『ナイルパーチの女子会』や『BUTTER』など多くの名作を手掛けてきた、小説家・柚木麻子さんの新著『あいにくあんたのためじゃない』。さまざまな葛藤を抱えながら生きる登場人物たちの姿を描いた6編の物語は、すべて自身の体験に基づいているそう。インタビューでは、作品が生まれた背景や、“あんたのためじゃない”自分の人生を生きる方法についても伺いました。
作家
1981年生まれ、東京都出身。2008年、『フォーゲットミー、ノットブルー』で第88回オール讀物新人賞を受賞。同作を含む初の単行本『終点のあの子』が2010年に刊行される。『伊藤くん A to E』(2013年)、『本屋さんのダイアナ』(2014年)で2年連続、直木三十五賞の候補入りを果たし、2015年に『ナイルパーチの女子会』で第28回山本周五郎賞を受賞。執筆業の傍ら、2023年にpodcast『Y2K 新書』をDIVAのゆっきゅんさん&振付師の竹中夏海さんと共にスタート。現在、シーズン2が配信中。
苦手だった相手を観察し包括的に理解することは、自分を守ることにもつながる
あいにくあんたのためじゃない/柚木麻子(新潮社)
——『あいにくあんたのためじゃない』では、キャンセルされたラーメン評論家(『めんや 評論家おことわり』)、孤独に苦しむ妊婦(『トリアージ2020』)、落ち目の元アイドル(『パティオ8』)など、“息苦しい世の中”を生き抜く主人公たちの6編の物語が収録されています。そもそも、これらの物語や登場人物について、どんなところから着想を得たのでしょうか?
柚木さん これを書いたのは、ちょうどコロナ禍だったんですよね。すべて自分の実体験が元になっていて、長い時間自宅で過ごす中で経験したこと、失敗したことなどを元に、6つの物語に構成しました。今まで私は、女性同士の連帯や友情など、自分の好きなことや好きな人、好きな世界についてばかり書いてきたのですが、このタイミングで“自分が嫌いな人間”についても向き合ってみようと。
——すでにWebで公開されていて、コミカライズもされている『めんや 評論家おことわり』では過去の発言により“キャンセル”されるラーメン評論家・佐橋が主人公で、女同士の連帯などにはまったく理解がなさそうなキャラクターですよね。佐橋の迂闊なSNSの投稿から、深く傷つき、人生を変えざるを得なかった登場人物たちが佐橋に復讐するという展開です。
©柚木麻子 もりとおる/新潮社
©柚木麻子 もりとおる/新潮社
柚木さん 『めんや 評論家おことわり』は元々、ラーメン業界に蔓延するホモソーシャルな雰囲気に違和感を持ち、その原因を探っていた頃の自分の経験がベースで。というのもこれを書きはじめることになった当時、実際にラーメン評論家やブロガーがセクハラなどでたびたび炎上していて、そのときに私は「どうしてラーメン業界って、排他的な雰囲気があるんだろう…?」と感じたんです。
私自身、「ラーメンは好きだけど、ラーメン屋ってちょっと面倒」みたいな偏見があり、足を運ぶ機会は少なかったんですが、その偏見の原因はわからなかったんですね。だから、まずは自分でラーメンを作ってみることにしたんです。
大量に買ってきた専門書をしっかり読んで、プロ用の寸胴鍋を買い、鶏ガラと豚骨を煮込んでスープを作りました。完成したラーメンをママ友に振る舞ったら、みんな口をそろえて「本格ラーメンを家で食べられるなんて夢のようだ!」と大喜びしたんですよ。「子連れでラーメン屋に行くのはハードルが高い」「残したら怒られそうだし、長居しづらい」という理由から、食べたくても食べられずにいたそうで。
あまりに喜ばれるものだからうれしくなって、スープももっとこだわるようになり、さらに麺まで打ち始めちゃって(笑)。味を改良するために人気ラーメン店も次々と訪れました。店主が女性だったり、物腰の柔らかな男性の店もあると知り、自分の中にあった偏見が正されていきました。
同時に私自身にも変化があって。人にラーメンを振る舞った際に、スープを飲む姿をじっと見つめたり、興味のない人にもラーメンを語ったり…私が当初、排他的と感じて嫌っていた、“腕組みするタイプのラーメン店主”みたいなメンタリティーに、私自身がなっていたんです。
——不思議な現象ですね…。なぜそうなったのだと思いますか?
柚木さん 今までも色んな料理を作ってきましたが、ラーメンほど喜ばれたのは初めてだったんです。小説を書くよりも何倍も気持ちいい瞬間が訪れたと言っても過言ではないくらい。安くておいしくて、老若男女に愛されるラーメンは、魔法の食べ物なんだな!と改めて実感しました。
それくらい威力を持っている食べ物だからこそ、作っている人や評論家の中にはマンスプ(マンスプレイニング=主に男性が、自信過剰に、人を見下したような方法で女性や子どもに何かを説明すること)したくなってしまう人がいるんだろう、と。最初はまっすぐな気持ちでラーメンと向き合っていても、毎日、爆発的に喜ばれ続ければ、誰もがその考え方に染まってしまうはず。現に私がそうでしたし、それがホモソーシャルな雰囲気を形成しやすい構造の根源なんだとも思いました。
そのあとしばらくずっとラーメンにハマって作り続けていましたが、自分がこれまで苦手だったタイプの人の気持ちを理解したことで、物事の解像度がぐんと上がって、ひとつの問題に対して、被害者一人の視点ではなく色々な人の視点から包括的に語れた気がするんですよ。
これは小説を書くうえではもちろんですが、実生活でも生きる、すごく大事なことだと感じました。例えば誰かに傷つけられたとき、怒るだけでも十分なアクションです。しかし、相手をじっくり研究すれば見えてくることがあるはず。それは自分を守ること、そして、構造そのものを壊すことにもつながると思います。
長年の悩みも、相手や場所が変われば解決されることがある
——今回の書籍では、「自分で自分を取り返せ」というキャッチコピーがとても印象的でした。柚木さんは、「自分が自分のままでいられていない」と感じることはありますか?
柚木さん あります、あります。私は小説家として、女性の心理や友情、信頼関係とかをまじめに描いてきたつもりなんですけど、書評や帯に「女は怖い」とか「女同士の怖さをえぐらせたらいちばん」とかって書かれてしまうことが本当に多くて。それにずっと悩んでいたんですね。
「女は怖い」と言われないために、あえてポップに『あまからカルテット』や『アッコちゃん』シリーズなどの小説も書いてみたりして。ありとあらゆることをやり尽くしたけれど、それでもやっぱりそう言われてしまう。この10年間、そのことにずっと頭を抱えていました。でも最近、それが思いも寄らない方法で解決されたんですよ。私の書いた『BUTTER』がイギリスやフランス、ドイツで翻訳版が出版されることになったんですが、あちらでも帯に「女は怖い」的なことを書かれるのかな…と恐る恐る、現地で貼られるポスターを見たら、あれこれ書かずに一言
「私、フェミニストとマーガリンが嫌いなの(原文:THERE ARE TWO THINGS THAT I SIMPLY CANNOT TOLERATE : FEMINISTS AND MARGARINE)」
とだけ書かれていたんです。「超かっこいい! 誰が考えたの? あ、これ本の中のセリフじゃん!」と(笑)。作中のセリフを書いただけなのに、すごいクールに見えて。だから、同じ事象でも環境が変わったり相手が変われば受け取られ方も変わって、悩んでいたことが嘘みたいになくなることもある。あれを見たときは、うれしかったし、これまでやってきたことが報われたような感覚がありました。
自分が信じるもののために行動すること
——柚木さんにとって、「自分が自分である」というのは、どのような状態でしょうか?
柚木さん 一言で表現するのは難しいですね…。でもひとつ言えるのは、初めて「自分が自分のまま」でいてもいいんだ、と思うことができたのは、2023年から始まったpodcast番組『Y2K新書』かもしれません。それまではトーク番組とかに出てもイマイチ跳ねなくて、「自分にテクニックがないからだ」と悩んでいたんですよ。でも思い返すと、これまで出てきたメディアって、こういう議論をして、こういう結論を導き出す…というように、あらかじめゴールが決まっていることが非常に多くて。
例えば「育児で報われた瞬間」みたいなお題が出されてトークするときとかって、回答の内容がなんとなく想像できるというか、選択肢が限られている感じがするじゃないですか。
もちろん制限がある中で輝ける人はたくさんいるけど、私はそうじゃないので。かといって伸び伸び喋りすぎてしまうと暴走して、スタジオにいる全員にキョトンとされて終わってしまう。その連続でした。
一方『Y2K新書』では自分が自分でいながらベラベラ喋って、竹中さんやゆっきゅん(柚木さんと『Y2K新書』に出演する、振付演出家の竹中夏海さん、アーティストのゆっきゅんさん)が聞いてくれて、さらにそれを面白いと思ってくれる人がいる。しかもそれも、一人、二人ではなく本当にたくさんの人が楽しんでくれている。それは自分にとってすごくうれしい発見でしたし、心の支えになっていると思います。
——自信を持って自分を表現できる状態、という感じでしょうか。
柚木さん そうですね。私にとっては、自分を認めてくれた友達や世間が、自分であることを肯定することにつながったと思います。もしも今、「自分を取り戻したい」と考えている人がいるならば、仲間の力を借りるといいと思います。もし仲間がいなかったら、まずは自分が誰かの力になってあげる。『めんや 評論家おことわり』で、佐橋という敵と戦うために結束する仲間たちのように。自分が信じていることのために行動することが、自分を取り戻すことにつながるんじゃないかな。
撮影/Kaname Sato 取材・文/中西彩乃 構成/種谷美波(yoi)