累計販売数180万部を突破した『違国日記』が映画化。人見知りな小説家・高代槙生を演じた新垣結衣さんのインタビューと、作者のヤマシタトモコさんに作品に込めた思いを語っていただいたインタビューをまとめてお届けします。

【新垣結衣さんインタビュー前編】「私はコミュニケーションが上手じゃなくて、いつもぎこちない」『違国日記』のキャラクターに共感

新垣結衣
新垣結衣

沖縄県出身。2007年に公開された主演映画『恋空』が大ヒットとなり、第31回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主な話題作に、映画『ゴーストブック おばけずかん』、『正欲』などがある。テレビドラマでは、「逃げるは恥だが役に立つ」、「獣になれない私たち」、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、「風間公親-教場0-」などに出演。

新垣結衣 早瀬憩 違国日記 映画化

映画『違国日記』STORY
小説家の高代槙生(こうだいまきお)と、その姪・田汲朝(たくみあさ)の女同士の同居生活を描いたヒューマンドラマ。交通事故で両親を亡くし、親族たちにたらい回しにされる朝。その様子を見た槙生が、勢いで朝を引き取ることに。しかし槙生は他人と住むことに戸惑いを隠せず、朝は困惑する——。理解し合えない思いを抱えながら、まっすぐに向き合い、次第にかけがえのない関係となっていく姿が描かれる。

新垣結衣 違国日記 映画化

「わかり合えない」他人との暮らしのなかに流れる温かい時間

——主人公の高代槙生は35歳。新垣さんと同じ年齢です。槙生に共感を覚えた部分はありましたか。

新垣さん:槙生はキャラクター紹介とかで「人見知り」とひと言で表現されることも多いですよね。私自身、初めて会った人といきなり打ち解けることができないので、槙生とはそこが共通しているかもしれません。友人との時間も楽しみながら、一人の時間を大切にしているところも。

槙生はきっと、人と関わっていくなかでどうしても自分を消耗してしまう部分があって、自分や相手を守るためにも、一人の時間が必要な人なのかなと解釈しているのですが、私自身もそういう感覚があります。そして、「他人とすべてをわかり合うことは難しい」というのも、昔から漠然と考えていたことでもありました

原作は、友人に「読んでみて」とすすめられたことがきっかけで出合い、とても好きな作品だったので、オファーをいただいたときはうれしかったのですが、そのぶん「私でいいのかな」とプレッシャーも感じました。

この物語にはさまざまなキャラクターが登場しますが、大人も子どもも、いつもハッピーな人間なんていない。それぞれが傷や問題を抱えています。そこがリアルですし、この作品の大きな魅力でもありますよね。会話ややりとりのなかで、「人は完璧ではない」ということや、わかり合えなくても寄り添うことはできるし、だからこそ日常に温かい時間が流れることがあると改めて教えてくれるので、救われる気持ちになります。

新垣結衣 違国日記 映画化 2

みんなにとって居心地のよい現場が理想だから、ちょっとふざけてみる

——他者は理解できない存在であるけれども、リスペクトしてそれを超えていくことも『違国日記』のテーマのひとつに感じます。新垣さんが人とコミュニケーションをとるうえで大切にされていることはありますか。

新垣さん:私はコミュニケーションがあまり上手ではなくて、「私と話しても楽しんでもらえないんじゃないか」「失礼なことをしてしまっていないかな」と考えてしまうタイプなんです。それで不安になったり、緊張してしまったりして、ますますぎこちなくなってしまいます。コミュニケーションがうまくいく方法があれば、逆に教えてもらいたいくらいです(笑)。

ただそのままだと、まわりの人にも気を遣わせてしまうので、自分を楽しませるためにも、特に現場ではちょっとだけふざけるように心がけています。そうすることによって、私の肩の力も抜けますし、まわりのキャストさんやスタッフさんたちにも安心してもらえると思うので。ふざけるといっても、持ちネタやギャグがあるわけではないんですが、「少し緊張してしまっているけれど、この現場を楽しみたい」という気持ちが伝わってコミュニケーションのきっかけにもなることもあるので、自分からふざけるように意識しています。

【新垣結衣さんインタビュー後編】「パブリックイメージも自分の一部と思えるようになった」自分らしさを見つけた現在地

新垣結衣 違国日記 映画化 3

自分の考えを頭から出して客観視してみる

——「自分の気持ちを言語化する大切さ」は『違国日記』において物語の根幹である大きな要素です。新垣さんは自分の気持ちを整理したり、言語化したりする機会はありますか。

新垣さん:今のこのインタビューの瞬間がまさにそうですよね。取材をしていただくことがとても多いので、質問の内容について考え、それを口に出して回答するということを続けていると、「あ、私ってこんなこと考えていたんだ」と気づかされることが多々あります。ぼんやりとしていた輪郭がより明確にクリアになっていくというか

プライベートでも、言語化したいタイプだと思います。ノートに書き出すこともありますが、やっぱり人と話していく過程で整理することが多いです。家族や友達に、思っていること、感じていることをすべて聞いてもらって、一回頭の外に出して客観視しています。

昔から、仕事でもプライベートでも、話を聞いてもらうことが習慣化しているからこそ、自分の語彙力のなさに苦しむこともあります。「もっといい表現があったはずなのに」ともどかしい思いをすることも。こればっかりは、日々修行ですね。

新垣結衣 違国日記 映画化 4

パブリックイメージもすべて自分の一部、そう思えるようになった

——高校生である朝や、朝の友人えみりが、「なりたい自分でありたい」と葛藤している描写がありますよね。「なりたい自分になりたいのっ!!」、「あたしはただ あたしでいたい」というセリフに心を打たれる観客も多いと思います。新垣さんは10代のときにこういった気持ちを感じていましたか。

新垣さん:「あたしはただ あたしでいたい」という気持ちにはなったことがあります。私の場合は10代のときから人前に立つ仕事をしていて、パブリックイメージを持たれる経験もしています。世間の皆さんが「新垣結衣」に対してそれぞれイメージを持ってくれることはありがたい半面、戸惑いもありました。

でも今は、パブリックイメージもすべて自分の一部だと思えるようになったんです。「他人がイメージする新垣結衣は、本当の私ではない!」と、切り捨てるのではなく、それも私の一部であると感じています。私しか知らない私ももちろん私ですし、人に「あなたってこういう人だよね」と言われてはじめて気づくこともあります。全部ひっくるめて私の一部なんだなって思うようになりました。

——そのような考えを持てるようになったきっかけはありますか。

新垣さん:いつの間にかという感じです。映画『正欲』のインタビューで、そう答えた自分がいたんです。改めて「あ、私ってそんなこと思ってたんだ」って気づけました。


「私しか知らない私」というのも、絶対に誰にも見せたくないとか隠し通したいと特別に意識しているわけではないのですが、見せる必要がないと思うことは、あえてさらけ出すわけでもないというスタンス。

この仕事をしていく中では「求められているもの」というのもありますし、それには精一杯応えつつ、自分に嘘をつかない程度に頑張りすぎず、自分を守りつつ、そして歩み寄る。そうやって納得のいくベストパフォーマンスをしていきたいです。

——自分に嘘をつくとは、例えばどんなことですか。

新垣さん:苦手なことを得意と言わないとか、ですかね。「早起きするのがすごく得意です」なんてことは絶対に言わないようにしています(笑)。

映画『違国日記』2024年6月7日(金)全国ロードショー
コミック誌「FEEL YOUNG」で2017年から2023年まで連載されたヤマシタトモコの同名漫画を映画化。新垣結衣と早瀬憩のダブル主演で、人見知りな少女小説家と人懐っこい姪の共同生活を丁寧に描いたヒューマンドラマ。
https://ikoku-movie.com/

【ヤマシタトモコさんインタビュー前編】他者との間に横たわる、わかりあえなさを超えていく。『違国日記』で描く“わたし”がいる物語

ヤマシタトモコ

漫画家

ヤマシタトモコ

2005年にデビュー。2010年、「このマンガがすごい! 2011」オンナ編で『HER』が第1位に、『ドントクライ、ガール』が第2位に選出される。『さんかく窓の外側は夜』は2021年に実写映画化&TVアニメ化。現在連載中の『違国日記』は2019年から2年連続で「マンガ大賞」にランクインしたほか、「第7回ブクログ大賞」のマンガ部門大賞を受賞。「全人類に見てほしい」など、共感や絶賛の声多数。

違国日記 ©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス 漫画

©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

違国日記 ヤマシタトモコ 漫画

©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

——『違国日記』では、「他者との距離」がテーマのひとつになっていますよね。年齢も性格も異なる槙生と朝の二人暮らしを通して、お互いの違いを認めながらどう折り合いをつけていくかが丁寧に描かれています。なぜこのテーマを選ばれたのでしょうか。 

デビュー前だったかな、講談社の四季賞(『アフタヌーン』主催の新人賞)をいただいたあと、最初の打ち合わせで、当時の担当編集者から「どんなものが描きたいの」って聞かれた時に、「人と人は絶対にわかりあえないっていうことを描きたいです」と言ったんです。


——おいくつくらいの頃ですか。 

23歳とかでしたね。たぶん質問の本質から外れた答えではあったんですけど、時間が経ってもその思いは変わらず私の中にあって。私の根本的な考え方として、現実的に人間はわかりあえないものであるし、それを大前提にしたうえで、「それでも」と超えていこうとすることが、物語においてすごく美しいパートじゃないかと思っているんです。 

違国日記 ヤマシタトモコ 漫画 2

©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス
 

——槙生と朝だけでなく、それぞれの友人とのやりとりなども通して、さまざまな関係性の中に起こる「人と人はわかりあえない。…それでも」という瞬間が描かれていて、心を揺さぶられます。

最初は、中年に差しかかるぐらいの女性と10代の女の子のイメージが漠然とあったんです。年代の違う女性同士の連帯であるとか、ひと言でカテゴライズできない愛情・友愛・敬意みたいなものを描けたらと考えていました。


——35歳の槙生と15歳の朝。なぜ年齢差のある二人を主人公にしようと思われたんですか。

描き始めたときの私はちょうど35歳で、その頃から自分より若い人たちのことをすごく考えるようになったんですね。これは自戒を込めてですが、こんなに中年が無責任でいいのかという気持ちがありました。若い人たちにこの社会を悪いまま渡していいのか、私にお渡しできるものがあるとしたらなんだろうか、と。そういう思いも含めて、若い人たちが困難にぶつかったとしても「それで終わるわけじゃないよ」「一回の失敗では終わらないよ。まだまだまだ」って伝えたい気持ちがあったかもしれない。


だから、優しいマンガを目指しました。みんなが疲れていてしんどい時代なので、あまり悲しませたりとか精神的な負荷をかけず、楽に読めるように。…と考えて描き始めたんですが、最近は「読んでいると本当にエネルギーを使います」と言われることが増えましたね(笑)。

——『違国日記』というタイトルも、お話の本質に触れるすごくいいタイトルですよね。異なる価値観を持つ他者に対するリスペクト。

耳慣れた言葉でも、一文字違うと違和感が生まれて面白いし、検索で見つけやすいから(笑)。当時ずっとやっていた「ファイナルファンタジーXIII」シリーズのネーミングにも影響を受けたと思います。 

【ヤマシタトモコさんインタビュー後編】「6年かけて描く中で、さみしいという言葉がどんどん拡大していきました」

違国日記 ヤマシタトモコ 漫画 3

©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

——『違国日記』の中でご自身が気に入っているエピソードはありますか。

毎回ネームに苦しみながらも、わりとこの作品は自分でも気に入る話が描けているかなという気持ちではあります。まだ単行本になってないけれど、51話ではこれまでちゃんと描けていなかった部分に少しフォーカスできたかな。


——大嫌いだった、もうこの世にはいない姉に、槙生が心の中で話しかける回ですね。「わたしがあなたの大切なあの子を大切に思ってもいい?」と。

その直前に出てくる「愛するということ自体が、恐怖に打ち勝つ行為」っていうセリフは、結構前からネタ帳に書いてあった言葉で、この話の真ん中を貫いているテーマです。実は、最終回がすごく近いんですけど。


——ああ、そうなんですね。さみしい。

51話は、『FEEL YOUNG』(祥伝社)の7月号に載る予定の最終回にむけて、そんなに下手じゃなく舵を切れているんではないかと思えた回でもあります。


——誰かを愛することの怖さを、愛自体が乗り越えさせてくれる。最初はぎこちなかった槙生と朝の関係性の変化を感じます。最終回の内容はもう決めていらっしゃるのでしょうか。

これから描くのでまだわかりませんが、ある程度は計画していたところに着地するのかな。私はでき事を考えるのが苦手なので、感情からプロット(筋書き)を立てるんですね。こういう気持ちにたどり着くようにっていう物語のつくり方をしていくんですが、私が思うよりもずっと『違国日記』は愛していただけたから、どうでしょうね。私が描きたいものを描いて、読んでくださっている皆さんに納得をしていただけるかどうか。でも、私なりに優しく終わりたいと思っています。 

違国日記 ヤマシタトモコ 漫画 4

©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

——作品の中では、さみしさについても繰り返し言及されています。登場人物たちの「さみしい」には素直な気持ちから人生の本質的な孤独までが詰まっているような気がして、考えさせられます。 

最初は、他人と過ごすことが苦手な槙生が、誰かと一緒にいたいタイプの朝と、どうしたら折り合っていけるか…というところから自然と出てきた言葉でした。でも、6年かけて描く中で「さみしい」という言葉がどんどん拡大していきましたね。10代の子たちの「さみしい」「むかつく」って言葉の中には、言語化しづらい苦しみや、やるせなさがどのぐらい込められているんだろうかと思うんです。本当はもっともっと細分化していけるものではあるけれど、その曖昧さを、そのまま感じてもらえたらうれしいですね。


——高校生の朝やえみりの「なりたい自分になりたいのっ‼︎」「あたしはただ あたしでいたい」というセリフも印象的ですよね。『違国日記』では、“らしさ”を求める社会の中でどうやって“わたし”として生きるかが問われているようにも感じるのですが、ヤマシタさんご自身は社会的役割に違和感を感じられたことはありましたか。 

子どもの頃に感じた物語からの疎外感は、そもそもそういう「社会的な規範から外れている自分」という意識でもあります。私は子どもの頃からずっと男の子に間違われつづけて、内面的にも外見的にもいわゆる「女らしさ」に適応できないというコンプレックスを長いこと引きずっていたんですが、その根源も社会規範なんですよね。そういう“らしさ”が自分に要求される理由をよく考えてみたら、「(そんな理由)…なくない?」みたいな。


——自分でも気づかないうちに、そういった理不尽なルールにすごく縛られていたりしますね。

“らしく”あるべき理由はないと気づいたときに、本当に楽になったんですよ。自分がしたい格好をして、声色をつくることもなく、10cmのヒールをはいて電車の網棚に頭をぶつけたって別にいいじゃねえかと。ただ、私の場合はそれに気づくまでに時間がかかったので、そんなくだらない考えに若い時期を費やしてしまったことを「ああ、もったいないことをした」ってすごく後悔したんです。だから、若い人にはやりたいことをやってほしいという気持ちが強くなりました。