俳優・モデルとして活躍する新川優愛さん。2019年に9歳年上の一般男性と結婚、2023年に第1子を出産しました。妊活中の本音、妊娠初期に経験したトラブル、そして出産を通じて考えたこと……子育てをしながら仕事を再開した今、yoiだけに語ってくれました。

新川優愛

モデル、俳優

新川優愛

1993年生まれ。埼玉県出身。10代の時より芸能活動を始め、「Seventeen」「non-no」「MORE」「BAILA」など数々の雑誌の専属モデルとして人気を博し、俳優として、映画「老後の資金がありません!」(21年)、NHK 連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(22年)などに出演。バラエティー番組、舞台、CMなど幅広く活躍。西武ライオンズファンとしても知られる。

2021年の妊活スタートから2年。なかなか思い通りにはならなかった

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——出産から約1年を経て、現在の心境を教えてください

新川さん 子どもの体がだんだんとしっかりしてきて、ベイビーからキッズになってきているのを感じます。産まれてからがこんなに大変だと思っていなかったし、こんなに楽しいとも思っていなかった。いいことも、大変なことも、全然想像と違っていました。

——新川さんが「子どもがいる人生」をリアルに考えたのは、いつですか?

新川さん 2021年。即答できるのは、その時本当に初めて妊活のことを考えたからです。結婚して1年半、ちょうど出演作品に切れ目ができたときでした。長い付き合いのマネージャーとの会話で「このタイミングに子どものことを考えてみるのはどう?」と。夫婦ふたりで出かけるのが楽しい時期でもあったので、逆に、子どものいる生活については、それまで頭にありませんでした。
は、当時も今も「優愛ちゃんの叶えたいことを全部叶えていこう。それに向けて俺は努力するだけだから」というスタンス。妊娠と出産は、どうしても女性のほうに命を落とすリスクがある。それを認識しあっているので、妊活については私を優先して考えてくれました。そんな感じで「妊活って色々な方法があるんだ」と調べることから始めました。

——妊活から妊娠に至るまで、どんなことを考えましたか?

新川さん 妊活をしていて、すぐに子どもができたわけではありませんでした。さまざまな妊娠発表のニュースを見て、いいな、なんでうちはダメなのかな、と思う時期もありました。それもあって、自分の妊娠を発表することにも内心抵抗があったんです。仕事をしている女の人にとって、職場で自分の妊娠や出産を伝えるのって結構難しいですよね。もちろん直接関わりのある人に知らせないのは無理があるけれど、長く子どもができなくて苦しんでいる人もいる。妊娠してから生まれるまでも不安はあるし、事故があっては悔やんでも悔やみきれない。子どもが生まれた今があるからお話しできるけれど、私の場合は「赤ちゃんも自分もどうなっていたかわからない」という状況を体験しました


妊娠中に突然の出血。生命の危機を感じたときのこと

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——新川さんは、妊娠中に、当初の予定よりも早くお休みに入りました。その時のことを教えてもらえますか?

新川さん 妊娠中、自宅で一人でいるときに、大量の出血がありました。まだ家族と事務所にしか妊娠を知らせていない時期でした。その日は友人と会う約束があり、出かける前に洗濯物を干していたら、下半身にじわっと漏らしたような感覚があって……「えっ」と思ってからは時が止まった感じ。テンパっていたんでしょうね、迷いなく下着の中を確認したら真っ赤。これはやばいと思いました。病院に電話をして、友人には体調を崩してしまって、と連絡して。
病院に行ったら、絶対安静、動くと危険だと言われました。ああ、どうなってしまうのだろう、と呆然としました

——赤ちゃんの生命を第一に考えて、すぐに入院されたのですね

新川さん 子どもがお腹の中で成長しているのなら、できる限りのことをしたい。長距離移動のある仕事なども控えていたのですが、すべて休ませてくださいと伝えました。会社も今までの事情を知っていたので、即座に受け入れてくれました。入院を経て、無事に危険を乗り越えられたから今こうして話せるけれど、当時は精神的にきつかったです
夫は、本当に心配してくれました。手を握って大丈夫だよ、とか、そういうことは言わない人。そばにいてしてくれたのは、全然関係のないおしゃべりの途中で突然踊り出したりとか、野球を見ながら、大声でライオンズの応援をしだしたりとか(笑)、でもそれで気が紛れて。彼もきっと悩んでいるし、落ち込んでもいるだろうし、私も「なんでそんなに能天気でいられるの?」なんて絶対に思わない。素直にありがとうと思いました

無事に産まれたとき、新しいステージが始まったと感じた

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 ——母子ともに危険な状態から脱し、自宅での静養を経て出産。その時のことを覚えていますか?

新川さん 出産当日の朝は、破水から始まったので、やっぱり不安にはなりました。本当に生まれる瞬間まで、いきんでいるときも……いや、いきんでいるときは痛くて早く出てくれって思ってましたけど(笑)。大丈夫かなあ、と心配していました。正直、心配の種類が変わっただけで、生まれた直後も、今だって心配です。だけど、生まれた時、ひとつステージが変わったんだな、っていう実感がありました
産まれた日の夜はハイになって眠れなかったです。赤ちゃんは新生児室にいて、それまでお腹の中にずっといたのに……と寂しくて。たぷたぷとお腹をさすりながら、もういないのかあ、と、一人でじっと天井を見て考えていました

——大変な経験だったと思います。新川さん自身と、夫婦のパートナーシップと、赤ちゃんと、それぞれの力で懸命に乗り越えた感じがしますね

新川さん はい、これがうちのやり方だったんだな、と思います。生命の危険を感じたり、お仕事を急に休むことになったのは、望んでしたことではありません。でも、しっかりお休みをいただいたことで、母になる前に一人の人間としての時間をゆっくり取れて、結果としてはよかったと思っています。今になってみると「みんな命がけで生きているんだな」とひしひしと感じます

経験を通じて、さまざまな生き方を否定しない社会を望むように

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——出産を通じて、新川さんが感じた「みんな命がけで生きている」ということについて、ぜひ詳しく教えてください

新川さん これは私自身の経験で、世の中に本当にいっぱいある妊娠、出産のうちのひとつ。誰一人自分と同じじゃないし、誰もが違う経験や生き方を命がけでしている。そう感じたんです
例えば、結婚していることが幸せのすべてだとは私はまったく思わないし、一人での人生の楽しみ方があるのも知っています。今子どもがいる人、いない人、ほしい人、そうでない人……子どもが産まれてからも、本当にそれぞれの形があるじゃないですか、誰にでもねだから「こうあるべき」なんて道、なくない?って思うんですよね。家族でもない、会ったこともない人のことを、ネットでもリアルでも、距離感ゼロで干渉しようとする意見をよく見かけます。いい意味で「ほっとき合う」ことができたらいいのにと、私は思っちゃう。まず自分と違う考えや少人数の意見をおかしいと思わない社会になるのが大事かなと思います。

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撮影/松岡一哲 ヘア&メイク/河嶋希(io) スタイリスト/辻村真理 取材・文・構成/久保田梓美