「みんなと同じ」を求めるのは、日本人のアイデンティティなのかもしれません
今にも横断歩道を渡っていきそうなチューリップたち。
早いもので、吉川さんの「世界はキレイでできている」連載も開始からまる1年が経ちました! 毎回語られる吉川さんの言葉に、大きな勇気をもらえたり、気づきがあったりで、yoiスタッフや読者にも吉川ファンが急増中。
「僕が運営する『UNMIXLOVE』では自分自身のことは語らないので、yoiでこれまで僕が経験したことや考えていることを文字にするというのは、違う角度から自分を客観視できて、なんだか新鮮です」と吉川さん。
そんな吉川さんが、yoi連載開始時から伝えてきた「みんな違っていていい」というメッセージ。その言葉に背中を押されて、自分らしさを楽しむ生き方を見出した人たちも多いかと思います。でも一方で、「みんなと同じほうが安心する」という意見も…。多様性が当たり前といわれている今、これって時代の潮流とは逆行していますか?
「メイクアップアーティストという視点から言うなら、あえて個性をなくし、同一化してしまっているヘアメイクやファッションは正直“つまらないな”とは思うけれど、それを否定するのはちょっと違うんじゃないかなあと思うんです。どちらが正しいという問題でもありませんし…」
“自分らしさ”を誰よりも大切にしている吉川さんの見解としては、ちょっと意外な印象のお答え。
「そもそも日本は島国という地形もあって、決して多種多様とはいえない民族が、同じカルチャー、同じ常識のなかで暮らしてきました。だから、同じ事柄で共感し、喜び、同じ事件で悲しむことがスタンダードとなる傾向にあった気がします。だから『普通だったらこうだよね』なんて、自分にも他人にも当てはめちゃうし、気がつくと人と違うことを恐れ、多くの人が枠から大きくはずれないように自分を平均化しようとしてしまうのは、自然なことなのかもしれません」
ラベンダーの雄大な草原もきれいだけど、こんなこぢんまりした軍団もカワイイ。
「ある意味、長いあいだ、それが日本人の平均的なアイデンティティだったともいえるんじゃないでしょうか。このことを無視して、『それぞれの個性を出すのが正解』とばかりに世界のスタンダードに合わせようとすると、無理が生じる場合もある、と思うんです。
いろいろな人種や文化が隣り合わせで交じり合っている欧米では、さまざまな違った常識に出合うことで、違うことが当たり前だと自然に受け入れる土壌があります。これから先、日本で生活をする海外の人たちをもっと多く受け入れれば、状況は自然に変わるかもしれないけれど、現状では、日本人の伝統的なアイデンティティを大きく変えることのほうが、無理があるのかもしれない。でも、これは決してデメリットなだけではなく、日本の個性で、魅力にもなっているところだと僕は感じています」
「同じでいい」という価値観も、そこにダイバーシティが存在しているから言えるんです
一輪の美しさもあるけれど、群生しているからこそ圧倒的にきれいな野花もあります。でもよく見ると、それぞれが個性的。
人からどう見られようが、均一化されたスタイルをしたければすればいいし、そうでない人は個性を求めればいい。そのことについて同調圧力が生まれなければいい…ということでしょうか?
「今の日本は、一見同じように見えて、やっぱり一人一人はみんな違うと考えはじめているように思うけれど、そのなかで『自分は均一化されたほうが心地よい』という今までの価値観も、ダイバーシティとして認められなければいけないですよね。一人一人違って当たり前。だけど、人と同じでありたいという思いだって否定する必要はない。そのことに気づけることによって、ダイバーシティは成り立っているわけですから。
僕は、“没個性”がいいとも悪いとも思わない。社会の中で、平均化や、個よりも団体性を求められる場所もあるわけで、その環境に適応することがつらくないのであればそのままでいいと思うんです。だから、『安心して同じになって大丈夫』とも言いたい。厳密に言えば、みんな同じに見えても、そのなかに、いい感じで個性がにじみ出てきたりするものじゃないでしょうか?」
確かに、「個性を尊重する」ことも、「同じである」ことを認め合うことも、どちらもダイバーシティ。多様性というと、確固たる存在感をアピールしなければいけない、ほかとは違う自分を持たないといけない、つまりは人と同じではいけない…と思い込みがち。でも、「同じだから没個性というわけではない」という吉川さんのメッセージに、背中をそっと押してもらえた気分になります。
取材・文/藤井優美(dis-moi) 撮影/Mikako Koyama 吉川康雄 企画・編集/木下理恵(MAQUIA)