仕事、人間関係、恋愛、健康…毎日を過ごす中で、なんだかモヤモヤと心が重くなることって、ありますよね? 心が疲れたら、ひと息ついてもいいんです。臨床心理士のみたらし加奈さんと、ちょっと甘いものでも食べながら、お話ししませんか? メンタルヘルスをもっと身近に考えるためのヒントをお教えします。#3は夫婦ゲンカが絶えないプリンさん(夫)とモンブランさん(妻)のお話、前編につづき中編をお届けします。

「パパ」と呼ばれたくない夫、対等でいたい妻。臨床心理士・みたらし加奈のブレイクトーク連載「ちょっと甘いものでも。」#3【中編】_1

臨床心理士

みたらし加奈

総合病院の精神科で勤務したのち、ハワイへ留学。帰国後は、フリーランスとしての活動をメインに行いつつ、SNSを通してメンタルヘルスの情報を発信。現在は一般社団法人国際心理支援協会所属。NPO法人『mimosas(ミモザ)』の副理事も務める。著書に『マインドトーク あなたと私の心の話』(ハガツサブックス)がある。

♯3中編  「夫」ではなく「父親」として妻に扱われるさみしさがイライラに。
「家族」か「夫婦」か——ありたい姿にズレが見えてきて…。

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今回の相談者さん
プリンさん(夫)・モンブランさん(妻)夫妻

結婚10年目の、ともに30代の夫婦。結婚後、夫・プリンさんの仕事の関係で九州→海外→東京と、家族で引っ越しを繰り返してきた。現在は二人の子どもたちと4人で暮らす。

前編では、お互いの気持ちを改めて「自分の言葉で」話す中で、認識のズレが浮き彫りになりました。それによって、「なぜ、イライラしてしまうのか」の本質的な原因が見え始めました。中編では、さらにおふたりのパーソナルな感情に入り込んでいきます。

前編
「繰り返す夫婦ゲンカの出口が見えない…」を読む▶︎▶︎▶︎


変化に対する価値観の「違い」が「摩擦」になることも

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※これから行われる対話はカウンセリングではありません。

みたらしさん ここで少し、おふたりがどのようなご家庭で育ってこられたのか、お伺いしてもよろしいですか?
 
プリン(夫)さん 僕は年の離れた姉が二人いる末っ子長男で、両親が40歳を過ぎてからできた子どもということもあり、大事に育てられました。いわゆる「お坊ちゃん」な育てられ方だったので、過保護な部分もあったかなと思います。
 
今でこそ良好な関係ではありますが、学生の頃は母親をとにかくうるさく感じていました。本当は大学に入ったタイミングで一人暮らしをするつもりだったんですが、ちょうどその頃から実家の家計が厳しくなってしまって。学費も奨学金で支払いましたし、「早く自立しなきゃな」という気持ちはかなり強かったですね。
 
そういう背景もあって、家を建てるにしても親にはお金を借りたくはないし、自分たちでなんとかしなきゃという気持ちが大きいんですよね。
 
みたらしさん モンブランさんの育ったご家庭はいかがでしたか?
 
モンブラン(妻)さん 私は父の仕事の関係で、幼い頃から転校を繰り返しているような子ども時代でした。「地元」と呼べるような場所はないですが、どこにいっても割とうまくやれるほうだったかなと思います。
 
家族はちょっと複雑なんですが、父が亭主関白な人で、母は苦労しまして…離婚したんです。常に家族がケンカしたりいがみあったりという状態だったので、家族に対してはずっと耐えてきた部分もありますね。

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プリン(夫)さん 彼女のお父さんがすぐに機嫌の悪くなる人だったという話は聞いていて、だから僕がそういう素振りを見せたときに余計に反発が強くなるんだろうなという気はしています。
 
モンブラン(妻)さん 父親のことがフラッシュバックしてしまうというか、「怒り」の感情をぶつけられることに抵抗があるのは間違いないです。
 
プリン(夫)さん ただ、一方で僕はもともと昭和的な価値観が強い部分もあるので…。
 
みたらしさん プリンさんが思う「昭和的」とは、先におっしゃっていたような“男性が働いて、女性は家を守る”というようなものでしょうか?
 
プリン(夫)さん そうですね。そのほうが家庭のバランスはうまくとれるものだと考えています。だからといって、「そうしてほしい」と思っているわけではなく、仕事を辞めたいと言われたときも、また始めたいと言われたときも反対する気持ちはなかったですし、「じゃあしっかり稼いできて!」というつもりでもなかったというか。ずっと家にこもっているともんもんとするものがあるだろうし、普段とは違うコミュニティの人たちと触れ合うことでリフレッシュできる部分もあるのではないかと思ったんです。
 
でも、いざ働き始めたら「忙しい忙しい」と言われることが増えて…実際に忙しいと思うんですけど、「僕のほうが忙しいんだよ」って、ついイライラしてしまうんですよね。

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モンブラン(妻)さん 一人目の子育てが落ち着いてきて、そろそろ働こうかなと思っていたときに夫の海外赴任が決まり、海外駐在中はビザの関係で働くことはできず…。それが東京に来た途端、周囲は共働きが当たり前という世界になって、誰よりもまず自分が「働かなきゃ」と焦っていた部分もあったと思います。実際働きはじめてよかったと思えることは多いですし、だから夫にもサポートしてほしい、というのが私の気持ちですね。
 
みたらしさん 私なりの印象にはなりますが、まず、プリンさんは決まった価値観の中で過ごしていくことで落ち着ける方なのかなと感じました。対してモンブランさんは、いわゆる「転勤族」だった経験から環境に合わせて価値観を変えること、順応することがお上手で、もはや変化していくことのほうが心地よい状態なのではないかと思います。そうしたおふたりの「違い」が、環境の変化などが起きたときに、摩擦のようなものを生みやすくしてしまったのかもしれませんね。
 
モンブラン(妻)さん 子育てをする中で、親の育ってきた環境や幼少期の価値観って、多かれ少なかれ子どもたちに引き継がれてしまうんだなと感じることはあったんですが…お話を聞いて、大人になった今の生活スタイルにも影響しているんだな、とハッとしました。
 
みたらしさん 逆に反面教師になる場合もあるんです。絶対に自分の親のような相手とは家庭をつくらない、という方もいる。でもそれも含めて影響は受けますし、相手にもそれを投影しやすいんですよね。プリンさんが不機嫌な空気を出すと、モンブランさんの反発心が強くなるというお話もありましたが、それはやはり、モンブランさんがプリンさんの裏側にどこかでお父さまを重ね合わせてしまうからこそ、居心地の悪さを感じてしまうということもあるのだと思います。
 
プリンさん、モンブランさんが、「家族」というものに対してどのような価値観の違いを持っているのかが見えてきました。みたらしさんは、この「違い」が生み出す小さなコミュニケーションの摩擦が「怒り」に変わるまでの、ある「大事な感情」を呼び起こしていきます。

「さみしい」「悔しい」…イライラの原因となる一次感情は?

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みたらしさん そもそも「怒り(イライラ)」という感情は、「二次感情」と呼ばれています。そこに行き着く前には、怒りの「一次感情」、例えば「悲しみ」「虚しさ」「苦しみ」「心配」「さみしさ」などがあって、その感情が大きくなることで「怒り」として表出します。ただ、たいていの場合は一瞬にして「怒り」が湧いてきてしまうので、その前にあった一次感情に目を向けることが難しい。プリンさんは、ご自身のイライラの一次感情としてどう感じていたのか、思い出せますか?
 
プリン(夫)さん 僕のイライラの一次感情は、「さみしい」ですね。
 
みたらしさん 何にさみしさを感じていたのでしょう?
 
プリン(夫)さん だいぶ乗り越えたと思っていたんですが、「モンブラン、僕のことを見てください」という感情が強くなっていた時期がありまして。子どもができてから、彼女にとっての一番は子どもになりました。もちろん、子どもたちはかわいいし大事なんですけど、僕は子どもができても子どもたちのパパではなく、彼女には男として見てほしいという気持ちがあるんです。僕には妻が一番で、子どもは二番。
 
だから男として、夫として見てもらえていない=子どもたちのパパとしてしか見てもらえていない、と感じるとさみしくて、怒ったりしていたような気がします。
 
みたらしさん プリンさんがおっしゃっていた「男として見てほしい」という部分を、もう少し分解して考えてみると、どうしてほしかったのだと思いますか?
 
プリン(夫)さん なんだろう、頼ってほしいし、持ち上げてほしいのかもしれません。持ち上げてほしいっていうのは、何かしてあげたときに些細なことでも「ありがとう」って口にしてくれるとか、逆にこちらの気持ちをくんで「ごめんね」って謝ってくれるとか、些細なひと言を僕に対しても忘れないでほしいというのはあります。

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みたらしさん モンブランさんは、今のプリンさんのお話を聞いて、どう感じますか?
 
モンブラン(妻)さん 私が一番で子どもが二番という話を聞いたとき、正直「家族なのに順番とか関係なくない?」と思ったんです。私はそこに優劣をつけて考えているわけではなかったので。ただ、確かに「男として」「夫として」というよりは、「パパとして」どう振る舞ってくれるのかな、というところを見ていた部分はあるのかなと思います。
 
プリン(夫)さん その気持ちを感じるので、いいパパとして振舞ったほうが彼女の中での好感度が上がることもわかるんです。だから最近はパパとして振る舞うことにも慣れてきちゃったんですけど、でも僕の中のアイデンティティの中心はやっぱりパパではないんですよ。だから妻から「パパ」と呼ばれることにはめちゃくちゃ抵抗があって、それで何度もケンカしてきました。
 
もちろん、子どもたちのパパであることに変わりはなく、それもまた僕のアイデンティティの一部ではあるんですが、子どもたちはいずれ巣立っていきますよね。そうなったとしても、夫婦として僕たちふたりは一緒の人生を歩んでいくので、妻に対しては「あなたはずっと一緒にいる人」という意味で優先度が高いというか。僕自身もひとりの男として、夫としてという立場での時間のほうが長いと思うんです。
 
さっきのお金の話ではないですけど、親の世代、自分たちの世代、子どもの世代で、それぞれ自分たちの人生を歩んでいくものだと思っていて、どこかで切り離して考えている部分があるのかもしれません。
 
モンブラン(妻)さん 私は子どもたちが巣立ったあとの夫婦としての時間のことまで想像していなかったのですが、初めて「パパって呼ばないで」と言われたときは、すごくびっくりしました。自分は夫に「ママ」と呼ばれても構わないので、そこのギャップが難しいなと思って。
 
みたらしさん おそらくモンブランさんは、今は「家族」という単位でご夫婦の関係も見ていらっしゃると思うんですが、そこも流動的に対応できる方と言いますか、もしお子さんが巣立ってまたふたりきりになったとしても、それはそれで楽しく生活できるんだろうなと想像します。そのときそのときの関係性やお互いの役割などを柔軟に受け入れていらっしゃるんじゃないかなと。

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プリン(夫)さん 今、話を聞きながら僕も、たぶん彼女は子どもたちが巣立ったらまた夫婦の時間を楽しめる人なんだろうなあと思いました。こんなふうに具体的に話したのは初めてだったので、改めて聞くと、妻の気持ちも理解できるというか。今だったら、「パパ」と呼ばれてもイラッとしないでしょうし。
 
みたらしさん モンブランさんは、もしご自身でお気持ちを分解できそうでしたら、イライラするときの一次感情について、どう感じますか?
 
モンブランさん 私がイライラするときは「バカにされてるな」と感じたときなので、「悔しさ」ですかね…。でもそれは基本的な部分で、夫婦間においては亭主関白な部分が垣間見えたときにイラッとしてしまっている気がします。そちらは「理不尽さ」なのかな。自分に向けられたものでなくても、夫の発言が女性を下に見るようなものだったときも、同じように違和感を感じますし。
 
たぶん父がそういう人だったので、私はそれがずっと嫌だったんでしょうね。お互いが意見をもって、対等に暮らしていきたいという気持ちが強いんです。
 
イライラしている感情に目を向けただけでは、本当の問題解決にはなりません。その発端となった一次感情に目を向けることで、何が問題だったのか、本質的に理解できるようになると、みたらしさんが教えてくれます。

社会的な「膜」をはがして、心を裸にするコミュニケーションを

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みたらしさん お話をうかがっていて、おふたりは“主語が大きくなりすぎている”のではないかなと感じました。社会生活を送るうえで、例えば私なら、生身の自分に、女性であることや臨床心理士や公認心理師、両親からすれば娘で妹からすれば姉で、「みたらし加奈」という自分を覆う「膜」のようなものが付随します。おふたりの場合、女性/男性、ママ/パパ、妻/夫といった、社会的な「膜」が膨れ上がってしまい、本来生身の自分はどう思うか、感じるかと向き合うべきところで、核心から少しずれたコミュニケーションになってしまっているのかもしれません。
 
もちろん、それらもまたお互いにとってとても重要な価値観ではあると思うのですが、一度分解してみると、受け取り方は大きく変わる可能性があります。例えば「亭主関白なのが嫌」と言うよりも、「あなたのこのコミュニケーションの中で、私の気持ちが尊重されていないように感じてしまうから苦しい」と具体的に伝えてみる。「パパって呼ばれたくない」と言うよりも、「父親という存在を重ねられて、僕自身を見てもらえていない気がしてすごくさみしい」と正直になってみる。「膜」をはがして伝える作業をすることで、心を裸にしてコミュニケーションをすることで、進むこともあると思うんです。
 
プリン(夫)さん おっしゃるとおりだなと思いました。海外駐在していたときは、彼女がビザの関係でそもそも働けなかったので、余計なことを考えることもなく、役割分担が明確でした。でも東京に来て、ちょうどコロナ禍と重なったこともあるのかなと思いますが、シンプルではなくなってしまったんですよね。
 
たぶん僕は、妻が家事と日常的な子どもの面倒を見てくれて、僕が稼いでくる、とか役割分担が明確なほうが楽な人間なんだと思います。だから、それまでは明確にあった役割分担が、東京に来たらなくなった感じがして、気持ち悪いんです。

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みたらしさん モンブランさんはどうですか?
 
モンブラン(妻)さん 私はそもそも、役割分担はしないほうがいいと思ってるんですが…それとは関係なく、確かに海外にいたときはもう少し気が楽だったなと思います。東京の生活が嫌いなわけではなく、海外にいると自分たちは外国人なので、いろいろ気にする必要がないんですよね。人と比べることもないし、見た目もどう見られてもよかった。でも、東京はきらびやかで、人の目が気になるんです。例えば、ベビーカーもボロボロのだと恥ずかしいから、ちょっといいやつ使いたいな、とか。キラキラした生活は嫌いじゃないんですけど、いろんな「膜」を保って、しかもよく見られようとしちゃうことに、疲れていた部分はあるのかなと思いました。
 
みたらしさん 価値観の違いから生じた摩擦と、さまざまな環境の変化による疲労感が、おふたりのコミュニケーションにも影響を与え始めたんですね。ただ、おふたりはその違和感を放置せずに話し合ってきた。その点は足踏みを揃えて、おふたりが決められたことです。なぜ話をしようと思えたのか、後編でもう少しお話を聞かせてください。
 
お互いにぶつけ合ってしまっていた「イライラ」の本質にたどり着いたプリンさん、モンブランさんご夫婦。表層的なコミュニケーションになってしまっていたことで、会話が平行線だったことがわかってきました。
 
心が裸な状態になってきたことで、後編では、モンブランさんが「夫婦のコミュニケーション」にはもうひとつ、問題があることを明かしてくれました。

撮影/花村克彦 illustration by Tyas drawing/istock/Getty Image plus 取材・文/千吉良美樹 企画・編集/高戸映里奈(yoi)