NYへ居を移したのは、僕にとっていちばん影響があり、そこに悩みの答えがあるように思えたから
ある時、空が見えないNYマンハッタンからブルックリンに移り住みました。その時大好きだったマンハッタンの景色。
新型コロナウイルス感染症が5類に移行し、さまざまな制限が取り払われた5月以降。今まで我慢していたことを再開しようとするように、各所でさまざまなイベントが開催されています。今後は、夏休みに海外旅行を計画する人、本格的に海外留学や移住を考える人も増えそうです。そこで、アメリカで暮らす吉川さんに、今ふたたび「海外」について聞いてみました。
「以前もお話ししましたが、僕がアメリカで暮らすようになったのは30代の頃。現状に満足できず日本を出ちゃおうと単身NYへ渡りました。この地を選んだのは、NYが僕にとっていちばんインパクトがあった場所であり、当時自分が悩んでいたことの答えがあるような気がしたから。
その頃の僕は、人の顔色や言動に振り回されっ放しだったんです。日本で仕事をしていると、多くの日本人は相手のことを考えるからか、ずけずけとした物言いはしないけれど、だからといって、僕がやることを認めているかというと、決してそうでもなく…。その曖昧さに悶々としていました。言葉は通じているはずなのに仕事で出会う人たちが僕の表現をどう思っているのかがわからない。撮影はコラボして成り立つ仕事なのに。そんな状況はすごくストレスでした。
でもNYでは、そんなこと考えなくてもいいような雰囲気があってびっくりしたんです。頭ではわかっていたつもりでしたが、『人はそれぞれ違うんだ』ということが根本的に理解できたというか。たとえ同じ人種で、同世代で、同じ文化で育っていたとしても、受けとめ方は違って当たり前、という空気を感じました。だからこそ、思いを伝えることの大切さを感じたし、そのために話すようになって。英語はめちゃくちゃ下手でしたが、そんなことは大きな問題ではなく、人とのつき合い方が変わり、気持ちがすごくラクになったんです。
急遽病気で休んだメイクさんの代役として、初めてヴォーグの撮影に参加したときも、その朝、説明されたのは、『ヴォーグ、知ってるでしょう? あなたのやり方で自由にメイクしてね。違ったら言うから』とだけ。僕にとってこのことは、衝撃的なでき事で、その伝わってくる気持ちを信じて絶好調な気分になって、どんどんアイデアを広げさせてもらいました。実を言えば、アメリカでも、お世辞を言うことはあるなって後で気づきました。人間ですから(笑)。でも、それは相手の実力を発揮させるためで、日本での妙な気遣いではなく、前向き。だからこそNYでの仕事のセッションは、いつも予想できない仕上がりに向かい、楽しかったです」
その国の人と会話をすることで、自分と他国の人との価値観の違いをより実感できるようになります
撮影風景。そこで出会う多くの人との経験は、かけがえがありません。
自分のこれまでの価値観が変わるほどの衝撃を受ける。それはまさにその場に身を置き、体験してみないと感じられないことですね。とはいえ、海外でそこまでの体験をするには、かなりの勇気がいりそうです。
「行こうと思えば、どこへでも渡航できる今は、一見自由で、ボーダーレスのように思えます。でも、島国で他の文化に触れながら生活をすることが少ない日本にいる人にとっては、海外に出て経験することは驚きの連続ではないでしょうか。その驚きに目を背けないでいられたなら、自分たちと違う環境の人たちは、とても刺激になるし、勉強させられることがたくさんあると思います。一歩日本から離れてみるだけで、普通にさまざまな違いを実感できるはずです。
それをサポートする意味でも言葉が理解できるといいですよね。今は英語圏の国だけではなく、ヨーロッパをはじめ、多くの国の人たちは英語で意思疎通ができるようになってきています。たとえ文法が間違っていても、手振りやジェスチャーも含めてできるかぎり頑張って会話をしたほうがいい。会話ができないと、なんとなくは違いがわかっても、細かい部分は結局想像になってしまいますからね。違う文化や人を見ることで、自分がどうやって育って、何を思い、今があるのか、自分のことをもう少し語れるようになると思うし、本当の意味でそれぞれの人の違いを理解できるようになれると思います」
ここ数年は旅をしてきていませんでしたが、最近また旅行してみたい気持ちが出てきました
コネチカットの自然に囲まれ、それが疲れていた僕には心地よかった。
若い頃から仕事で各国へ行き、さまざまな風景を見てきた吉川さん。でも、その反動で今はバケーションを取ったり、旅行に行くことはないといいます。
「僕が旅行に行かなくなった理由は、当時あまりに日々の生活に疲れ、文化的なものをいっさい見たくなくなったから。仕事にも人にも疲れてしまって、なんなら無人島に行きたいくらいの気分になってしまっていたんです。というのも、僕の場合、他の国に行くのは旅行ではなく、仕事で行くわけだから、楽しむというより、その場所を感じて仕事につなげることでいっぱいでした。そんな状況が続いて、僕は心に余裕を持つためにNYからコネチカット州にある今の家に居を移しました。でも、この山暮らしも6年目を迎え、最近はちょっとずつ海外へ行きたい気持ちが出てきました。
今、気になっているのがスペイン。僕は行っていないのですが、先日、家族がモロッコへ旅行した際、立ち寄ったスペインの話がとても魅力的だったんです。人が明るくって、 物価も安くって。そんな話を聞いていたら、行ってみたくなったんです。スペインにはもう何十年も行っていませんからね。がんばって近い将来旅行できたら、と思っています。
でも、僕の場合、旅行で海外へ行って気にいると、ベースごと変えてしまいたくなる気持ちが大きくて。僕にとっての“海外”は、いつもここから始まるんです。だからといって、今はベースをスペインに移すことは考えていませんけどね(笑)」
情報としてならいつでも手に入るようになり、世界じゅうの国々がより身近になった感がある海外ですが、やはり情報と実体験では、自分の人生に与える影響に大きな違いがありそうです。海外へ行くことでこれまで知らなかった自分に出合ったり、多様性を感じたり、価値観ががっつりと変わったり。そんな体験、ちょっと気になりますね。
取材・文/藤井優美(dis-moi) 撮影/Mikako Koyama 企画・編集/木下理恵(MAQUIA)