「旅行者が増えすぎて、地域に負担をかけているのではないか」「旅行者を素直に歓迎できない」そんな“観光”に対するモヤモヤの声を耳にしたことはありませんか? 今回は、観光マナーの新しい考え方「ツーリストシップ」を提唱する田中千恵子さんに、オーバーツーリズムの現状と、これからの旅人のあり方について伺いました。
一般社団法人ツーリストシップ 代表
1998年千葉県生まれ。2019年、京都大学在学中に一般社団法人CHIE-NO-WA(後のツーリストシップ)を立ち上げ、代表に就任。2023年からは同志社大学で講義を担当するなど、観光と地域のよりよい関係づくりを目指し、研修・啓発活動を幅広く展開している。同年に『「ツーリストシップ」で、旅先から好かれる人になってみませんか』(ごま書房新社)を出版。
観光地はテーマパークじゃなく、誰かのふるさと
——観光地が抱える「オーバーツーリズム」の問題について、田中さんはどう感じていますか?
田中 わたしは2年前まで京都で暮らしていました。紅葉や桜の季節になると、公共交通機関は大混雑。スーパーや飲食店も観光客であふれて、地元の人が生活しづらくなる状況を感じてしまうこともありました。
「また旅行者が多いね」「今日は少なくて助かる」そんな言葉が京都の日常会話に時折出てくるようにもなっていて。その言葉の奥には、小さな苛立ちや、あきらめのような感情が滲んでいる気がして…。問題の根深さを痛感しました。
観光って、本来は平和産業で、異文化を知る素敵なきっかけのはず。でも、それが原因で地元の人の心にネガティブな感情が生まれてしまうなんて、すごく悲しいことですよね。本当は、観光する側もされる側も、心地よくいられる関係であるべきだと思うんです。

——確かに、受け入れる側の苦労ってありますよね。京都以外でも同様の問題があるのでしょうか?
田中 はい。自然が豊かな全国津々浦々でも、観光客の集中による混乱が問題になっていると聞きます。そして実は、東京の墨田区でも観光客が過度に集中してしまっている日も増えているようです。もともと住宅街が多い下町として知られていた墨田区ですが、東京スカイツリーの開業をきっかけに観光スポットとして注目を集め、急激に人が集まるようになりました。こうした現象は、地方に限らず都市部でも共通する課題となっているようです。
観光地は、テーマパークではないですよね。いつでも完璧な笑顔とサービスで迎えてくれる…そんなふうにはいかないのが現実です。そこにはちゃんと生活があって、日常があって、人の営みがあります。
だからこそ、「観光地=誰かのふるさとであり、生活の場」だということを国内外問わず、旅をする人は気にとめるべきだと思います。旅をする人が「受け入れてくれてありがとう」という感謝の気持ちを持つと、旅はさらに豊かなものになると思います。
スポーツマンシップのように旅をする「ツーリストシップ」
——「ツーリストシップ」とは、どのような考え方でしょうか?
田中 「レスポンシブル・トラベラー(責任ある旅行者)」という言葉があります。 環境や地域に配慮しながら旅をする考え方ですが、初めてこの言葉を聞いたとき、正直なところ、わたしには少し堅く感じられて、すっと心に入ってこなかったんです。責任といわれても、何をどうすればいいのか、ピンとこなくて。
そこで考えたのが、「ツーリストシップ」という新しい言葉。「スポーツマンシップ」からヒントを得た造語で、フェアな精神や相手へのリスペクト、美しい振る舞いを旅にも持ち込もう、という想いを込めました。
旅先は、誰かの“日常”。だからこそ、その土地をリスペクトし、大切にかかわるのがツーリストシップです。

ツーリストシップを実践する3つのキーワード
——確かに互いのリスペクトは大切ですね。具体的に実践するコツはありますか?
田中 ツーリストシップの実践には3つのキーワードがあります。このキーワードを頭の片隅に置いておいてもらえると、よりよい旅ができるのではないかと思います。
キーワード1: 「配慮」
田中 ツーリストシップの基本は、その土地に暮らす人たちの「生活」や「文化」への思いやりを持つこと。
例えば、混雑しているなと感じたら、少しルートを変えてみたり、時間をずらしてみたり。都市部の観光であれば早朝から「朝活」を楽しんで通勤時間帯を避けるのもおすすめです。また、1駅程度であれば歩いてみることで、ふとした風景やお店との出合いが待っているかもしれません。
また、メジャーな観光スポットだけでなくその地域ならではの博物館があったら足を運んでみるのもひとつの手。実は、小規模でも独特のテーマの博物館って意外と多いんです。地元の歴史や文化に触れられる施設が多く、新しい発見がきっとあるはず。
ただ名所を巡るだけではない、その土地ならではの魅力にもきっと出合えるはずです。
キーワード2:「貢献」
田中 特に地方の観光地では、できるだけ地元のものを選んだり、その土地の歴史や背景に目を向けたり、工芸品を買ったり、名産品を食べたりすることで、“旅先ならではの選択”ができます。そしてそれは、地域の力になる応援のかたちでもあるんです。
最近では、農業体験などを通じて地域の人とふれあえる「グリーン・ツーリズム」の人気も高まっています。グリーン・ツーリズムとは、農山漁村に滞在し、農業や漁業を体験しながら地元の人と交流を楽しむ旅のスタイル。もともとは長期バカンス文化があるヨーロッパで普及し、日本でも少しずつ広がってきています。より深く地域や自然を知ることにもつながるのでおすすめです。
また、宿泊も「体験」のひとつ。もし機会があれば、アクセス重視ではなく、文化財に泊まってみるのもおすすめ。宮大工が手がけた古民家や、茅葺屋根が美しい伝統建築などに宿泊することで、旅の気分もグッと盛り上がりますし、伝統技術の継承を応援することにもつながりますよ。

キーワード3:「交流」
田中 旅は、ただサービスを受けるだけのものではありません。小さなことでも、地元の文化に触れたり、「ここがすごくよかったです」と感想を伝えたりするだけで、旅はぐっとあたたかいものになります。
例えば、旅先で少し早起きしてランニングやお散歩をしてみると、人が少ない朝の時間帯だからこそ、「おはようございます」と自然に交わせる挨拶が生まれることも。そこから「今日は何するの?」「このパン屋さんがおすすめだよ」なんて会話が始まることもあるのです。
都市部では観光地として有名ではない場所にも、地元の人が通う銭湯やカフェ、朝市など、その土地ならではの暮らしがあります。こうした体験は、観光の質を高めることにもつながります。
また、ローカルイベントに立ち寄ってみるのもおすすめ。観光客としてではなく「街を訪れた一人の人」として過ごすことで、その土地の魅力に自然と気づくことができるでしょう。

旅行者と観光地に住む人たちが「共につくる旅」へ
田中 旅って、本来は「おじゃまする側」と「迎える側」の思いやりで成り立つもの。観光地の裏には、そこに暮らす人たちの見えない努力や苦労があります。
だからこそ、旅人として「ツーリストシップ」を持つことが大切。少しの配慮やリスペクトを持つだけで、旅行者も観光地に住む人たちも、もっと心地よく過ごせる未来に近づけるはずです。
オーバーツーリズム解消のためにも、旅は、旅人と旅先で生活する人が一緒につくっていくもの、という意識をスタンダードにしていきたいです。
イラスト/moriharu 構成・取材・文/高浦彩加