モヤモヤしているのに、うまく言葉にできない…そんな経験はありませんか? そんなときは、「哲学」の考え方が味方になってくれるかもしれません。多様な選択肢に気づくヒントとなる「哲学」について、哲学対話の第一人者である河野哲也さんに伺いました。

河野哲也

立教大学文学部教育学科教授

河野哲也

博士(哲学)。NPO法人こども哲学おとな哲学アーダコーダ副代表理事。専門は現代哲学、倫理学、教育哲学。幼稚園・保育園児から高校生を対象に、対話によって思考とコミュニケーション力を養う「こども哲学」を全国の教育機関や図書館で実践している。また、鎌倉などで大人向けの「哲学対話」や「哲学カフェ」も開催。『哲学のメガネで世界を見ると』(ポプラ社)など著書多数。

“哲学する”ってどういうこと?

哲学 河野哲也 哲学のメガネで世界を見ると

――「哲学」と聞くと難しそうに感じますが、河野さんは著書『哲学のメガネで世界を見ると』で、「『哲学』というのは、人が生きるなかで出会ういろいろな疑問や“もやもや”をゆっくりじっくり考える活動のこと」と書かれていましたね。

河野さん 哲学には決まった問題や思想があるわけではなくて、生きていく中での根源的な価値や生き方にかかわることについて考える行為です。それは、自分でも気づかないうちに吸収し、身につけてしまっている社会の常識や周囲の人からの影響、思い込みなどを剥がして、自由になる過程だと僕は思っています。

――知らないうちに身についてしまった固定観念は本当にたくさんあると思います。そこから自由になるために、ちょっと立ち止まって考えてみる作業ということでしょうか。

河野さん そうですね、自分の前提を考え直すものだと思います。その材料として、過去の哲学者の考えは参考になると思いますし、たとえば芸術作品に触れて「こういう見方があるんだ」と感じたり、誰かとの対話から気づきを得たりすることも、視野を広げてくれると思います。特に、他者との対話の必要性は大きいと思います。

――それはなぜですか?

河野さん 「モヤモヤしている」というのは、自分の考えが分からずにいる状態ですよね。それは闇の中にいるのと同じなので、自分を照らしてくれる鏡のような存在が必要です。僕はそれが他者だと思っていて。誰かと対話しながら自分の人生や価値観を見直していく機会があまりに少ないために、私たちはずっとモヤモヤしたままなのではないでしょうか。

なぜ? どうして? どんなふうに? シンプルな「問い」でモヤモヤをとかしていく

哲学 河野哲也 おとな哲学 哲学のメガネで世界を見ると 問い

――確かに、他者の存在は大きな手がかりになりそうですね。一方で、誰かとすぐに対話をするのが難しいときや一人で考えたいときは、どこから手をつければいいのでしょう。

河野さん 自分から出てくる考えというのは、コップの水でいうと表面に浮いている気泡の部分。でも、そもそも気泡が生まれる理由があるはずですよね。そこに触れるには、「なぜこの泡が生まれるんだろう?」といった自分への「問い」が必要です。例えばこの間、小学生の女の子が「眉毛が濃くて悩んでいる」と話してくれたのですが、そのとき、「どうして眉毛が濃いとダメなの?」と問うと、「みんなそうだから」「そう言われたから」と、明確な理由はありませんでした。そこから「その人はどうしてそう言ったんだと思う?」などの問いを重ねていくと、彼女自身もそこに根拠がないことに気づいて、悩みが解けていくわけです。

そんなふうに、自分が感じていることに対していくつかの問いかけをしてみるといいと思います。難しく考えたり、たくさん問いかけたりする必要はありません。「Why(なぜ)」や「What(なにを)」、「How(どんなふうに)」と「For example(例えば)」ぐらいで十分です。いくつかの問いについて考えてみると、多くのものは「社会の常識や思い込みにとらわれていたな」と感じるはずだし、いろいろな選択肢や方法があると気づけるんですね。そのプロセスが自分を解放することにつながります。

――このぐらいシンプルな問いであれば、一人でもすぐに実践できそうですね。

河野さん これらの問いは、もちろん対話でも有効です。例えば友人と映画を観たあとの会話を「面白かった」で終わらせるのではなく、「なぜ面白かったんだと思う?」「どうしてそう感じたの?」と、一歩深めて対話してみる。「なぜ?」「どうして?」と2つ3つ問いかけてみると、ぐっと深い対話になっていきます。特別なことだと意気込まず、日常の中で機会をつかまえていけたらいいんじゃないかなと思います。

大切なのは、「答えを見つける」ことではなく「問いを置き換える」こと

大人 哲学 河野哲也 哲学のメガネで世界を見ると モヤモヤ

――自分なりに考えてもなかなか答えが見つからなかったり、わからなくなったりすることも多いのですが、そういうときはどうすればいいのでしょうか?

河野さん 多くの場合、それは問い自体が間違っているのだと思います。さまざまな思い込みに縛られていると、「●●しなければいけない」という答えを求めるための、狭い問いになってしまうんです。先ほどの話でいえば、「どうしたら眉毛を薄くできるだろう」という問いですね。こうした狭い問いは、どんどん自分を縛っていくだけなので、哲学する上で大切なのは、「答えを見つける」ことではなく「問いを置き換える」ことです。

――「問いを置き換える」とはどういうことでしょう?

河野さん 「そもそも体毛をなくす必要があるのかな?」「どうして伸ばしておくのはダメなんだろう?」と、視野を広げて問い直してみるということです。そうやって問い直していくと、最初の狭い問い自体はどこかへ消えてなくなり、より根源的な問いに置き換わる場合があります。これは、哲学固有のやり方です。

――モヤモヤに対する答えを探すのではなく、その思いはどこからきたのかという原点に立ち返る形で問いを広げていくということですね。現代では、考えがまとまっていないことに対してネガティブなイメージもありますが、お話を伺っていると、考えがまとまっていないからこそ、他者と対話する意味があるのだなと感じます。

河野さん おっしゃる通りです。どこかで「いい点を取ろう」と思うから、いい答えを出そうとしちゃうんですよね。そうじゃなくて、「相手と一緒に考えるんだ」と思えれば、考えがまとまっていないこと自体は恥ずかしいことではないし、素直にそう伝えればいいと思います。

▶︎続く後編では、「自分の意見を口にしづらい」「強い意見に圧倒されてしまう」など、コミュニケーションで戸惑う場面について、河野さんから考え方のヒントを教えていただきます。

イラスト/三好 愛 企画・取材・文/国分美由紀 編集/種谷美波(yoi)