『ながたんと青と-いちかの料理帖-』
磯谷友紀 ¥550/講談社
新しい時代を生きる二人をつなぐもの
現代社会はいそがしい。意思表示は明確に、コンパクトに、齟齬のないように。そんなことばかり考えているうちに、気がつけば余裕がない。もはやいつもかけあし状態の心のスピードをひゅっと緩めてくれる気がして大好きなマンガが、磯谷友紀『ながたんと青と-いちかの料理帖-』だ。
物語は、戦後まもない1951年の京都から始まる。老舗料亭「桑乃木」の長女「いち日(か)」は34歳。夫を戦争で亡くしたいち日は、経営危機にさらされた桑乃木への援助を受けるため、商家の三男坊でまだ19歳の「周(あまね)」と形だけの結婚をする。実家の影響下から逃れたい周と桑乃木を再建したいいち日は、ぶつかり合いながらも料亭立て直しのため協力することに。年の差もあり、最初はそれぞれ他に好きな人がいた二人だが、さまざまな問題を乗り越えるうちに少しずつお互いのことが気になり出す──。
いち日は周の「今は戦後ですよ」という言葉に後押しされ、勇気を出して女性ながらも桑乃木の料理長になる。一方、周はいち日の料理の腕前やしきたりに縛られないアイデアを見抜き、初めての経営に乗り出すのだが、家事や当時男性の仕事ではなかった給仕もさらりとこなす。戦後という新しい時代が始まるなかで、理由もなく性別で決まっていた役割を超えていくこのコンビの姿は、なんともすがすがしい。
逆にこの時代だからなのかな、と感じるよさもある。戦地に赴く前に元夫が「いっ日さんは思うたこと意外と口にしてまうからなぁ」と言ったことを、いち日は「思ったことなんてたぶんひとつも口にできひんかった」と回想する。いち日も周も大切な思いはなかなか口にせず、どこか奥ゆかしい。そしてそのことこそが、本作のしっとりとした魅力となっているように思う。
そんな二人が感情を隠せなくなるのが食事のシーン。いち日の作る和洋折衷の新しいメニューも素敵だが、何より食べている時の周の顔には「おいしい」(と徐々に「好き」)が素直に表現されている。互いを慮って、なかなか進展しない二人の恋はじれったいけれど、食事のシーンは読者目線でも楽しくてほっとするのだ。
最新刊となる9巻では、周が経営の研修のため東京へ半年間行ってしまう。「たった半年ですもんね。こっちのことは心配せんで…おきばりやす」と言いながらも実は「いやや…さ…さみしい」と動揺するいち日と、桑乃木再建のために必要な経験を積もうとしながら本当は「離れがたい…」と思っている周。ああ、じれったい〜。
周の出発前、いち日は〈うちの一等好きな料理を作る〉とノルマンヂー風オムレツを作る。りんごが添えられたふわふわのオムレツに込めた思いが、ひと口食べた瞬間溶けていく。言葉にせずとも思いが伝わってくる、優しいフード描写だ。
『ながたんと青と』のタイトルは、京ことばで「ながたん」と呼ばれる包丁を使ういち日と、青とうがらしのように若くぴりっとした周の二人を表したもの。今春WOWOWにてドラマ化もされるそう。それぞれの家族や店の今後も巻き込んで、まだまだ波乱が待ち受けていそうな二人の物語の行く末を、これからもゆっくり見守っていきたい。
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。選考委員を務めた第25回文化庁メディア芸術祭マンガ部門ソーシャル・インパクト賞『女の園の星』トークセッションが公開中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works
文/横井周子 編集/国分美由紀