「哲学」とは、気づかぬうちに身についてしまった固定観念から自由になるためのプロセス。後編となる今回は、日々のコミュニケーションで生まれるモヤモヤを解消するための具体的な考え方を教えていただきました。
立教大学文学部教育学科教授
博士(哲学)。NPO法人こども哲学おとな哲学アーダコーダ副代表理事。専門は現代哲学、倫理学、教育哲学。幼稚園・保育園児から高校生を対象に、対話によって思考とコミュニケーション力を養う「こども哲学」を全国の教育機関や図書館で実践している。また、鎌倉などで大人向けの「哲学対話」や「哲学カフェ」も開催。『哲学のメガネで世界を見ると』(ポプラ社)など著書多数。
お悩み①周囲の反応が気になって、自分の意見を口にしづらい
――誰かと対話するとき、相手にどう思われるかが気になって素直に言えない、相手に好かれるための意見を言ってしまうといったケースも多い気がします。
河野さん それはやはり「よく思われなきゃいけない」「正しいことを言わなければいけない」という考えにとらわれているのだと思います。どれだけ身近なパートナーや友人、家族といえども、お互いの間には大きな価値観の違いがあるかもしれません。ただ、違いはあっても、ちょうどいい落としどころというか、折り合えるところがあるはずです。それを見つけるには、率直に自分の考えを伝えなければ始まりませんよね。でも、身近な人ほど「本当は違う意見を持っているんじゃないかな」なんて意外と気づいているもの。大切な話ほど自分の考えを隠したり誤魔化したりするほうが、相手に不信感を抱かれてしまうのではないでしょうか。
――プレゼンや会議といった仕事の場でも、自分の意見を口にする勇気が出ない…というケースもあります。
河野さん 仕事の場合、なかなか理想通りにいかないものではありますが、もし仕事の場で提案の内容よりも「自分がどう思われるか」が気になるのであれば、それは仕事に集中できていないということではないでしょうか。この場合、そもそもの目的、つまり哲学でいう「真理」は「いい提案をすること」ですが、自分の中に不安要素があるために自信が持てず、意識が自分自身にずれてしまっていますよね。まずは不安要素を解消する方向に意識を切り替える必要があると思います。
お悩み②強い意見に圧倒されて、対話ができない
――仕事の会議などで上司の発言が重視される、あるいは強い言葉に気圧されて対話を進めづらい場面もあるかと思いますが、そういうときはどんな「問い」が有効なのでしょうか?
河野さん これはふたつの視点からお話ししたいと思います。ひとつは「場づくり」をする側の視点。一番のポイントは、進行役や上司など、その場においてある種の力を行使できる人が、「いろいろな意見を聞いて学びたい」という態度を取れるかどうかです。なかなか難しいことではありますが、力を持つ人が自身の態度を変えて、あえてリラックスしたゆるい雰囲気をつくれたなら、場の空気は変わっていくと思います。
――もうひとつはどんな視点でしょうか?
河野さん 弱い立場にある側の視点です。そもそも、哲学における対話というのは「真理(正しいこと)」を追求するためのものです。企業で考えるなら、「いい製品や本当に喜ばれるサービスをつくること」などの目的、あるいは社会貢献や利益かもしれません。それは、相手と自分との“間”ではなく、“別のどこか”にあるものですよね。ですから、それぞれの意見は、「上司」と「部下」といった1対1の関係性ではなく、「真理に近づいているかどうか」という観点で判断や検討をする必要があります。
――相手との関係性や意見の優劣ではなく、共通の目的に対する真理に近づいているかどうかで判断する。その考え方がベースにあれば、心理的なハードルはかなり低くなる気がします。
河野さん 「あなたの意見も私の意見も、真理を追求するためのもの」だと考えれば、お互いの関係性は、それほど気にならなくなると思います。その視点をずらして1対1で向き合ってしまうから、気後れして言えなくなってしまうんですよね。
お悩み③途中で意見を変えると、意志が弱いように見えて恥ずかしい
――これまでのお話を伺っていると、真理について考えたり対話をしたりする中で意見が変わるのは、ごく自然なことだと感じます。意見が変わるということは、新しい視点や新しい自分に出会えているということですよね。
河野さん まさにそのとおりだと思います。考えることは、洞窟を探検するようなものです。気づきや新しい視点を得ることで考えが広がり、変わっていくことは恥ずかしいことでも悪いことでもありません。
――意見が変わることに後ろめたさや恥ずかしさを感じてしまう場合はどうすればいいのでしょうか?
河野さん 「意見は常に同じでなければいけない」という思いにとらわれているのだと思いますが、先ほどお伝えしたように、考えがよりよい方に変わることは悪いことではありません。「さっきまでこう思っていたけれど、話を聞いているとあなたの意見が正しいと思います」と言えたら素敵ですよね。さらに、「こんなふうにも考えられるのでは」と対話を発展させられたら、それは素晴らしいことだと思います。迷っている段階であれば、正直に「みんなの意見を聞いていて、確信がなくなりました。自分の意見は間違っていたかもしれない」と伝えることも、相当かっこいいなと思います。
哲学する力は、自分や他者の生きやすさにつながっていく
――そんなふうに伝えられる対話の場なら、多様な意見が生まれそうですね。哲学する力を身につけることで、心がほぐれて人間関係も楽になっていく気がします。
河野さん 例えば、私たちが「愛情」や「家族」と呼ぶものにはさまざまな形があるはずですよね。「人を幸せにする形」について問いを重ねていくと、恋愛や結婚について「こうあるべき」と思い込むことは、誰かの幸せを妨害するかもしれない――という視点に気づけるのではないでしょうか。
私も含めて、誰もが社会の縛りや狭い問いにとらわれやすいので、問いを立てたり、いろいろな人と接する中で「もしかしたら選択肢はいろいろあるのかもしれない」と視野を広げていくことは、自分自身の生きやすさはもちろん、他者への想像力を育み、周囲の人の生きやすさにもつながっていくと思います。
イラスト/三好 愛 企画・取材・文/国分美由紀 編集/種谷美波(yoi)