私たちが人生でそれぞれに向き合う「妊娠・出産」、「家族」や「パートナーシップ」にまつわる迷いや不安に寄り添う連載『Stories of A to Z』。今回は、出産した女性の10〜15%にみられるという「産後うつ病」について、周産期精神医学のスペシャリストである東北大学病院精神科の菊地紗耶先生にお話を伺いました。

Story14 「みんな大変だから」の裏側で起きていること

「産後うつ」「産後うつ病」「マタニティブルーズ」はどう違う?

今月の相談相手は……
菊地紗耶先生

東北大学病院 精神科 講師

菊地紗耶先生

宮城県立精神医療センターなどを経て、2007年より東北大学病院精神科勤務。2008年より「周産期メンタルケア外来」を担当。専門分野は、周産期精神医学と児童精神医学。2022年より現職。

――これまで、妊娠・出産を経験した方に取材するなかで、多くの方がパートナーを含む周囲との関係性やメンタルの変調に戸惑い、悩み、時には自分を責めてしまうケースもありました。「産後うつ」や「マタニティブルーズ」という言葉も見聞きしますが、これらは治療が必要な疾病なのでしょうか?

菊地先生 どちらもよく耳にする言葉ですよね。産後うつと産後うつ病は区別せずに用いられることもありますが、「産後うつ」は、一般に、産後のイライラや気持ちの落ち込みといった幅広いメンタルヘルスの「状態(不調)」を指すことが多く、一方の「産後うつ病」は、下のリストのような症状が2週間以上続き、生活に支障をきたしてしまう「病気」です。妊娠中や産後に発症するうつ病なので、医学的な診断基準では「うつ病(周産期発症)」ともいわれます。

「産後うつ病」とは? 「マタニティブルーズ」とはどう違う? 妊娠・出産によって起きるメンタルの変化 
「Stories of A to Z」Story 14【前編】_1

――どちらもケアやサポートが大切だとは思いますが、「「産後うつ病」の場合はうつ病としての治療も必要になるということですね。ちなみに、よく聞く「マタニティブルーズ」も、「産後うつ」に含まれる不調なのでしょうか。

菊地先生 マタニティーブルーズは一過性なので、ある意味、産後に見られる正常範囲内の「変化」といえます。ですから、気分の落ち込みを中心とした幅広いメンタルヘルスの「不調」を指す産後うつとは違うものとして捉えていただくのがいいと思います。

――なるほど、マタニティブルーズは一時的な「変化」なのですね。

菊地先生 はい。マタニティブルーズと産後うつ病の違いを見ていただくとよりわかりやすいかと思います。出産した方の約3割が発症するといわれるマタニティブルーズは、産後間もない時期に涙もろさや不眠といった症状が起こります。ただ、下の図のように一過性のものなので、自然によくなることがほとんどです。一方、産後うつ病の場合は、産後数週間から数カ月の間に発症するといわれますが、私たちの最新の研究では、産後1年が経過してからうつ症状を発症する方も約13%いることがわかりました。これは、産後1カ月での発症とほぼ同じ割合です。

「産後うつ病」とは? 「マタニティブルーズ」とはどう違う? 妊娠・出産によって起きるメンタルの変化 
「Stories of A to Z」Story 14【前編】_2

――1年後にも発症のリスクがあるなんて知りませんでした。

菊地先生 しかも、1年後に発症した方の約半数が、産後1カ月の時点ではうつ症状がみられませんでした。これは産後うつ病と表現するか議論のあるところで、今後も調査が必要ですが、お母さん自身のうつ病であるという考え方もあります。もともと、女性は男性に比べて2倍もうつ病になりやすいといわれ、お子さんの年齢や状況、一人一人の社会的な背景によって、うつ病を発症するリスクはありますので、より長期的な視点でケアをする必要性があります。

いちばんの治療法は、とにかく休むこと!

「産後うつ病」とは? 「マタニティブルーズ」とはどう違う? 妊娠・出産によって起きるメンタルの変化 
「Stories of A to Z」Story 14【前編】_3

――産後のホルモンバランスや体の変化による影響が大きいと思っていましたが、産後すぐに限らず、妊娠、出産、育児による心身への負荷は、長期的な目線でケアが必要ということですね。だからこそ、図にあるように休息をとることや周囲のサポートも治療方法になるのですね。

菊地先生 はい。マタニティブルーズや産後うつ病という症状名にとらわれがちですが、妊娠中や産後は、体や心の変化の大きい時期ですので、基本的な対応や治療は共通しています。それは、本人が心身ともにしっかり休み、周囲のサポートを得ること。特に、妊娠中は睡眠が浅くなって途中で起きることが多くなったり、睡眠の質が低下したりして、なかには昼夜逆転してしまう人もいます。産後も授乳のために数時間おきに起きることになります。こんなに眠れない日々は、人生の中でもそうそうありません。パートナーや家族が家事育児を担う、行政の制度や民間サービスを活用するなどして質のよい睡眠をとれる環境づくりを整えてほしいと思います。

――本人と接するうえで周囲が意識すべきことはありますか?

菊地先生 「産後は誰でも大変だから」といった思い込みから、ご本人や家族も気づきにくいのが産後うつ病です。まずは、日々の生活の中で睡眠や食事がとれているかどうかを確認しましょう。また、いつも暗い表情をしている、声にハリがない、元気がないといったこともサインだと思います。うつ状態になると考え方がネガティブなほうに偏りやすいので、「親として失格だ」「ほかのお母さんはちゃんと育児できているのに、自分はできていない」といった自分を責める発言が目立つときも注意が必要です。

――睡眠や食欲など日常生活への支障やメンタルの変化は、妊娠中からもみられますよね。そのとき、周囲はどう対応したらいいのでしょうか?

菊地先生 妊娠中も産後も、ご本人の様子に変化がないか見守ること、話を否定したりせずに受け止め、その大変さに寄り添うことが大切です。もし仕事などで忙しくて、なかなか育児や家事を担えない場合も「今日も1日大変だったね」「ありがとう」など、いたわりや感謝の気持ちを伝えるようにしましょう。気持ちの落ち込みが続いたり、育児がつらく感じたりするときは、心療内科や精神科の受診を検討してほしいと思いますが、出産した病院や行政の保健師さんに相談するのもいいと思います。

――先ほどの「産後は大変で当たり前」という思い込みが気づきを遅らせるということも、意識しておいたほうがよさそうですね。

菊地先生
 そうですね。海外の調査によれば、産後うつ病と診断された人に「調子が悪いと感じることはありましたか?」と聞くと、97%の人が「YES」と答えました。しかし、「自身が産後うつ病だと思いましたか?」という質問に「YES」と答えた人はたったの32%でした。調子が悪いと感じていても、受診や相談、ケアが必要だとは自覚しにくいのが現状です。そこを変えていくためにも、周囲が産後うつ病について理解を深めることが大切な一歩だと思います。

――薬での治療にはどんな種類があるのでしょうか。治療期間の目安などはありますか?

菊地先生 一般のうつ病と同じように、うつ病の重症度に応じて抗うつ薬を用います。うつ病は、適切な治療とケアで少しずつ症状がよくなっていくものなので、治療には通常、数カ月かかります。一喜一憂せずに、回復まで少しずつ進んでいくことが大切です。食事や入浴以外は横になるぐらいのほうが、回復も早くなりますから、私はよく「入院しているくらいのつもりでしっかり休んでほしい」とお話ししますね。

つらい気持ちや状況の“背景”をひもといてみる

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「Stories of A to Z」Story 14【前編】_4

――ゆっくり休むことが回復の近道ということですね。産後うつの状態も含めて、メンタルのつらさを長引かせない、あるいは改善するために自分でできることはあるのでしょうか。

菊地先生 できるだけ一人で抱え込まないことが大切です。たとえば、「うちはワンオペ育児だから仕方ない」「誰も手伝ってくれる人はいない」と思うこともあるかもしれませんが、改めて、どうやったらもう少し自分が楽に育児ができそうかな? と考えてみましょう。「そもそもワンオペ育児になっているのはどうしてだろう?」と考えたとき、そこにはいろいろな理由や要因がある場合があります。なかには夫婦間の意識のギャップやコミュニケーションの問題があるかもしれませんし、一時保育やヘルパーさんなど育児を少し楽にしてくれる情報にたどり着けていないのかもしれません。あるいは、「育休をとっている自分が頑張るべき」「一人でも完璧にやるのが当たり前」と思ってしまっているのかもしれません。つらさを感じているご本人が孤立してしまうことが、回復の妨げになってしまうこともあります。

――感情についても、「どうしてこんなにイライラするんだろう?」と自分に質問してみると、疲れやパートナーへの不満といった理由が見えてきそうですね。

菊地先生 そうなんです。その背景がわかれば、さまざまな支援の可能性を探し直したり、パートナーと話し合ったり、「ここまでなら受け入れられそう」と支援を受ける範囲や期限を決めたりと、状況の改善につなげやすくなります。こうした背景をひもとくうえでも、一歩進むためにも、誰かとコミュニケーションをとることが大事です。

もっと“自分の気持ち”の話をしてみよう

「産後うつ病」とは? 「マタニティブルーズ」とはどう違う? 妊娠・出産によって起きるメンタルの変化 
「Stories of A to Z」Story 14【前編】_5

――パートナーや家族とのコミュニケーションということでしょうか?

菊地先生 パートナーや家族に限らず、保健師でも医師でもかまいません。「みんな大変だから」とか「こんな些細なこと相談していいのかな」という前置きはいったん忘れて、思っていることを話してみましょう。自分が何を感じているのか、どうしたいのかを、整理できるきっかけになると思います。つい後回しにしてしまう人が多いのですが、もっと“自分の気持ち”の話をしていいんです。産後は慌ただしくて気の休まるときがないかもしれませんが、だからこそまわりの人に相談したり頼ったりしてほしいと思います。

▶︎自分の心や状況の背景をひもとき、素直な気持ちを口にするのは、決して簡単なことではないかもしれません。もし身近な人たちに話しづらいときは、医師や看護師、保健師といったプロの手を借りるのも選択肢のひとつ。後編では、妊娠・出産を経て「産後うつ病かも?」と感じた3人のリアルな声と、専門家からのアドバイスをご紹介します。

イラスト/naohiga 取材・文/国分美由紀 企画・編集/高戸映里奈(yoi)