私たちが生きるうえで、どうしても付き合っていかなければいけない“感情”。感情とはなんなのか? そして、どう向き合っていけばいいのでしょうか? 脳科学者の毛内先生による<脳科学的視点=Side B>、インタビュー後編では、脳をいたわることでできる「セルフケア」の方法についてお伺いしました。

毛内拡 感情ってなんだろう? 脳科学者 セルフケア

脳科学者

毛内拡

1984年北海道函館市生まれ。2013年、東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程修了。お茶の水女子大学基幹研究院自然科学系助教。『脳を司る「脳」 最新研究で見えてきた、驚くべき脳のはたらき』(講談社)にて第37回講談社科学出版賞受賞。「心」について脳科学の観点から捉え直す『「気の持ちよう」の脳科学』(筑摩書房)など書籍多数。

化学物質によって傷つきや落ち込みを感じている

――単純な落ち込みではなく、うつ病のような精神疾患についても、脳が関係しているのでしょうか?

毛内先生うつ病は、ドーパミンやノルアドレナリンのような、脳内の化学物質が減ることが原因じゃないかと言われているんですよ。これはまだ完全にわかっていないことで、最近ではちょっと否定的な意見もあるんですけど。でも、精神科のクリニックに行くともらえる「抗うつ剤」というお薬って、脳に働きかけるものなんです。

脳にはセロトニンやノルアドレナリンを出して、使い終わったらそれを回収するという仕組みがあるんです。その回収を防いで減らさないようにしようというタイプの抗うつ剤がよく処方されています。せっかく出たんだから、回収をブロックしよう! というものですね。

このお薬でみんながみんな元気になるわけではないですが、回復する人もたくさんいます。もちろんうつ病とまではいかなくても、長い落ち込みなんかにもこの化学物質は関係していると思います。…化学物質ひとつのさじ加減で、傷ついたり落ち込んだりしていると思うと、ちょっと見方が変わりませんか? 自分の気持ち、気合、根性みたいな、あるのかないのかわからないものじゃなくて、化学物質のせいなんですよ。考え方を正すとかそんな難しいことをしなくても、脳の疲れを癒やしてあげたり、化学物質を増やすお薬を飲んだりすることが前向きになる近道かもしれません

毛内拡 脳科学者 感情 著書を持つポートレート

脳を休めるためには「ぼーっとする」「寝る」だけではダメ?

――結局脳を回復させることしか、前向きになる方法はないんですね。では、脳を休めるにはどうしたらいいのでしょうか?

毛内先生:よくある間違いは「寝る」。もちろん健康面でも精神面でも寝ることは大事ですが、起きているときとモードが違うだけで、記憶を整理するなどでかなり脳は動いています。なので寝るだけでは、脳は休まりません

もうひとつの多い間違いは「ぼーっとする時間を作る」ですね。実はこれも、脳は休まらないんです。「デフォルトモード・ネットワーク」という状態で、例えばお風呂に入ってスマホも触らず何も見ず、ぼーっとしているときがこの状態に当たります。黙っていても勝手に脳が動いてくれている状態。この状態は、脳が元気であれば「新しいアイデアを思いつく」なんてことができるのですが、疲れていると「ぐるぐる思考」に陥っちゃうんです。

「デフォルトモード・ネットワーク」は外に注意を向けなくてよい状態なんです。危険がない状態。だから「反省」みたいなものをつかさどる脳の場所が活性化します。過去の後悔や、未来への不安が勝手に出てきて、ぐるぐる考えてしまって、余計に落ち込んでしまいますね。なので逆に、「反応しなければいけない刺激」を少しだけ与えてあげるほうが、脳は休まるんですよ。

――少しだけの「反応しなければいけない刺激」とは例えばどのようなものですか?

毛内先生「全自動でできないこと」ですね。旅行なんてすごくおすすめです。特に一人旅がいいですね。知らない場所に行ったり、新しい人と出会ったりする新奇体験で、脳は活性化します。といっても、行くのがすごく大変な場所じゃなくて「ちょっと考えればできるけれど、無意識ではできない」程度の難易度のものがいいですね。

旅行する時間がない、気力がないという人は、道に迷ってみることをおすすめします。私はちょっと脳が疲れてるな〜というときは、知らない街に行って地図を見ずに歩いたり、違う道から帰ってみたりしています。

これって、ちょうどよく「今ここ」に集中できるからいいんですよ。外に注意を向ける必要はあるけれど、その負担が大きすぎない。目の前の刺激に対処しようとすると、脳ではノルアドレナリンが出ます。ノルアドレナリンはさっき言ったように、抗うつ薬で減らさないようにする脳内物質です。つまり、元気になる脳内物質が出るということです。ぼーっとしてぐるぐる考え込むより、道に迷うほうが脳が健康的な状態に近づくんですよね。そう、脳を休めるとは具体的に言うと「ぐるぐる思考をやめること」でもあります。

――他に「落ち込んだ脳に効く」特効薬みたいなものはありますか?

毛内先生:昔、僕が落ち込んだときに実際やって効果があったのは、「何も考えずにやりたいことや夢の話をする」です。仲がいい人で、過去に何かを一緒に成し遂げた体験がある人がいいですね。そういう人と、実現可能性とか予算とかを全く考えず、無責任に夢の話をするんです。「別荘買いたいな」とか「宇宙旅行に行くならどの星に行く?」とか何でも良いです。もちろん「何の研究をしたいか」みたいなリアリティのある話でもいいですが、突き詰めて考えないことが重要

脳は「何かを期待して、その報酬がもらえるように動く」が第一原理なんです。そして、期待しているときは脳が活性化する。そのときに放出されているのが、ドーパミンという物質です。これは先程「これが減ることがうつ病の原因になるんじゃないか」と言っていた物質ですね。ドーパミンって、お酒やギャンブル、違法薬物の高揚感のもとになっている脳内物質です。つまり、やりすぎると依存しちゃうくらい強い「快」ですね。そのドーパミンをいたって健康的に出す方法、それが「何も考えずに夢の話をする」なんです。夢の話は依存になるほどドーパミンは出ませんが(笑)、気持ちがよくなるはずです。

また、「以前一緒に成功体験をしたことがある相手」を選ぶことにより、夢達成への期待感が高まるのでよりテンションが上がるはず。悩みやストレスとは完全に切り離すため、現実的なことは一切考えず「できたらいいな」なことを無責任に話し合いましょう

毛内拡 脳科学者 感情 大学内でのポートレート

自分を傷つけられるのは自分だけ。それを知っていると楽になる

――すべては脳の仕業と考えるのは、視点が切り替わって気が楽になる人も多いと思います。

毛内先生:そうですね。脳の観点から物事をとらえ直すと、新しい見方ができるようになると思います。僕自身、もともと傷つきやすくて悩みやすいんですよ。でも、脳科学を学んで少し気が楽になりました。僕が脳のことを知って感じたのは「自分を傷つけられるのは自分だけなんだ」ということですね。

例えば、目の前で悪口を言われても、その人が全く知らない言語を使っていたら傷つかないじゃないですか。だって意味がわからないんですから。意識の中に入れて考えることが不可能。と、いうことはですよ、誰かに酷いことを言われたとしても、それを意識の中に入れないようにすれば、傷つかないんです。つまり、真剣に受け取りすぎないようにするということです。そのためには、自分が活躍できる場が複数あるといいかもしれませんね。「あっちがダメでもこっちは大丈夫! ならこっちのことを考えよう!」と切り替えやすくなると思います。

それでもつらいことが意識の中に入ってきて、どうしようもない心の状態になったときには、「ストレスへの反応なのだから生物としては正しいだろう」「今、脳で何かの物質が出ていそうだな」「これは脳の認知バイアスがかかっているぞ」と、脳の観点から捉えてみるといいかもしれません。怒りや悲しみが落ち着くかもしれないし、「物質のせいだから仕方ない」と自分をちょっと許せるかもしれない。少なくとも、脳の疲れや認知バイアスだと認識できていれば、見えない敵と戦うよりはやりやすいでしょう。僕はそうやって冷静になることも多いです。

毛内拡 脳科学者 感情 笑顔で話すポートレート

インタビュー後編、<SideA>のみたらし加奈さんインタビューはこちら!

取材・文/東美希 撮影/TOWA 企画・編集/木村美紀(yoi)