
恋愛、セックス、パートナーシップ──。大人になると「わかっているつもり」になりがちなテーマを、性とリレーションシップに関してグローバルな知見をもつジャーナリスト・池田和加が、映画や書籍、専門家の理論をもとに丁寧に向き合う新連載がスタート。 第1回は話題の邦画を題材に、セックスレスや感情共有、自分の気持ちの伝え方の工夫などをひもときます。

「今日はしたい・したくない」を上手に伝える〜『劇場版 それでも俺は、妻としたい』を通して考えるパートナーシップの築き方
「今夜どう?」と誘われて、思わず身構えてしまったことはないだろうか。
あるいは逆に、パートナーに断られて傷ついた経験は?
5月30日公開の『劇場版 それでも俺は、妻としたい』は、まさにそんな現代夫婦の悩みを赤裸々に描いた作品だ。売れない42歳の脚本家・豪太(風間俊介)は妻のチカ(MEGUMI)に毎晩のようにセックスを求め、チカが「するかバカ」と一蹴する。
本作は脚本家・足立紳による自伝的小説が原作で、足立自身が脚本・監督も担当し、日常のリアリティを出すために家庭シーンのほとんどが足立の自宅で撮影されたという。
映画で描かれる夫婦間の本音やぶつかり合いは、「レスり vs レスられ」と対立構造で語られがちなセックスレスの問題において「単純な悪者はいない」ことを映し出す。
豪太もチカも、それぞれに改善すべき点があり、お互いが歩み寄ることで関係を再構築できるかもしれないのだ。
豪太の問題:セックスの「親密さ」を理解していない

©「それでも俺は、妻としたい」製作委員会
豪太の最大の問題は、セックスを単なる性行為としてしか考えていないことだと思われる。
性科学者のエミリー・ナゴスキ博士は著書『Come as You Are』で、女性にとって性的欲求は、体が安全だと感じられ、心を開く"文脈"があって初めて生まれるもの、と指摘する。
しかし豪太は、チカが会社でクレーム対応という精神的に消耗する仕事をしていることや、家計を一人で支えているストレスをまったく理解しようとしていない。映画の中盤まで、豪太は自分の性的欲求についてばかり話し、チカの日常や感情に関心を示さないのだ。
パートナーシップにとって、セックスの"文脈"とは「親密さ(インティマシー)」にあると思う。筆者の知人でもあるスウェーデンの性科学者、マーリン・ドレヴスタム氏は、親密さを3つに分けて考えているので紹介したい。
セックスの"文脈"である3つの親密さとは
1.感情的親密
感情的親密は、日常の中で自分の内面を率直に伝えることだ。「最近、職場でのプレッシャーを感じている」「子どもの進路について気がかりなことがあるけれど、あなたはどう考える?」といった具合に、心の内を素直に分かち合う習慣を築いていく。
2.精神的親密
精神的親密は、これまでの人生体験や将来への想いを互いに語り合うことだ。「これから先の10年をどんなふうに過ごしたいか」「幼い頃に抱いていた夢や憧れは何だったか」など、お互いの内なる世界を開示し合うことで、表面的な関係を超えた絆が育まれる。
3.身体的親密
身体的親密は「非性的スキンシップ」と「性的スキンシップ」の2タイプがある。髪に触れる、肩に手を置く、手をつなぐといった親愛にあふれたスキンシップと、キスや性的な営みを含む情熱的な身体表現だ。この両方のバランスが偏ってしまうと、関係の一方が性的な対象としてのみ扱われていると感じてしまう。
マーリン氏によると、人間はこの3つの親密さのどれかが欠けると幸せになれないという。豪太のように、チカのニーズや思いについて何も聞かずに、「今晩はセックスさせてください」などと自分の性的欲求だけを満たそうとすると、相手は自分が単に性的な対象として扱われているととらえるだろう。
重要なのは、感情的・精神的親密さは、ケンカをせずにつねに仲良くいようとすることではない、ということだ。親密さを深めるには、喜び、怒り、悲しみ、苦しみ、不安などのあらゆる感情、そして、未来への希望や不安を共有することが必要なのだ。
チカの問題:怒りの本質について話し合っていない

©「それでも俺は、妻としたい」製作委員会
一方で、チカにも改善すべき点がある。「するかバカ」「雑魚」という攻撃的な拒絶は、豪太を傷つけ、関係をさらに悪化させている。 チカは豪太や自分自身に対して大きな怒りを抱えているが、それについて豪太と話し合っていない。チカが一人で家計も感情的な負担も背負い込み、それについて話し合う余裕を完全に失っているからだ。
パートナー同士の収入の格差にかかわらず、そして性別にかかわらず、仕事・育児・家事で疲れ果てたとき、パートナーからの愛情表現すら負担に感じてしまうことがある。しかし、その疲れや不満を相手に伝えなければ、問題は解決しないのだ。
小さな不満を日常的に共有することで、大きな爆発を防ぐことができるから、私たちは日頃からパートナーと感情を共有する練習が必要なのである。面倒くさくても、葛藤について話し合い、お互いに同意できる着地点を見つけて歩み寄ることが、関係を深めることにつながるのではないか。
セックスレスという言葉の弊害
ここで重要な視点を加えたい。実は、マーリン氏によると、スウェーデンの性科学では「セックスレス」という言葉を使わないという。これは単に言葉の問題ではない。
セックスの定義は人それぞれで、ある人にとっては髪をなでたり、肩を抱き寄せたりするのも性的コミュニケーションなのだ。「セックスをひとつの形に限定して、回数でとらえて『セックスレスだからよくない』とする社会は、セックスを"行為"だととらえて、"関係"を育むものだと捉えていない」とマーリン氏は指摘する。
スウェーデンの性科学では、セックスを「親密な関係性を育むもの」と考える。そもそも、カップルがハッピーだったらセックスの回数が少なくてもセックスレスではないのだ。
つまり、豪太とチカの問題は「セックスレス」ではなく、「親密さレス」なのかもしれない。回数を数えることよりも、お互いが心からつながっていると感じられる関係性を築くことのほうがはるかに重要なのだ。
「今日はしたい・したくない」を上手に伝えるステップの旅へ

©「それでも俺は、妻としたい」製作委員会
豪太の一方的な要求とチカの攻撃的な拒絶は、どちらも建設的ではない。ここで役立つのが「アサーティブコミュニケーション」。これは、自分の気持ちや意見を、相手を攻撃することなく、かつ自分を卑下することなく伝えるスキルだ。
セックスとリレーションシップのコーチングスクール『Loveology University』を主宰するアメリカの性科学者エイヴァ・カデル博士によると、良いコミュニケーションとは、双方の自己肯定感を大切にするものだという。
基本的な伝え方は以下のとおり。
基本の3ステップ
1. まず「ありがとう」から始める(相手への敬意を示す)
2. 「私は~と感じる」と私メッセージを使う(攻撃的表現を避ける)
3. 具体的な提案をして相手の意見を聞く(建設的な解決策を探る)
豪太の場合はこんなふうに:
「いつも家計を支えてくれて、ありがとう。でも僕は最近さみしいと感じるときもあって、チカともっと親密な時間を過ごしたいと感じている。寝る前に少し話す時間を作ってもらえたらうれしいんだけど、どう思う?」
チカの場合はこんなふうに:
「誘ってくれてありがとう。でも私は今日、仕事で疲れ切っていて一人でリラックスする時間が必要だと感じている。今度の週末、二人でゆっくり話し合える時間を作ってもらえたらうれしいんだけど、どう思う?」
セックスレスについて話し合う前に、まずはお互いが「大切にされている」と感じられる関係性を築いていることが大前提だ。だからセックスではなく、親密さを深める時間を作ることから始めよう。
自分は十分な親密さを表現しているつもりでも、相手は同じように受けとめていないときもある。感情的・精神的親密さが十分に深まってから、セックスについて話し合ってみよう。そのときも、基本の3ステップが参考になる。
豪太の場合はこんなふうに:
「この間は僕の話を聞いてくれてありがとう。前よりチカに近づけた気がしてとても幸せ。もしチカが嫌じゃなかったら、僕はチカと愛し合いたい。今週末、子どもを実家に預けるのはどうかな? チカはどう思う?」
チカの場合はこんなふうに:
「私も最近、豪太が本音で話してくれるのでうれしい。ただね、今週は仕事のことで頭がいっぱいだから、来週末のほうがよいと思う。ただ、私はセックスをする前に『自分が大切にされている』と思うデートがしたいの。二人でそんな時間が作れるかな? 豪太はどう思う?」
もちろん現実はこんなふうにコミュニケーションがスムーズに進むとは限らない。結局、セックスについて上手に伝えたい&断りたいならば、ひと言の言葉にこだわるのではなくまずは「大切にされている」という関係性を築くことが大事なのではないか。それが実現されていれば、言葉自体はシンプルでもよいと思う。
完璧なコミュニケーションやパートナーシップは存在しない。大切なのは時間をかけて相手の心を聴き、共感しようとする努力を続け、少しずつでも歩み寄ろうとする姿勢なのだ。
『劇場版 それでも俺は、妻としたい』
「セックスしたい」ダメ夫VS「するかバカ」鬼嫁――セックスレス夫婦が繰り広げる攻防戦! 売れない脚本家・柳田豪太(42)は、収入も勇気もなく、性欲を処理するには妻・チカとするしかない。だがそのお願いは、空より高いハードル。日中働くチカの代わりに息子・太郎の世話をしても「当たり前」と一蹴される。あの手この手で迫る豪太に、チカは容赦なく罵倒。「したい」夫と「したくない」妻、夜の営みをめぐる攻防戦の結末とは。
出演:⾵間俊介 MEGUMI ほか
原作:⾜⽴紳『それでも俺は、妻としたい』(新潮⽂庫刊)
脚本・監督:⾜⽴紳
配給:東映ビデオ
取材・文/池田和加 構成/長谷川直子