昨今、「ケア」という言葉が注目されています。実はフェミニズムと深い関係にある概念だということは、あまり知られていません。 精神医療の分野で対話を通して「ケア」を模索する精神科医・斎藤環さんに、「ケア」の本質や、現代社会で注目を集めている背景を伺いました。

お話を伺ったのは…
斎藤環

精神科医

斎藤環

筑波大学医学研究科博士課程修了。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。患者とその家族や友人、精神科医だけでなく臨床心理士や看護師といった関係者が1カ所に集まり、チームで繰り返し「対話」を重ねていく治療的介入手法「オープン・ダイアローグ」を実践する。『「自傷的自己愛」の精神分析』(角川新書)、『オープンダイアローグとは何か』、『イルカと否定神学──対話ごときでなぜ回復が起こるのか』(いずれも医学書院)ほか著書多数。

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そもそも、「ケア」とは?

──「ケア労働」や「ケアワーカー」、「セルフケア」など、最近「ケア」という言葉を耳にする機会が増えた気がします。そもそも「ケア」とはどんな概念なのでしょうか?

斎藤環さん(以下、斎藤):医療の文脈では、「ケア=care」は「キュア=cure(治療)」の対に位置づけられています。 キュア=治療とは、患者さんの病んでいる部分に対して、原因を取り除いたり、何かを追加したり、何かしらのアプローチをして改善を図ることです。


いっぽうケア」は対象となる人の健康な部分や強みにアプローチして、それをエンパワメントしていこうという働きかけで、治療とは真逆の性質を持っています。

また、治療の場合は、常に診断が先行して、その疾患名に合った対応をとりますが、「ケア」は診断を第一に重視しない側面があります。

「この病気だからこれをする」といったように細かく手法が分かれているのではなく、どんな病に対しても似たようなアプローチで、普遍的な性質を持っているのが「ケア」の特徴ですね。

例えば、代表的なケア労働といえる看護の仕事は、一部の特殊な手技を除き、疾患ごとにケア方法は細かく分かれていません。

精神科医の中井久夫の言葉に「治療できない病気はあっても、看護できない病気は存在しないというのがあります。これは「ケアできない疾患は存在しない」と置き換えることができると思います。

平たく言えば、「ケア」とは誰かを気遣って寄り添い、世話をすることであり、もちろん医療の現場に限ったことではなく、その連続線上に、家庭内での家事、育児、介護はもちろん、互いを気遣ったりする日々のコミュニケーションもあります

──「ケア」という概念自体は昔からあったのでしょうか?

斎藤:誰かを気遣い、世話をするような概念を「ケア」と総称するようになったのは比較的最近の傾だと思います。

日常的に「ケア」という言葉を見聞きしたり、「もっとケアしてほしい」といったことを口にしやすい環境に変わってきている今は、ある意味“「ケア」ブーム”と言えるかもしれませんね。

現在の「ケア」ブームの背景にあるのはフェミニズム。コロナ禍との関連も

──「ケア」ブームの背景には何があるのでしょうか?

斎藤:まず、フェミニズムの思想が色濃く反映されています。 例えば、アメリカの発達心理学者キャロル・ギリガンが提唱した「ケアの倫理」。これは、近代社会で評価されてきた“自立した個人”を想定し、多くの人が「正しい」と考える原理、原則に従って、物事の優先順位をつけて行動をする「正義の倫理」への批判が含まれています。

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斎藤:「ケアの倫理」では、私達は誰しもが他者を“相互依存して生きている、傷つきやすい存在”であると考え、個別の悩みに寄り添い、他者や自己の感情や、置かれている状況、文脈を考慮して寄り添う人間の在り方を基盤としています。

多くの場合、女性が担い、価値を低く見積もられてきた「ケア」は、本来人間が生きていくために不可欠であり、そんな「ケア」の価値を彼女は、再評価することを試みたわけです。

前述の「ケア」と「キュア」の対比で考えると、「キュア」つまり治療は、分析と理論に基づいて検討し、対処を選択する「正義の倫理」に基づいていますよね。

しかし、それだけでは病の支援は難しいということが医療の現場でも徐々に理解されるようになり、ギリガンのようなフェミニズム的な動きと相まって、「ケア」という概念が注目されてきたのだと思います。

さらに、最近は英文学者の小川公代さんをはじめ、しばしば文学の領域で「ケア」が取り上げられるようになり、女性作家文学の再評価と「ケア」の再評価が並行して進んでいるように感じます。

ほかにも、コロナ禍の影響があると思いますよ。COVID-19は抗ウイルス薬がなく、はっきりとした対処が難しかったため、治療だけではなく、対応として「ケア」の要素が大きかったのではないでしょうか。

また、外出自粛で女性のケア労働の量が増え、非常にストレスフルな状況に置かれてしまったという点も見過ごせません。

女性たちが持っていた、互いを思いやり、気にかけるような「ケア」的な連帯がコロナ禍でくずれてしまい、孤立状態で家族の「ケア」を一手に引き受けるようになったため、女性の自殺率が上がったということも「ケア」が注目される背景にあると考えていいと思います。

女性の“ケア的な連帯”とメンタルヘルスは深く関係する。男性の弱さの開示とのつながりも

──ケア労働が女性に偏りがちだったり、「ケア」的な姿勢が女性に求められることは、ジェンダー問題として改善していかなくてはいけませんが、シスターフッド(女性同士の連帯)をはじめ、「ケア」的なつながりがメンタルヘルスとどう関係しているか教えてください。

斎藤メンタルヘルスと女性の「ケア」的な連帯は非常に関係が深いと思います。よく例に出されるのが、女性のほうがうつ病になりやすいのに、自殺率は男性のほうが高いという傾向です。

その理由はあまり明言されていませんが、私は女性に多く見られる「ケア」の共同体の力がとても大きいと思います。

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斎藤:そうした「ケア」の共同体では、弱さを開示して、悩み相談をしたり、誰かに助けを求めたりしやすい。逆に、まだまだジェンダーステレオタイプが強固な“マッチョ”な社会では、男性はやはりそういったことをしにくいというのが背景にあるのではないでしょうか

また、医療の観点では、精神疾患の原因は未解明のものが多く、「ケア」と治療が渾然一体になっているのがメンタルヘルス領域の特徴といえます。薬は治療ですが、カウンセリングをはじめ、「ケア」の要素がかなり大きいのではと思います。

──ジェンダー問わず、「ケア」の姿勢が浸透することでメンタルヘルスがより向上する可能性はありますか?

斎藤:はい。男性も弱さを開示して、助けを求めやすくなるので、間違いなく自殺率は下がると思いますし、精神医学においては、今後「ケア」の比重がさらに高まり、それがよい結果につながるだろうと予測しています

しかし、難しいのは自分を含め、気持ち的には理解できるつもりになっていても、まだまだ「ケア」の概念が体感的に腑に落ちているレベルの男性はあまりいないと感じます。

制度的には社会構造はだいぶ変わってきていますが、日本だけではなく、欧米も含めて、これからの課題ですね。 ただ、「ケア」という言葉が流行ってきているというのは大きな第一歩

これからもっと浸透して、ジェンダー問わず、「ケア」の思想を心の底から体現している人が増えていくことを期待したいです。

イラスト/カタユキコ 構成・取材・文/長谷日向子