連載『Stories of A to Z』。仲のよかった母や妹からの悪気のない言動に傷ついてきたQさん。心を守るために距離をおきつつ日々を過ごす中で、感情と関係なく涙が流れることがあるといいます。その理由を、不妊カウンセラーの永森咲希さんに聞きました。

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Story17 身近な家族の言葉や振る舞いに傷ついてきたQさん

今月の相談相手は……
永森咲希さん

不妊カウンセラー

永森咲希さん

国家資格キャリアコンサルタント、家族相談士、両立支援コーディネーター。一般社団法人MoLive(モリーブ)オフィス永森代表。大学卒業後、外資系企業と日系企業数社の経営や営業部門でキャリアを重ねる。6年間の不妊治療を経験し、仕事と治療の両立の難しさから離職するも、最終的には不妊治療をやめて子どもをあきらめた経験を持つ。その後2014年に自身の体験をまとめた『三色のキャラメル 不妊と向き合ったからこそわかったこと』(文芸社)を出版し、同時に一般社団法人MoLiveを設立。「子どもを願う想い・叶わなかった想いを支える」を信条に、不妊で悩む当事者を支援すると同時に、不妊を取り巻くさまざまな社会課題解決のため、教育機関・企業・医療機関といった社会と連携した活動に従事。令和3年厚生労働省主催「不妊治療を受けやすい休暇制度等導入支援セミナー」講師。現在、不妊治療専門医療機関にてカウンセリングおよび倫理委員も務める。

さまざまな思いを抱える自分を、まずは理解してあげる

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Qさん 夫の家族も私の家族も、「子どものことは二人の好きにしなさい」というスタンスだし、夫も「子どもが欲しくて結婚したわけじゃない」と言ってくれるので、周囲からのプレッシャーはないのですが、2カ月に1回ぐらいのペースで、ダムの放流のように涙が止まらないことがあるんです。

永森さん それは、どんなときに起こりますか?

Qさん 普通に家事などを終えて、ソファでほっとひと息ついたときとか、ぼんやりしているときとか。悲しいことがあったわけでも、考えごとをしていたわけでもなく、自分の感情とは関係なく流れるというか。たいてい生理前になることが多いので、「もうすぐ生理かな」ぐらいの感覚で処理していますが、この涙は何なんだろう?と思って。そのあと落ち込むわけでもないし。

永森さん Qさんは、ご自分の感情に対して、どこかで蓋をしている感覚はありますか?

Qさん 自分の感情や心の傷を見つめていると一生立ち直れないから、日常生活をこなすためには、どうしても蓋をせざるを得ない場面はたくさんあります。色々思い出したり、突っ込んで考えたりしていくと、メンタルが傷ついてボロボロの状態に逆戻りするだろうなと思うので、自分の感情に触れるのは怖いですね。

永森さん 不妊治療は忍耐続きですし、「人として」「女性として」といったアイデンティティの揺らぎを感じる方もいらっしゃいます。必死に頑張っているのに、お金も、時間も、自分の心も削られていく喪失感の中で、本当は常に泣きたい状態だと思うんです。たとえ見ないように蓋をしていても、その蓋は開きかけていて、追い詰められたさまざまな感情がじわじわとあふれつつある状態かもしれません。風船でいえば空気でパンパンにふくらんで、ちょっと針でつついたら弾けてしまう状態です。自分の感情に触れる怖さ、悲しみと向き合うつらさ、ありのままを受け止められない苦しさは、私も経験しました。

Qさん 永森さんも見ないふりをしていたんですか?

永森さん 妊娠反応が陰性だったときの落ち込みが激しくて、悲しくて…「期待するから落ち込むんだ」と自分なりに考え、「治療をしてもどうせ今回もダメにちがいない。期待しない、期待しない」と、希望を持たずに治療に臨んでいた時期がありました。私は一度妊娠したものの、4カ月目で胎児の心臓が止まってしまう稽留流産となり手術を受けたのですが、その流産以降子どもはできず、治療をあきらめることになりました。その時、感情を不自然にコントロールしていたことで、さらに気持ちが振り回されて、とても苦しみ、後悔したんです。「なぜちゃんと『私のところにおいで。絶対産んであげるから!』と希望をもって治療しなかったのか」って。期待しないようにしても、結果が陰性であれば落ち込みます。だったら、自分の感情を変に封印なんてせずに、ちゃんと期待して待ってあげて、ダメだったら思いきり泣けばよかった…そんなふうに後悔した時期が続きました。

Qさん 自分の感情を素直に出すって、本当は大切なことなんですね…。

永森さん 不妊治療って、一筋縄ではいかない難しい挑戦。皆さんは、それだけのことに挑んでいるってことなんですよね。感情との向き合い方は人それぞれでいいので、「こうすべき」というものはないと思います。ただ、不妊治療をしていると、すべてを完璧に頑張ろうとして「こうあるべき」「こうしなきゃ」「これが悪かった」「あれが悪かった」と自分を追い込んでしまいがち。ですから、Qさん自身が「さまざまな思いを抱えている自分」をわかってあげることも、忘れてはいけない大切なセルフケアだと思います。誰かに話しながら、感情を整理されてみてはいかがでしょう。

「揺るがない自分になりたい」という思いを大事に育てていく

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Qさん 性格的に、目の前に課題があったら原因や対策を考えながら解決していきたいタイプなんですが、不妊治療は自分の努力や力だけではどうにもならないことばかりで…。それも感情に蓋をしてきた理由のひとつだと思います。

永森さん 勉強や試験と違って、どれだけ頑張っても確実に実を結ぶとは限らないのが不妊治療ですものね。そのつらさは、Qさんご自身がいちばん感じていらっしゃると思います。治療は今も継続されているのでしょうか?

Qさん 家族との関係や2度の早期流産など、つらいことが続いたので少し治療をお休みしていたんですが、今年の夏に採卵をして1個凍結してあります。夫とは「一生懸命に不妊治療をするのは35歳までにしよう」と話していて、この秋にもう一度移植する予定です。

永森さん Qさんのようにパートナーと一緒に考えながら話し合って進めていくことは、とても大切です。夫の側が直接治療を受けるわけではない場合、どうしたらいいかわからないということもあって、「君がやりたければ続ければいいよ。でも『もうつらくてやめたい』と思うならやめていいよ」と、優しさからの言葉だとしても、結果として妻に決断をゆだねてしまう傾向が多く見られます。本来、子どものことは二人のこと。何にどう悩み、どんなふうに折り合いをつけていくのかは二人で決めていく必要があります。そういう意味でQさんご夫妻は、対話ができていて、いい関係を築かれてらっしゃいますね。

Qさん 本当に彼の存在はすごく大きいです。でも、移植がうまくいかなかったときのことを想像すると怖くて…。大人になって何かを「怖い」と感じることはほとんどなかったけれど、結論を出したあとの自分の気落ちがどうなってしまうのか、怖くてたまりません。子どもが「いる」「いない」に揺るがない自分になりたいです。

永森さん いい結果を求めて頑張ってこられているのですから、うまくいかなかったときのことを想像して怖くてなるのは自然なことです。私も、怖くて“その時”のことは考えないようにしていました。現実的にはうれしい結果になるケースも考えられるはずなのに、期待することへの不安が強かったのかもしれません。「揺るがない自分になりたい」というQさんの想いは、次のステップへとつながる種です。人生は一歩一歩、どんな荒波に揉まれても自分で舵を切っていくしかないということを、私自身、不妊治療の経験から痛感しました。ですが、そうするうちに必ず、見えてくる景色や、傷の痛みも変わってくるはずです。ここまで歩んでこられたご自分を信じて、「揺るがない自分になりたい」という種を大事に、あきらめずに育ててほしいと思います。

イラスト/naohiga 構成・取材・文/国分美由紀