文筆家として恋愛やジェンダーに関する書籍・コラムを多数執筆している、恋バナ収集ユニット『桃山商事』代表の清田隆之さんによるBOOK連載。毎回、yoi読者の悩みに合わせた“セラピー本”を紹介していただきます。忙しい日々の中、私たちには頭を真っ白にして“虚無”る時間も必要。でも、一度虚無った後には、ちょっと読書を楽しんでみませんか? 今抱えている、モヤモヤやイライラも、ちょっと軽くなるかもしれません!

桃山商事 清田隆之 本 おすすめ お悩み

清田隆之

文筆家

清田隆之

1980年生まれ、早稲田大学第一文学部卒。文筆家、恋バナ収集ユニット『桃山商事』代表。これまで1200人以上の恋バナに耳を傾け、恋愛やジェンダーに関する書籍・コラムを執筆。著書に、『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門―暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信』(朝日出版社)など。近著に、『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)。

『桃山商事・清田のBOOKセラピー』担当エディター&ライターは…

エディター種谷
1993年生まれ。寝る前に読書するのが毎日の習慣。趣味はラジオやPodcastを聴くことで、最近はオーディオブックのサブスクリプションも開始。

ライター藤本:1979年生まれ。小説&マンガ好きだが、育児で読書の時間が激減。テレビドラマを見るのが癒しの時間。

「現状に不満はないが新しいことをやってみたい!」というのは、ただ平和ボケしているだけなのか?

今月の“虚無っちゃった”読者のお悩み…

20代後半、今の仕事や人間関係に大きな不満はないのですが、心のどこかで「もっと違うことに挑戦してみたい」と思っている自分がいます。友達に相談したところ、「特に嫌なこともないのにそれを投げ出したいなんて、平和ボケしているとしか思えない」と言われました。この気持ちは甘えで、今の状態が最適解なのでしょうか…? モヤモヤして虚無ってしまい、深夜にネットサーフィンをする日々を送っています。

桃山商事 清田隆之 新しいことに挑戦したい お悩み相談 おすすめ 本 読書 仕事

ライター藤本:今回の相談は、「現状に大きな不満はないけれど、『何か違うことをやってみたい』とモヤモヤしている」というもの。この気持ちは甘えなのか、今の状態が最適解なのか、と悩まれているようですね。

清田さん:わかる気がします…。自分は今朝、変な時間に目が覚めてしまい、大谷翔平選手まわりのショート動画を延々と見続けて虚無っておりました。

それはさておき、おそらく相談者さんは、現状に不満がないがゆえに、「これ以上を望むなんて贅沢なんじゃないか」「今手にしているものの価値をわかっておらず、失ったときに後悔するんじゃないか」というような先回りの不安を抱えているのではないか。友達からもそのようなことを言われて、それで葛藤しているというのが現在地だと想像します。

でも、何かに挑戦してみたい自分が心のどこかにいることにも気づいている。それが「あれもこれもやってみたい!」という意欲によるものなのか、「本当にこのままでいいんだろうか?」という疑問によるものかはわからないけれど、何か感じていることがあるのなら、まずはそれを大事にすべきではないかと思うんです。

エディター種谷:“なんとなく”とか“気のせい”とか考えてスルーせず、そこに意識を向けることが大切、ということでしょうか?

清田さん
:こういう状態って、頭で考えているのではなく、身体が反応しているような感じだと思うんですよね。頭で考えるときは、取り扱える範囲の、ある意味で限定された情報をもとに判断を下していく感じだと思うんですが、身体反応という形で現れたものって、もっと膨大な、それこそこれまでの人生経験が詰め込まれたデータベースがその判断材料になっている、というか。

例えば、新しい人と出会ったときに、相手の雰囲気や話し方などから、なんとなく「この人とは合わなそう…」と感じることってあるじゃないですか。あれも、言語化なんて到底できないほどの自分のビッグデータに身体が反応しているんだと思うんです。そうやって膨大な情報を元に下された判断を、我々は「勘」や「直感」と呼んでいるのではないか…。これが案外当たるのはビッグデータに基づいたものだからで、まだ言語化こそされていないけれど、十分な根拠に基づく判断なのではないかな、と。

ライター藤本:相談者さんは、「もっと違うことをやってみたい」という気持ちには気づいたものの、友達から辛口の意見があったことで、立ち止まってしまっているようですが…。

清田さん
:そこは、「私のことをいちばんよくわかっているのは私!」と自信を持っていいと思います。自分の気持ちは、自分のビッグデータから出てきているもの。いくら仲のいい友達でも、ビッグデータまでは共有できないはずなので。もちろん参考にするのはいいけれど、基本的には「貴重なご意見ありがとうございました」くらいの距離感でこっそり引き出しにしまっちゃってもいいんじゃないかと(笑)。

自分としては、まずは心の中に芽生えた気持ちに従ってみることが大切だと思います。その際、相談者さんは「今手にしているものを全部捨てて新しいことをする」か「新しいことをするのは諦めて現状維持する」かという、極端な二択を迫られるように感じているのかも。でも、ここで“オールオアナッシング”と考える必要はないと思うんですよね。

セラピー本① 習慣やルーティンからあえて抜け出してみる「冒険」のための一冊

清田さん:そんなふうに考えて、今回は“ジャーニー”、つまり“冒険”をテーマに本を選んでみました。1冊目は、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』

スズキナオ『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(スタンド・ブックス)

スズキナオ『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(スタンド・ブックス)

清田さん:これは、フリーライターのスズキナオさんによるエッセイ集。話題になった最初の著書『深夜高速バスに100回くらい乗ってわかったこと』の続編的な本なんですが、どちらもタイトルからして面白そうじゃないですか。

ライター藤本:日常を楽しむちょっとした工夫や行動がたくさん紹介されていて、「いいな」「やってみたいな」という気持ちになりました!

清田さん:そうそう、「近所だけれど行ったことのない喫茶店に入ってみる」とか「いつもの電車とは違う電車に乗ってみる」とか。普段の習慣やルーティンって、実は自分の行動や思考をかなり規定していると思うんですよね。そこから半歩外に出てみるだけで、前方の30度くらいしか見えていなかった景色が、後方まで360度広がっていたことに気づけるよ、と教えてくれる本だと感じていて。

エディター種谷:清田さんご自身は、こういう“ジャーニー”に積極的になれるタイプですか?

清田さん:それが全然(苦笑)。だからすごく憧れるんです。昔は、通学途中に友達と「江の島行こうぜ!」なんて盛り上がって、そのまま電車に乗って学校をサボる…みたいなこともよくやってたのに、大人になった今は、リスクが少なく安心感のある慣れ親しんだ選択ばかりしてしまう。“冒険”って、刺激があるぶん勇気もいるから、不安や恐怖も大きいというか…。

ライター藤本:それを楽しむには、どんなことが必要なんでしょうか。

清田さん:スズキさんのように「成り行きに身を任せてみる」というスタンスは大事だと思います。あと、思いつきで行動できるだけの時間的・精神的な余白。自分は生産性の呪いみたいなものに囚われてしまい、つい仕事や用事などのタスクを詰め込みがちだったり、すぐに「今日も時間を無駄にしてしまった」なんて考えたりしがちで…それが冒険心を邪魔する要素だなと。


でも、そんなタイプの人にこそ、この本を、“小さなジャーニー”への手引きとして手に取ってもらいたいなって。すぐに真似できそうなこともいっぱい書いてあるから、それを読んで憧れをためることで、「自分にもできるかも!」と“冒険”への気持ちを高められると思います。

セラピー本② 出会い系サイトを通して「人生の問題」に向き合う私小説

清田さん:2冊目におすすめしたい“冒険の書”は、『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』です。

花田菜々子『出会い系サイトで70人と実際に会って その人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(河出文庫)

花田菜々子『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(河出文庫)

清田さん:この本は、『ヴィレッジヴァンガード』などで書店員として働いた経験を持ち、現在は店主として書店『蟹ブックス』を営む、花田菜々子さんの自伝的物語。仕事も結婚生活も行き詰まり、人生のどん底まっただ中、という時期に、出会い系サイトに登録し、初対面の人に本をすすめる企画を思いついて実行していく、という“冒険”の模様を綴った作品なんです。

ライター藤本:おすすめした本が相手に響かなかったり、響いたと思ったら実は相手に下心があったり…と、思うようにいかない場面もあって、落胆や戸惑いもリアルに伝わってくるところに引き込まれました。

清田さん:つねに楽しくイキイキとやっているわけではなく、迷いながら続けていくのが面白いんですよね。読みながら個人的に感じたのは、花田さんがされてきたことと、桃山商事の活動とは、どこか共通しているものがあるかもってことで。花田さんは「本」、我々は「恋バナ」というひとつのテーマを軸に、まったく知らない人たちと会って話すということを重ねてきたというか。

この本の魅力は、花田さんが“冒険”を通じて考えていくことが、仕事や結婚生活といった人生の問題と向き合うことにつながり、最終的に日常に返っていくまでの流れが描かれているところ。1冊目で紹介されているのが、ちょっとしたアイディアでできる“ジャーニー”だとしたら、2冊目で紹介されているのは、目的のある“ジャーニー”だと言えるかも。

エディター種谷:目的のある“ジャーニー”は、企画が必要なだけに、ハードルが高いでしょうか?

清田さん:むしろ企画というフレームがあるぶん、ある意味でやりやすい部分もあると思います。もちろん「有名な純喫茶を巡るぞ」「食べログ4.0以上のラーメン屋さんを制覇するぞ」みたいな企画もありですが、スタンプラリー的なものだと、結局はただの確認作業のようになってしまう可能性もある。できれば退屈しないための工夫があるといいですよね。花田さんの場合は、そのときに頼りにしたのが、これまでに培ってきた本への造詣や情熱だったというところも素敵。冒険性と企画性が、絶妙にマッチしているな、と。

ライター藤本:そんなに特別なものを持っていない場合、“冒険”のテーマを見つけるにはどうしたらいいでしょう? 自分だったら、と考えるとすぐに思いつかなくて…。

清田さん:確かにそう簡単に見つかるものではないかもしれません。でも、特技とか強みとかではなく、自分がワクワクすることがとにかく大事。いきなり「自分にしかないものとは何か?」みたいに考えても答えは出ないと思うので、まずは「最近、私は何を楽しいと思ったか?」「何を心地いいと思ったか?」「逆に何が嫌だったのか?」と観察してみるといいかもしれない。


面白そう、ワクワクする、というように心が反応する瞬間は、偶然やってくる。それをとらえていけば、またビッグデータが蓄積されて(笑)、よりいっそう自分自身に詳しくなっていくと思います。そういう中で、自分のテーマみたいなものに出会えたら最高ですよね。

桃山商事 清田隆之 お悩み相談 新しいことに挑戦したい

今回は、“冒険”へと背中を押してもらえる2冊をおすすめいただきました。心が何かに反応したとき、一歩を踏み出すヒントを与えてくれそうです!

取材・文/藤本幸授美  イラスト/藤原琴美  企画・構成/種谷美波(yoi)