『砂の都』
町田 洋 ¥825/講談社(モーニング KC)
いつか忘れてしまう日がくるとしても
ぼんやり、どこかに行きたいなあと思う。旅は嫌いじゃないが、帰り道がいちばん楽しいものぐさなので、基本的には思うだけである。それにしても、ここじゃないどこかへ行きたい気がする。
マンガ家・町田 洋の待望の新刊『砂の都』は、そんな気分にぴったりの一冊だった。ページをめくるうちに、心を遠くまで連れて行ってくれる。
舞台は不思議な砂漠の孤島。少しずつ移動しているその島では、人の記憶が砂の建物になる。そんな砂漠の町で暮らす主人公の青年は、最近ある女性が気になっている。彼女は小説を書いていて、青年同様、町に新しい建物ができるといつも見にやってくる。『砂の都』は、この二人(名前は描かれていない)の日常をとおして忘れてしまうこと/忘れられないことを描き出す唯一無二のロマンチック・デザート・ストーリーだ。
他人の目を気にする青年に、彼女は〈したいことをしないの〉と聞く。
セリフの少ないマンガだ。その分ひとつひとつの言葉がじんわりと響いてくる。
ある日数年ぶりにオアシスが現れ、人々が続々と水に飛び込んでいく。その様子を見ながら、昔パーティーでみんなが踊っているのを眺めていて自分は踊らずに後悔したことを青年はふと思い出す。その瞬間、気になる女性が彼の背中を押して、二人は水の中へ──。したいことをして飛び込んだ、水中の見開きページの解放感ときたら! この気持ちよさを味わうためだけでもいいから、本作を読んでほしいくらいだ。
画面の白さは、砂漠を照らす太陽の強さを表すかのよう。夜になれば漆黒の空に星がまたたいている。シンプルな線で描かれるシーンの数々も胸に迫る。亡くなった老チェリストの演奏会のリプライズ。巨大迷路の壁の上を歩く月夜。砂の都にたなびくたばこの煙。風をうけてひるがえるTシャツとスカート。
こんな鮮やかな瞬間も、いつか全部、砂でできた都のように記憶からはかなく消えてしまうのかもしれない。でもどれも、人生の特別な瞬間だ。名もなき人々の日常にある、かけがえのない一瞬がマンガの中に残されている。うーん。素敵だ。遠くに旅するように読んで、最後は自分の人生に帰るように普遍的な感覚にたどり着くというと、ちょっと大げさだろうか。
町田 洋さんは2013年、描き下ろしの単行本『惑星9の休日』(祥伝社)でデビュー。寡作で知られており、2020年に発表されたビルの宣伝マンガ『船場センタービルの漫画』(トーチweb)ではうつ病を患っていたことを明かされている。突然広告のマンガを依頼されて戸惑いながら取材を進める様子から描かれるこの『船場センタービルの漫画』も、これまでに読んだことがない不思議なエッセイマンガで、そしてとてもあたたかい気持ちになる作品だ。これからも、新作をのんびりと待っていたい。
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。選考委員を務めた第25回文化庁メディア芸術祭マンガ部門ソーシャル・インパクト賞『女の園の星』トークセッションが公開中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works
文/横井周子 編集/国分美由紀