「Stories of A to Z」のタイトルカリグラフィー

念願だったはずの出産後、イメージと現実のギャップに戸惑っていたCさん。最も身近なパートナーからも、無意識の“母性神話”を押しつけられ、モヤモヤとイライラがピークに…。夫婦の関係について悩んでいることを語りはじめます。

Story3 子育ての理想と現実に戸惑うCさん

今月の相談相手は……
松永佳子先生

看護師・助産師 博士(看護学)

松永佳子先生

生まれも育ちも東京浅草、チャキチャキの江戸っ子。現在は東邦大学で看護師・助産師を育てながら、大森病院 総合周産期母子医療センターにおける低出生体重児とその家族の子育て支援「たんぽぽの会とひまわりの会」や、日本産後ケア協会での夜間無料電話相談「Dream Time Call」など、助産師としてのサポート活動も行なう。「皆さんのお手伝いをしている時間は私のエネルギー源です!」

身近な人と話すことで、多様な家族のあり方を知る

産後、すれ違いが出てきた家族とのコミュニケーションを円滑にするには? 「Stories of A to Z」Story3【後編】_2

Cさん 夫は家事も育児もすすんでやってくれるので、負担はほぼ50:50なんですけど…正直、「今やってくれている皿洗いは明日でいいから、今はただ私の話を聞いてほしい、気持ちを受け止めてほしい」と思うことがよくあります。

松永先生 電話相談でも、じっくり話を聞いていくと「夫がわかってくれなくてつらい」という話にたどり着くケースは珍しくありません。さらに、私は家事育児の負担が50:50というのは、正直足りないくらいだと思います。だってCさんは、すでに子どもをお腹の中で約10カ月守り、命がけでこの世に産み、育てているんですから! 電話相談でもお話しするんですが、90(パートナー):10(Cさん)でもいいくらいだと思いますよ。

Cさん 90:10! そう言ってもらえると、少し楽になる気がします。でも、夫の言葉の裏にある“理想の母親像”へのモヤモヤがたまって、頻繁にケンカするようになってしまいました。

松永先生 おそらく、コロナ禍という時期も影響しているのだと思います。産前のマタニティクラスがリモートや個別になり、妊婦さん同士が言葉を交わせる場や、つながるきっかけが失われてしまいました。家族ぐるみの交流も難しい状況なので、「こういう考え方もあるんだ」「こんな家族の形もあるんだ」といろいろなバリエーションに触れる機会が減り、孤立感から考えが偏りやすくなっているのかもしれません。

Cさん でも、夫との価値観のズレは、子育てが終われば解決するとも思えなくて。メンタルクリニックなどでカウンセリングを受けようとしたのですが、費用が高くて考え中です。

松永先生 カウンセリングは、自分たちで最終的な意思決定をしていくうえでの指針をいくつかもらうためのもの。Cさんが望むのであれば受診するのもいいと思います。ただ、その指針を身近な人たちからもらうという考え方もありますよ。

Cさん 専門家ではなく、身近な人に相談するということですか?

松永先生 はい。もちろん専門家が必要なケースもありますが、子育てをしている多くの人はCさんと似た悩みを感じています。専門家に相談する前に、身近な人と思いをシェアしたり、それぞれの対処法を聞いたりすることで、とらえかたが変わるかもしれません。電話相談を活用するのもいいですし、日常生活でも変えられることがあるように感じます。

コミュニケーションをルーティン化してみる

産後、すれ違いが出てきた家族とのコミュニケーションを円滑にするには? 「Stories of A to Z」Story3【後編】_3

松永先生 夫婦間のコミュニケーションの場合、気持ちの前に行動レベルですり合わせることがおすすめです。たとえば、「出勤時に、“行ってらっしゃい”と声がけしてほしい」「ため息をついたり愚痴を言ったりしてもまずは『そうだよね。お疲れさま』と受け止めてほしい」など、相手にしてほしい行動を1つずつ提案してルーティン化すると、お互いの小さな欲求が満たされていくので、ストレスが減りやすくなります。気持ちを“察して”行動するのは難しいですが、“決めごと”にしてしまうことで負担を減らすんです。

Cさん なるほど…お互いのリクエストを聞くことで、相手が求めている気持ちにも気づきやすくなりますね。でも、夫に「ため息をつかないでほしい」と言われたらまたケンカになりそう…(笑)。

松永先生 反射的な行動ですもんね。たとえば、ため息をつきたいときは意図的にゆっくり息を吐き出してみるのはどうですか? ため息をやめるのではなく、心を落ち着かせるための行動に切り替えるんです。

価値観や心のあり方を変える前に、まずは行動から変えてみる

Cさん 夫とのケンカが増えて以来、義母から「仕事で忙しいの?」「疲れているんじゃない?」と心配の電話がくるようになりました。よかれと思って声をかけてくれるのはわかるけど、仕事はむしろ私にとって大切な時間だし、そもそも子育てにイライラしたり疲れるのは“異常な状態”と思われているようで、余計にしんどいです。

松永先生 悪気のない気遣いは対応に困りますよね。そういうとき、私はかならず「すみません」ではなく「ありがとう」という言葉を使うようにしています。私たちはつい「ご心配をおかけして“すみません”」などと言ってしまいがちですが、Cさんは悪いことはしてないのだから、謝ることも、自分を卑下する必要もありません。ただ、心配してくれたことに対して「ありがとう」と感謝の言葉に言い換えるといいと思いますよ。

Cさん 義母からの電話に限らず、一言目に「すみません」ってつい言いがちですよね。相手の行為に対する「ありがとう」なら、自分のことを卑下せず対等なコミュニケーションができそうです。

松永先生 そうなんです。同じことでも言いかたを変えるだけで、意味合いが変化します。「心配してくださってありがとうございます」と言うと、相手は“感謝された”と感じるので「子育てって大変よね」といった共感の反応につながります。一方の「すみません」は、自分の心を傷つけるだけでなく、「謝ってほしいわけじゃない」と相手の不満を増幅させるトリガーにもなるので気をつけるといいと思います。

Cさん なかなかじっくり話し合う時間やエネルギーはなくても、相手にしてほしい行動をルーティン化したり、言葉を言い換えたりするなら、すぐに実践できそう。そこから、少しずつ価値観や心まですり合わせができていくかもしれないですね。

松永先生 わずかな違いですが、テクニックとしては十分使えると思います。難しい問題だからこそ、どちらかの価値観や心から変えなくちゃと重くとらえすぎず、自尊心を保ったまま行動を変えることも大きな一歩。大丈夫、Cさんは十分しっかりやっていますよ!

イラスト/naohiga 取材・文/国分美由紀 企画・編集/高戸映里奈(yoi)