今週のエンパワメントワード「力を磨く前に勇気を持て」ー『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』より_1

ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた
デジタル配信中  DVD¥4,180/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

高鳴る鼓動が、胸の奥に眠る願いを照らし出す

この映画はもともとミュージカルとして構想した、とブレット・ヘイリー監督自身が語っているように、『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』の物語は、音楽によって紡がれていく。正確な意味ではミュージカルとは言えないけれど、登場人物たちの感情を代弁するのはいつも音楽だ。


ニューヨーク・ブルックリンの小さな街でレコードショップを営む「フランク」と、その娘「サム」は、共に音楽を愛しながら暮らしてきた。妻を早くに亡くした父と娘という家族関係は、この連載の1回目で紹介した『君はひとりじゃない』と同じ。ただしサムとフランク親子の関係は良好だ。LAにある医大への進学が決まるほど優秀なサムは、自分がレズビアンであることも父とオープンに語り合うし、多少は煙たがりつつも、自分を育ててくれた父を尊敬している。


だが、サムの進学が決まった夏、フランクに頭の痛い問題が降りかかる。実は、経営するレコードショップは長いこと赤字続き。サムの学費を工面し、認知症の進んだ母親の介護をするには、17年続いた店を閉めて新しい仕事を探すしかない。


諦めかけたそのとき、二人が自宅で恒例にしている親子セッションで、フランクはサムが作った曲「Hearts Beat Loud」を耳にする。その素晴らしさに感動した彼は、演奏した音源を無断でSpotifyにアップロードしてしまう。バンド名は「We’re Not a Band.(私たちはバンドじゃない)」。「俺たちのバンドの新曲だ!」と騒ぐ父に、サムが呆れて放った言葉そのままだ。


サムの曲がインターネット上で話題となったのを知り、フランクは大はしゃぎ。一度は諦めたミュージシャンとしての夢を今度は娘と実現するのだと次々に計画を立てていく。そんな父に、サムははっきりと言い渡す。自分はミュージシャンになるつもりはない。音楽は好きだけど、医者になり安定した生活をするのが自分の夢。頼むから馬鹿げた夢に私を巻き込まないで。


サムは、つき合いはじめたばかりの恋人「ローズ」に新曲を聴かせながら、父の暴走を嘆いてみせる。たしかにセッションは楽しかった。だけど自分たちはまだ人前でやるレベルじゃない、本気でやるならもっと時間をかけないと。そう語るサムに、ローズはある言葉をプレゼントする。〈力を磨く前に勇気を持て〉。怪訝な表情のサムに、ローズは「コミックで読んだセリフ」だと前置きし、これこそ今のあなたに必要な言葉だと言い聞かせる。あなたは、勇気も力もすでに持っているはず。その言葉に、サムはハッとする。


たしかにサムは、ずっと慎重に人生を歩んできた。先を考えずに行動する父を見て育ったからか、あるいは幼い頃に母を亡くした過去が影響しているのかもしれない。
自分が本当にやりたいものに人生を捧げること、大切な誰かをつくることを恐れ、確実な未来だけを選ぼうとしてきたサム。だけど本当は自分の殻を打ち破りたいと願っていたからこそ、あの曲が書けたのだ。ローズの何気ないひと言はサムの本心をずばりと見抜き、未知の世界に飛び込む勇気を与えてくれる。


映画は、一見、しがない中年男が愛する娘と一緒に、音楽の夢に再挑戦するセカンドチャンスの物語に見える。けれどサムが作った歌を通して、私たちはこれが父ではなく娘の物語なのだと気づくだろう。そしてフランク自身もまた理解する。自分の才能を確信できない娘の背中をそっと押すこと。それが父の役割なのだ。フランクは過去にしがみつくのをやめ、未来へと目を向ける。


こうして二人の最初で最後のライブが幕を開ける。力を磨くことはたしかに大事。でも時には確信がないまま一歩踏み出すことも必要だ。いつも恥ずかしげに微笑んでいたサムがまっすぐに前を向き歌はじめるとき、その震えるような勇気が、ビートに乗って私たちの胸を強く打ちつける。

月永理絵

編集者・ライター

月永理絵

1982年生まれ。個人冊子『映画酒場』発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』編集人。書籍や映画パンフレットの編集の他、『朝日新聞』 『メトロポリターナ』他にて映画評やコラムを連載中。

文/月永理絵 編集/国分美由紀