意味で使われる韓国の言葉、「縁=イニョン」がキーワードとなっています。タイトルの「パスト ライブス(前世)」も含めて日本人にもなじみのある感覚ですが、本作の特筆すべき点は、そのような韓国の哲学やイデオロギーを作品に持ち込んだことだと感じます。
セリーヌさん:日本とか韓国の皆さんは、東洋の哲学として「イニョン」の概念を理解されると思うのですが、アメリカやヨーロッパではそういう言葉は存在しないんですね。ただ、感覚は皆わかっているんですよ。言葉がなかっただけで、説明すると「そう感じたことがある」というふうに誰でも思うのではないでしょうか。
そうした東洋の哲学の概念を、映画の中でもともとの言葉を使って物語に組み込むことで西洋の観客、文化に紹介していけるというのは、とても意義のあることだと感じています。
映画が公開されてからずっと、いろんな国の人々がイタリア語やドイツ語などのアクセントで「イニョン」と口にするのを聞いてきたわけですが、その「イニョン」という言葉にみんなが気づいてくれて、自分が感じてきたものが「イニョン」だったのだと結びつけてくれた。そのことに韓国にルーツを持ち、西洋の文化で育った私にとっても今の時代の映画としても、大きな意味があると思うのです。
私にとって「イニョン」という言葉は、二人の人間がたまたまそこに居合わせて、そこに「イニョン」が存在するというだけで、その体験自体がより深く豊かであると感じさせてくれるものなんですね。私の人生そのものが、「イニョン」によってより豊かで深いものになっていくとも言えるでしょう。東洋のバックグラウンドがある私でさえそう感じるのだから、今までまったくこの概念とそれを表す言葉を知らなかった西洋の人が、これを知ったときにどれほど心を動かされたのか。その感動を、この映画を通して共有できたことが本当に嬉しいですね。
あなたの「過去」は他者の記憶の中に残っていて、大切に守られている
午前4時のニューヨークのバーのカウンターで飲んでいるノラとヘソン、ノラの夫アーサー(ジョン・マガロ)。「縁=イニョン」で結ばれたこの3人の関係性がすべて明らかになったとき、なんとも言えない思いが胸に込み上げてくる。
ーーこの映画を観ながら、自分の叶わなかった思いや過去を思い出す人も多いと思うのですが、監督の過去との向き合い方についての個人的な見解は?
セリーヌさん:「過去」というのは年月や空間を経て増えていくもので、誰であっても自分の一部を過去のある時点に置いてくることになるわけですよね。私やノラのように太平洋を渡ってこなくても、同じ都市にずっと暮らしていても、それは同じこと。なぜなら、16歳の自分から今の自分に移行しているのだから。物理的にどうなのかは別として、私たちは常に時間と空間を移動している、つまり過去の自分から前に進んでいるのです。
人は場所や過去の時間に自分の一部を残すこともあれば、他者の心の中に自分の一部を残すこともある。ノラにとってのヘソンのように、過去の自分を覚えてくれている相手が必ずいて、その人と再会したとき、当時の自分を一緒に思い出させてくれるわけですよね。今の自分と違う点と同時に、変わっていない点にも気づかせてくれるでしょう。自分の過去を大切に守ってくれているのは、そういう人々ではないでしょうか。今日の自分に、ずっとしがみつくことはできません。明日は1日歳を取るわけだし、今日は過去になるわけで、それが永遠に続いていく。だから過去を振り返って悲しむのではなく、過去を共有した人々の心の中にその過去が記憶として残っていて、楽しかったこともつらかったことも、大切に守られていることを喜んだ方がいいと思いますよ。その人はあなたのことを、その過去を通してずっと覚えていてくれるはずだから。
『パスト ライブス/再会』4月5日(金)全国ロードショー監督・脚本:セリーヌ・ソン
出演:グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロほか
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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構成・取材・文/今祥枝